ぼくと鬱と料理(帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。/高山なおみ)
ぼくは、あんまりものを食べない。のは、食に関心がないから。のは、大抵調子が悪いときだ。頭の。それで、食べずにいると、ますます不調になる。(鬱病は、エネルギー切れになると悪化します。万病に言えることだけど。)
調子がいいときの食事は好きでも嫌いでもない。これはこれで、なんだかぼくじゃない気がする。もともと、食べることは好きだったはずだ。少なくとも、子どものころは。
いつからだろう。一人でいると食べたくなくて、かと思えば、食べたくもないスナックを貪って(過食)、あとで後悔して。ぼくによるぼくを傷付けるための食事。
「一人でいると」なので、パートナーといるときは、それなりにおいしく感じる。ええ。パートナーがいると、食べるんです。
仕事がある日のパートナーは、うちに帰ると必ず、ぼくがその日なにを食べたのか(そもそも食事をしたのか)確認する。調子が悪い日は、なにも食べないのを知っているので。ぼくは、正直に申告する。なので、なにも食べなかった日は、パートナーはぼくを叱ったり、落ち込んだりする。申し訳ないと同時に、ありがたいことだと思う。
「一緒だったら食べる?」
パートナーは訊く。
「うん」
ぼくは応える。
それで、外食をしたり、パートナーが元気なら、簡単なものを作ってくれたりする。不調のとき、というより、食欲がないとき、ぼくは料理ができない。ので、パートナーに任せてしまう。
なので、不調じゃないとき、もしくは、それなりに元気なとき。ぼくは、台所に立つ。ぼくとパートナーが食べるものを。だいぶ寒くなってきた。ので、パートナーの好きなシチューをよく作る。
具材を切って、立ち上る匂い。鍋にバターを溶かす匂い。食が細くなってしまったぼくの喉は鳴らない。でも、まだ帰っていないパートナーのほころんだ顔が、すぐ目の前にあるようで嬉しくなるし、寂しくなくなる。蓋をして、時間をかけて煮込む。ある程度煮込んだら、火を止めて、あとはパートナーが帰ってくるのを待つ。
ぼくは台所専用のスツールに座って、『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』を読む。食に関するエッセイが好きだ。この本は、特に好きだ。食への関心が薄れてしまったぼくも、食が隣り合わせの日々に溶け込ませてくれるようだった。小麦粉とバターを混ぜて、じっくり練り上げていくのを、ぼくは想像した。(この練りバターを、シチューの仕上げに入れるのだ。)
ぼくは、あんまりものを食べない。でも、パートナーとの食事は好きだ。あたたかくて、おいしいから。
帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。 - 高山なおみ(2001年)
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