煌々と。あるいは、刻々と。(ハードボイルド/ハードラック / 吉本ばなな)
時々、自分がとてつもない暗闇の中にいる気がする。前に進んでいるつもりが後ろに下がっていたり、引き返すつもりがさらに深みにはまってしまったり。
怖い。
怖いんだ。
自分の力ではどうにもならないことは、怖い。
*
僕が、「ハードボイルド/ハードラック 」を手に取ったのは、ブックオフでたまたま見つけたからだけど、この本を読むことになるのは、しばらく先になることは、なんとなくわかっていた。その「しばらく先」は、思いの外、すぐに来た。僕が、旅行することになったから。
旅行は、楽しかった。パートナーも一緒だったし、行ったことのない土地を――行ってみたかった土地を訪れるのは、楽しいに決まっていると、実際に訪れる前からわかっていた。
楽しい。楽しい。
でも、その裏では、常に同じ気持ちが渦巻いていた。
どこまで行っても、同じ街。
どこまで行っても、同じ僕。
どこまで行っても、僕は変わることなんて出来ないんだ。
どこまで行っても同じなら、どこにも行けないのと同じだ。
怖い。
怖いんだ。
自分のことなのに、どうにもならないなんて。
だから僕は、「ハードボイルド/ハードラック」を手に取った。
旅先で読めと、いわれた気がしたから。
*
――怖いの? 本当に?
ふいに、声がした。
その正体は、すぐにわかった。
僕にまとわりついている、この暗闇だ。
――変なの。ずっとそばにいたボクが怖いの? ずっと、そばにいたのに。
暗闇は、くすくす笑った。その笑い方に、嫌な感じは受けなかった。
――怖くないよ。
僕は、応えた。
実際のところ、僕は怖くなかった。……「怖くなくなった」の方が、正しいか。何せ、いつからいるのかわからないほど、ここにいるんだから。まったく、慣れというのは恐ろしい。
――僕が怖いのは、
――光、でしょ? 君が怖がっているのは。
どうやら、暗闇は、僕のことは何でもお見通しらしい。
――だって君は、ずっとボクの中にいたんだからね。すっかり、なじんだところだったのに。今度は、よくわからない光の中に、投げ出されそうになっているんだもの。
光。
光って、何だっけ。
明るくて、眩しくて、それから……。
だめだ、思い出せない。思い出すのが、怖い。
――大丈夫だよ。
暗闇は、慰めるようにいった。
――だってボクは、光と友達だから。友達の友達は、友達なんでしょう? 君も、ボクと友達なんでしょう?
――そうだね。
僕は、笑っていた。
――そうだね。そうだった。どうして、忘れていたんだろう?
気付けば、暗闇も笑っていた。二人の笑い声だけが、そこにあった。
――じゃあ、もう大丈夫だね。
何が、と僕が訊く前に、暗闇はその体を白く光り輝かせた。その眩しさに、僕は思わず目を細めた。
――あ。
僕は、思わず声を漏らした。
暗闇は――光は、僕のすぐ目の前にいた。
ハードボイルド/ハードラック/吉本ばなな(1999年)