世界の中心で××を叫んだけもの([映]アムリタ 新装版/野崎まど)
2020年1月1日。
僕は、生まれて初めて、小説に恐怖した。
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日本の三大奇書の一つに、夢野久作の『ドグラ・マグラ』がある。「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」と謳われている、あの。
僕も読んだことはあるけど、「精神に異常を来たす」ことは、残念ながら無かった。「残念ながら」なんて云うのは、おかしいけど。
でも、一度でいいから、体験してみたいと思った。「感涙必至」とか「心を動かされる」とか、陳腐な謳い文句は当てはまらない、精神を根元から揺さぶられるような読書体験を。
でもそれは、愚かな願望だったことを、『[映]アムリタ』を手に取った瞬間に思い知った。
『[映]アムリタ』は、芸術大学の映画サークルを舞台にした、自主制作映画をめぐる小説だ。役者志望の主人公が、監督志望の天才美少女と交流する内に、徐々に惹かれていき……一見したところ、どこにでもあるようなライトノベルの設定だ。
けれど、第一章を読み終えたとき、僕は、今までの読書経験をふり返ってみても、初めて味わう感情を覚えた。
今すぐ、この本を手放したい。
ストーリーが、つまらなかったわけじゃない。腹立たしい描写が、あったわけでもない。僕が読んでいたのは、物語の序盤だ。何かしらの仕掛けがあると思われる映画のことだって、まだ明らかになっていない。それなのに、「読みたい」でも「読みたくない」でもない、この感情は何なんだ?
僕は、何に怯えているんだ?
結論をいえば、僕は『[映]アムリタ』を読了した。ヒトは、未知のものに恐怖を覚えるから、それを未知のままにしないことが、僕にとっての薬だと考えた。
けれど、その薬は、劇薬だった。その結末は、僕が抱えていた恐怖を倍増させた。それこそ、「精神に異常を来たす」くらい。
「深く感動させる、というのは」
答えてくれたのは、最原さんだった。
「上映時間、例えば二時間の中で、見た人を笑わせて、怒らせて、泣かせて、失望させて、願わせて、祈らせて、諦めさせて、死にたいと思わせて、それでもまた生きたいと思わせる。そういうことです」
――野崎まど『[映]アムリタ』p49より引用
もしかすると、僕は、作者の術中に陥っているんじゃないか?
作中で、問題の映画は制作され、完成され、上映されるけど、それは、本当に作中で起こったことなのか? だって、僕が読んでいたのは、『[映]アムリタ』だ。『[映]』と付いているじゃないか。僕も、その映画の観賞者だったんじゃないのか?
僕は?
僕が今いるここは、どこ?
[映]アムリタ 新装版/野崎まど(2019年)(オリジナル版:2013年)
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