小説で行く心の旅⑨「水仙」 林芙美子
出生率が過去最低となり、1人の女性が生涯に産む子どもの数は1.15人を割り込むと予想されています。
理由はさまざまですが子供が、親が、親子という存在が少しずつ失われています。
こんな時代ですが、複雑な家庭環境で別れることになった、母と息子のお話をご紹介したいと思います。親とは、子とは、女性とはどう生きるのか。
多くの事を考えさせられる作品です。
小説で行く心の旅、第九回目は「放浪記」などで有名な林芙美子さんの「水仙」をご紹介します。
※「水仙」は1949年(昭和24年)に「小説新潮」に発表された作品です。
【 あらすじ 】
※ネタバレを含みます、ご注意ください。
脛かじりの息子、限界を迎えた母
主人公たまえは43歳。息子の作男は22歳。
ある年の暮れ、作男が就職試験に落ちた所から物語は始まります。
たまえは夫と別れ、作男が2歳の頃から二人暮らし。たまえが懸命に働いて生計を立てていましたが、作男は高校を出ても職に就かず、脛をかじり続けていました。そのうち貯めたお金を持ち出すようになったため喧嘩を繰り返し、たまえは息子に殺意を抱くようになっていました。
作男は物事ついた頃から父親がおらず、仕事や男で泊まりが多い母を呪うようになっていました。
たまえを「親不孝の反対の子不幸」と呼び、就職試験に落ちたのも、子不幸な「ママ公」のせいだと悪態をつきます。
就職試験を真面目に受ける気がなく、脛をかじり続ける気でいる作男に対し、たまえはもう疲れたので同居を解消し、自分を解放して欲しいと頼みます。作男は働くのも、生きているのも退屈だから嫌だ、たまえが喧嘩相手として側にいないと淋しいから嫌だと拒みます。
悶々とする中で、たまえは恋人の富田に会いに行きますが全く会えず、すれ違う男すら自分に冷たくなったように感じ、自分が急に女として老いて落ちぶれたように感じます。同時に、息子に人生を台無しにされたと怒りを感じます。
親子の本当の別れ
暫くして、作男は北海道の住み込みの仕事を紹介され、北海道に行く事を決めます。北海道に行ったら
もう戻らないと言われ、息子に殺意さえ抱いていた
たまえは、涙を流します。
北海道へ立つ日、たまえは夜の銀座を作男と二人で
歩きます。恋人に最後の別れをしに去ろうとする息子に、たまえは自分に何があっても帰って来なくても良い、と言って手を握りますが、作男は黙って頷き、母の手をすぐに離して夜の街に消えて行きました。
作男から解放されたと感じた時、たまえは望んでいた自由な生活とは、完全に独りになる事なのだと思い知らされます。そのまま独り銀座の街を歩き、店に出ている物を一つ、二つと盗ってポケットに入れ、物語の幕が下ります。
【読後感想】
女であること、母であること、老いること
主人公たまえは、夫の浮気相手を責め立て自殺に追い込むほど激しい「女」でした。女である事を常に自覚し、自分が老いていく事にやるせなさを強く感じ、老けこんだ原因は女手一つで育てている息子のせいだと憤るのは、あまりにも極端で、母性愛のかけらもないように感じました。
しかし、この作品が書かれた戦後の混乱期は、
夫を戦争で亡くした沢山の女性達が同じように一人で子育てをしており、生活に追い詰められ、たまえのように女性である事を後回しにするような生活をしていたのではないかと思います。
生活を支え、子育てに追われ、気付けば女性としての輝きを失った、女性の心の嘆きのようなものを
感じました。息子の作男からも同じように、家計を支え不在がちな母親に、寂しさや不満を抱えていた子供が沢山いたことが伺えます。
作男はずっと愛情不足に不満を持ち続けていた所に、母親から息子の自分から解放されたいと突き放されるような事を言われ、理不尽に思い離れる決断をしたのだと思います。きっと深く傷ついたと思います。父親を失って、母親は「女」を失い、子供は「愛情」を失った悲しい話に思いました。
そして「女性が衰えること」が一つのテーマとして
あり、そのリアルな描写にはユーモアと寂しさが交じり、心に強く訴えるものがありました。
困難な生活の中で、女性が女として、母親として、老いと向かい合いながら悩み、生きて行く姿を切実に表現した、素晴らしい作品だと思いました。たまえが息子と別れ、親という責任がなくなった開放感から万引きをする結末は、いろんな事を考えてしまいます。
女として、母親として、子育てに悩んだ主人公。
彼女と一緒に、心の旅をしてみませんか?
最後までお読み頂き、ありがとうございました。