本の感想Vol.5:ゴールデンスランバー/伊坂幸太郎
さて、今回は伊坂幸太郎さんの「ゴールデンスランバー」の感想を書いていきます。
伊坂さんの作品はいくつか読んだことがあるのですが、実は有名どころはまだ読めていないのです。(「重力ピエロ」も「アヒルと鴨のコインロッカー」も読んだことがない。)
この「ゴールデンスランバー」も、伊坂さんの代表作の一つと言ってよいのではないでしょうか。
堺雅人さん主演で映画化もされているようで、そちらをご覧になった方も多いかもしれませんね。
先に書きますが、私はこの作品が非常に刺さりました。
ちょうどX(旧Twitter)でよくある#名刺代わりの10冊というタグに連ねる作品を考えていたのですが、本作品を入れることを決めました。
どこがどう刺さったのかは、後ほど書いていきますね。
Amazon.co.jp: ゴールデンスランバー (新潮文庫) : 幸太郎, 伊坂: 本
①本のかんたんな紹介
あらすじ(Amazonより)
衆人環視の中、首相が爆殺された。そして犯人は俺だと報道されている。なぜだ? 何が起こっているんだ? 俺はやっていない――。首相暗殺の濡れ衣をきせられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。暴力も辞さぬ追手集団からの、孤独な必死の逃走。行く手に見え隠れする謎の人物達。運命の鍵を握る古い記憶の断片とビートルズのメロディ。スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編。
***
主人公は、仙台に住む元運送業者の青年、青柳雅春です。
彼はそこそこ二枚目で、心優しく、少しだけ控えめな”普通”の青年でした。
唯一人と違うのは、過去に配送先で暴漢に襲われていた人気アイドルを助け出したことで、メディアの寵児となった過去があることです。
当時はヒーローだなんだともて囃されてはいましたが、今は世間に忘れ去られ、真面目に仕事に励んでいました。
しかし、ある時から仕事中に嫌がらせを受けるようになり、周囲に迷惑がかからないように会社を辞め、新しい仕事を探しはじめます。
物語は、そんな青柳が学生時代の友人、森田と再会することからはじまります。
ファーストフード研究会という珍妙なサークルで青春を共にし、一緒に花火工場でバイトもしていた親友との昔話に花を咲かせますが、不自然に眠りに落ちてしまい、目が覚めると仙台に訪れていた総理大臣、金田貞義のパレードの近くまで来ていました。
そこで森田は衝撃の発言をします。
自分は借金を抱えており、金のために青柳をパレードの近くまで連れてくる仕事を引き受けたというのです。
しかし、勘の鋭い森田は、その仕事がただ人を運ぶだけのものではないことに気がついていました。
彼は青柳に、「オズワルドにされるぞ。」と忠告します。
オズワルドとは、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディを暗殺したとされる人物ですね。
ご存じの方も多いでしょうが、ケネディ暗殺には数々の陰謀論があり、このオズワルドも、真犯人ではなく濡れ衣を着せられた人物というのが通説です。
森田は青柳がオズワルド、すなわち首相殺しの罪を着せられると勘づいたのでした。
森田の言うとおり首相は暗殺され、逃げる青柳は世間から犯人扱いされ、勝ち目のない逃走劇を繰り広げることになるのです。
しかし、そんな青柳を信じる者たちもいました。
学生時代の恋人、樋口晴子。後輩のカズ。運送会社の先輩の岩崎さん。そして、社会の裏側にいる数々の人たち。
彼女たちの助けを受けて青柳は何度も窮地を救われますが、街全体が敵となったことで次第に追い詰められていきます。
はたして、青柳雅春は迫りくる追跡の魔の手から逃れることはできるのでしょうか。
***
この作品のすごいなと思ったところは、物語の結末を先に書いてしまっているということです。
もちろん肝心なところまで描写は書かれていませんが、バラバラに列挙される時間軸の中で、序盤にメディアから見た青柳の逃走劇の全貌と、本編の20年後に事件を振り返った記述が登場します。
そこでは、青柳の物語がどのような結末を迎えたのか、そして事件の裏側に何があったのか、ほとんどわかってしまうのです。
それでも、この物語はずっとハラハラドキドキの展開を続けます。
それは、断片的に与えられた未来の情報と、現在の青柳の人となりや行動がどうしても合致しないからです。
