終わりが終われば、始まるんだよ。(I Care Because You Do/西島大介)
椎名もたくんと初めてコンタクトを取ったのは2012年のことでした。拙著『I Care Because You Do』に「これは僕の物語だ!!」と強く反応してくれたことがきっかけでした。
――「椎名もたくんのこと」土曜日の実験室+ 詩と批評とあと何か より
この作品の舞台は、’95年。椎名もたは、当時17歳。僕よりも年下。けれど、すでに絶版になっていたそれをAmazonで注文し(中古だけど、なんとかあった。)届いたその日の内に読み終えたとき、たしかに「これは、僕の物語だ」と思った。
庵野秀明と、
リチャード・D・ジェイムス。
あとYOSHIKI。
これが僕の神さま。
なんてことだ、三人もいる。
――『I Care Because You Do』より
17歳、か。17歳の、春、夏、秋、そして冬……。僕は、何をしていたんだろう。たぶん、何もしていなかったんだと思う。作家を目指そうと思ったのは18歳のときだし、まだニコニコ動画に出会っていなかったから、オタクでもなかった。(僕がオタクになったきっかけは、ニコニコ動画。)ましてや、庵野秀明もYOSHIKIも、ましてやリチャード・D・ジェイムスなんて、その名前を聞いたことすらなかった。あの頃の僕は、何をしていたんだろう。
ああ、そうだ。J-ROCKに傾倒していたんだっけ、たぶん。ROCKIN’ON JAPANとか、毎号買っていたし。お小遣いは、CDやDVDに全部費やして。気になったアーティストは片っ端からチェックして……。
何だ。
僕もちゃんと、何かをしていたんじゃないか。
(ちゃんと、って何だろう。)
きっと僕には、庵野秀明でもリチャード・D・ジェイムスでもYOSHIKIでもない神さまがいたんだと思う。
けれど、そんな僕も大人になって。あれだけ燃え上がっていた情熱も、いつのまにか鎮火して。何に情熱を注いでいたのかは思い出せるけど、どうしてあんなに情熱を注いでいたのかは思い出せなかった。これが、大人になるってことなのかな。僕には、よくわからないけど。
でも。神さまは、いなくなったわけじゃないみたいだ。だって、時々聴こえてくるんだもの。かつて自分を救ってくれた歌とか、ことばとかがさ。
そっか。
情熱は無くなっちゃったけど、熱そのものが無くなったわけじゃないんだ。僕は17歳じゃなくなったけど、それはカンテラのように、これからも僕を導いてくれるんだ。それを思うと、なんだかうれしかった。
……僕の、神さま?
BUMP OF CHICKENと、
RADWIMPS。
あとYUI。
これが僕の神さま。
なんてことだ、三人(?)もいる。
ふふ。
よかったら、聴いてみてね。
I Care Because You Do/西島大介(2012年)※品切れ