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【学習者の質問に答える】AI時代には外国語教育はどうなりますか?

 最近話題になっている、AI時代には外国語学習から解放されるのかという質問です。週刊誌やブログだけでなく、ここ最近、大学のシンポジウムなどでもこのテーマが盛んに扱われるようになってきました。

 多くの研究者の統一的な見解からすると、残念ながら、AI技術が進んでも外国語学習は「なくならない」というのが答えです。
 外国語学習そのものはなくなりませんが、教育内容は大幅に変わるだろうし、変わるべきであるというのが今回のテーマです。

機械翻訳の有効性と限界

 AI時代の外国語学習について考える前に、機械翻訳について振り返っておきたいと思います。

 推し活で、「機械翻訳の機能を使ったことがない」という人はいないと思います。全く韓国語が分からない場合、韓日翻訳の機能は大変有効です。ただ、意味不明な訳しか得られないケースもあるでしょう。ここは誤訳だろう、と検討がつくことが多いですが、誤訳と気付かずに、そのまま理解してしまうことで誤解を生むこともあるかもしれません。

 逆に日韓翻訳では、私も翻訳機を使って時短することがあります。日韓翻訳については、ある程度韓国語に素養のある人にこそ有用なものだと思います。全く分からない場合、正しく翻訳されているのか見当も付かないので、恐る恐るしか使えません。

 これ以外にも、機械翻訳には問題があります。
 東大のガリー先生曰く、「複数の言語の母語話者が自動翻訳機を介して会話をする実験では、伝言ゲームのように意味がズレていき、最後には話が通じなくなる。機械翻訳の限界を双方が熟知し、尚且つよほど辛抱強く会話を続ける覚悟が無い限り、ビジネスや会議の場でAIに通訳を任せるのは現実的ではない」そうです。
 また東洋大の佐藤先生は「英語話者は無意識のうちに相手との心理的な距離(初対面か、旧知の仲か)、権力関係(取引先や上司か対等な関係かなど)その言動が文化的に容認されている度合いなどの要素を組み合わせて、その場にふさわしい表現を選んでいる。しかしAIにはそれが出来ない」とのことです。

 つまり機械翻訳は、文脈に基づいた解釈が出来ないということです。
 言葉は、情報伝達の領域だけで成り立つわけではなく、文化的な要素、個別性、特殊性があるということなのです。例えば、「저 사람은 내 오빠예요」を訳させたらどうなるでしょうか。오빠(オッパ)には①肉親の兄②気心の知れた先輩③恋人や夫などに訳せます。その区別が機械翻訳に可能でしょうか。その場の空気、レアリアを総合的に勘案して適切な翻訳を提示することは、現在の機械翻訳には無理でしょう。機械翻訳は文脈を訳せないというのはこの分野の基本の「き」みたいなものですが。

何が足りないのか、そして今後のAI時代の外国語教育とは?

 AIによって今後変わるべき外国語学習とは何でしょうか。

 2018年5月24日の日経新聞に、「切り開く教育ー自動翻訳、世界を一つに、語学力より異文化理解(ポスト平成の未来学)」という記事が載りました。
 機械翻訳と共存する外国語学習に関する論文もあります。こちら、興味のある方はどうぞ。

 AIを活用できる力を身につけること、これが新しい時代の外国語教育の課題です。AIを活用できる力とは、AIではカバーできない分野、AIが苦手とする分野を身につけることです。それはずばり、レアリアといった異文化に関する情報だったり文脈なのです。

 トータルの学習時間が変わらないとき、新たな学習をプラスするためには、既存の学習から何かをマイナスしなければなりません。

 では、AI時代にパスしても良い学習とは何でしょうか。
 定型文をただ暗記するだけの会話学習は優先順位が低いでしょう。旅行会話やビジネスメールなど、情報伝達だけのコミュニケーションは、機械翻訳に任せられます。「POCKETALK(ポケトーク)」といった機器もすでに実用化されていますね。
 単語の暗記、活用などの運用力も、優先順位が下がります。頭に無理矢理ねじ込み、小テストで定着をはかるといった古典的な手法をいまだに取っていますが、どちらも機械翻訳でカバーできることです。計算を電卓に任せるようなものですね。

 AI時代には、これまで一握りのエリート層が独占していた外国語に、誰もが気軽にアクセスできるようになることを意味します(←ここポイント)。ですから「教養外国語」と「専門外国語」の領域を、はっきりと分けていく必要が出てくるということです。

 精度の高い読解・作文能力、瞬時に相手の言葉を理解するヒヤリング能力をコツコツ鍛える専門教育は、専門家養成のために続くでしょう。その一方で、自走式ではなく、自動運転方式で、外国語を駆使する人のための教育も必要になります。
 今は、入門者に必ず課している活用の運用や発音法則のなどの理解は、一部の人間のみが習得するマニアックな知識になる日が近い将来訪れると予想していますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

 今までの外国語教育は「機械翻訳は使うな」と禁じてきました。テストの時はカンニングペーパーになりうるので、教員は「敵視」してきたのです。それ以外にも韓国語の作文のレポートを機械翻訳で回した誠意もない駄文を添削する悲哀話の数々を聞けば恨めしい気持ちにもなります。

しかし授業外では学生も普通に使うし、教員も時短ツールとして使っているのに。教育が実用に繋がらず乖離している「茶番」ですね。これからは「機械翻訳」とどう共存するかを考えるべきです。

 ということで、今回の質問の答えはAI技術が発達しても外国語教育はなくならない。つまりドラえもんの秘密道具「翻訳こんにゃく」は現段階では作れないということでしょう。笑
 しかし、AI革命は外国語教育の形を大きく変えていくことは間違いありません。今までおまけに思われていた文化、言葉の周辺にある知識、レアリアが外国語学習の中心になる時代が来るかもしれません。もう来ても良いんじゃないでしょうかね?




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