こんなに良い人の青柳が、どうしてメディアで報道されていたような凶行に走ったのか。(あるいは嘘だったのか。)
また、未来の視点からしかわからない巨悪の暗躍が、どこでどう登場するのか。
実際にその場面が来ないとわからないので、先にネタばらしをされているのにずっと楽しめるのが構成の妙だと思います。
また、交互に登場する現代と学生時代の思い出や、登場人物の視点の変更など、結構せわしなく物語が展開されるのですが、それでも一つのストーリーが破綻していないのもさすがです。
私が書いたら、きっともっとぐちゃぐちゃな話になってしまうでしょうね。(笑)
②印象的な一節の引用抜粋
"ネーミングっていうのは、大事なんだよ。名前をつけるとイメージができるし、イメージで、人間は左右されるからさ。"
"イメージというのはそういうものだろう。大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く。味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージがよくなったからだ。"
この作品では、イメージの恐ろしさがこれでもかと描かれています。
善良な市民の青柳雅春は、メディアの報じる真偽もわからない情報によって、あっという間に首相殺しの凶悪犯に仕立て上げられます。
青柳に会ったこともないのに、事件を目撃したわけでもないのに、誰もが彼が犯人であると信じて疑わないのです。
これって、現実世界でもよくありますよね。
今はメディアもそうですし、SNSでいわゆる"炎上"をすると、もう悪いイメージが払しょくできなくなってしまいます。
また、イメージについては、他の物でも悪用例も言及されています。
例えば、「総合情報課」だとか「思いやり予算」だとか、それっぽい名前を付けるとちょっときな臭い話でも通ってしまうというのです。
これも現実にある話なので、他人事ではないですね。
"思えば俺たちってさ、ぼうっとしている間に、法律を作られて、税金だとか医療の制度を変えられて、そのうちどこかと戦争よ、って流れになっていても反抗ができないようになっているじゃないですか。...俺たちみたいな奴がぼうっとしている間にさ、勝手に色々進んでいるんだ。...国家ってさ、国民を守るための機関じゃないんだ。"
先ほどのイメージの話ですが、そうしたイメージを作るのはメディアだったり政府だったり、いわゆる"市民"とは対極にある巨大な組織になります。
本作品ではそれにより、市民を監視する目的のセキュリティポッドが配備されたり、青柳が犯人にさせられたりするわけです。
当たり前ですが、政府って私たち一人ひとりを見ていないんですよ。
全体としての国家、全体としての国民を守るために行動しているので、どうしても一人の市民はおざなりになります。
そして良くないのが、こうした政府やメディアが悪意を持った瞬間、私たちにはどうすることもできないということです。
政治家が裏金を作っても、勝手に戦争の準備を進めても、止める術はありません。
さっきのように適当なイメージをでっち上げて言論を封殺すればそれで終了です。
そのためメディアも政府と同等の強い権力を持っていると言えるでしょう。
この作品はそうした巨大組織と戦う、一人の小市民を描いているのです。
"人間の最大の武器は、信頼と習慣だ。"
嫌な文章が続きましたが、ここで希望とも言える一節を。
これは主人公の青柳が何度も口にする言葉です。
先に書いたような巨大組織と戦うのに、このふたつはあまりにも貧弱な武器かもしれません。
ですが、この"信頼"というのが巨悪に打ち勝つ銀の弾丸にもなり得るのです。
作中では青柳は、直接顔も合わせていないのに、かつての恋人の樋口靖子の圧倒的な信頼と援助によって、逃亡を続けることができました。
ふたりの信頼関係が、陰謀を打ち負かしたのです。
政府は一人ひとりを見ませんが、私たちは違います。
家族と、友人と、隣人と、強い信頼関係を結ぶことができます。
そしてその信頼こそが、窮地に陥ったときの道標になるのです。
時代に翻弄されるしかない私たちに残された希望というのは、人を信じるということなのかもしれません。
③思ったこと、感じたこと
この作品を読んで感じたことは2つあります。
まず1つ目は、私たち市民の非力さです。
散々書いてきましたが、この作品は市民と政府などの巨大組織の戦いの構図になっています。
政府は私たちのためと言いながら、不都合なことも不条理に押し付けてきますし、メディアを使うことで世論を操作することもできます。
そうした中で一人の人間ができることなど限られているでしょう。
本作品では最終的に奴らに泡を食わすことに成功しますが、現実はどうでしょうか。
青柳のように首相殺しの罪を着せられることはないでしょうが、代わりに劇的に勝利ができることもないのではないでしょうか。
悲しいかな、私たちにできることは自分の身を自分で守る力をつけることと、団結して戦うことだけです。
決して平和ボケせず、自分はそういう飼い殺しの状態であることを忘れずに生きていかなければならないと、本作を読んで思い出しました。
2つ目は、何があっても信じてくれる人の大切さです。
これが、冒頭に述べたこの作品が私に刺さった理由です。
主人公の青柳は作中で、別れてしまった恋人の樋口晴子を何度も思い出します。
そして樋口も、事件を追う中で同じく青柳との思い出を想起するのです。
彼女はもう家庭がありますから、青柳が好きとかそういう話ではないと思います。(一方、青柳はまだ未練がありそうですが…。)
ただ、数年の時を共に過ごした男が、世間を揺るがす大犯罪を起こすわけがないという信頼がそこにあるのです。
結局二人は再会して言葉を交わすことはありません。
それでも、樋口は犯人のはずがない青柳のために、自身の思い出を頼りに様々な手助けをしていきます。
そしてそれが、ちゃんと青柳に届いて窮地を脱するのが、信頼の深さを裏付けています。
特に心に残ったのが、青柳と樋口がニアミスするシーンです。
先に青柳が来て、少しだけ離れた間に樋口が来て、樋口がいなくなったあとに青柳が戻ってくるのですが、そこにちょっとしたやりとりが生まれます。
先にいた青柳が誰に伝えるでもなく、「俺は犯人じゃない。青柳雅春。」と紙に書きつけていました。
そして戻ってきたときには、樋口が書いた「だと思った。」という言葉が残っているのです。
これが本当に美しくて、正直読んでいて涙が出そうになりました。
たぶん、青柳はその言葉を書いたのが樋口なのか、最後まで確信は持てなかったと思います。
一方、樋口は名前が書いてあったので青柳のメモだということは理解したうえで、「だと思った。」という、最低限の言葉で全幅の信頼を伝えます。
そして樋口はこれだけで青柳が犯人ではないことを確信するのです。
ふたりの間には言葉がなくとも、過去に培った信頼だけで意思の疎通ができたのでした。
私には別に、樋口のような恋人がいたわけではありません。
それでも、何だか懐かしい気持ちだったり、信じてもらえて嬉しい気持ちだったり、様々な感情が押し寄せました。
はたして青柳にとっての樋口のように、何があっても自分を信じてくれる存在がいる人はどれくらいいるでしょうか。
そんな信頼関係を、たくさんの人と築いていきたいと、心から思ったのでした。
最後に、タイトルにもなっているビートルズの楽曲「Golden Slumbers」について書きます。
直訳すると「黄金のまどろみ」ですが、その歌詞は下記のようなものです。
Once there was a way to get back homeward
Once there was a way to get back home
Sleep pretty darling, do not cry
And I will sing a lullaby
かつてそこには、家路となる道があった
かつてそこには、故郷に続く道があった
おやすみ、愛しい人よ、泣かないで
僕が子守唄を歌おう
Golden slumbers fill your eyes
Smiles await you when you rise
Sleep pretty darling, do not cry
And I will sing a lullaby
黄金のまどろみが、君の瞳に溢れる
君は目覚とともに、笑顔になれる
おやすみ、愛しい人よ、泣かないで
僕が子守唄を歌おう
私はビートルズに詳しくないですが、作中の解説によると解散目前の彼らが初期の仲良かったころを思い出している歌だということです。
この作品は、青柳の青春時代、大学生の思い出と現代が行ったりきたりします。
かつての仲間とは疎遠になっていましたが、樋口をはじめ、その絆は確かに残っていました。
でも、もう戻れないのです。
それぞれ大人になり、それぞれの人生を歩んでいくうちに、もう昔のようには戻れないことに気がつきます。
この作品にはそうした青春への郷愁が根幹にあるので、この楽曲をタイトルにしたのでしょう。
このノスタルジーは、誰にでもあるものです。
だからこそ、この作品は多くの人に共感され、傑作と呼ばれるものになったのではないでしょうか。