花布、あるいは知っている全てについて(彼女のいる背表紙/堀江敏幸)
花布のあたりにそっと指をかけて書棚からその本を引き抜き、
――『固さと脆さの成熟』より引用
「花布」
そのことばを知ったのは、『彼女のいる背表紙』の1頁目だった。
花布(はなぎれ)
本製本の中身の背の上下両端に貼り付けた布。
――e book cafeより引用
「はなぎれ」と読むらしい。
(茶色い布の部分のことですね。)
名前こそ聞き覚えはないけれど、たぶん、本好きなら触れたことのある部分だ。
「花布」に指をかけて、棚から本を抜き取る仕草。
それは、気に止める必要もない、ありふれた仕草。
けれど、ことばにされると、こんなに愛らしい響きを伴うのか。
なんだか、愛しい人を形容するような美しさがある。
この随筆集は、「花布」に触れたときから始まる。
*
不眠の僕は、悩んでいた。
何について悩んでいたのかといえば、「不眠」と自分に枕詞を付けるくらいなので、不眠について悩んでいた。しかも、悩みというのは、不眠を悪化させるらしく、そして僕は、日ごとにますます不眠を深めていくのだった。
眠れないときは、眠ろうとしなくていいらしい。
なので、買ったばかりの『彼女のいる背表紙』と向き合う日々が続いた。
本にとどまらない、「書」にまつわる随筆の小品集。
パヴェーゼの本を開くときはまず、睡眠をたっぷりとって体調を整えておく必要がある。
――『きみは、夏じゃないんだ』より引用
チェーザレ・パヴェーゼという作家の小説は難解なので、それを読むためには、入念な準備が必要だという話だ。
とりあえず、不眠の僕には読めないので、無縁な作家だ。
では逆に、不眠症の人間でも開ける本は何だろう。
たとえば僕が、今まさに手に取っている本だろうか。
「静謐」で満ちている、この本が。
頭の中で、濁流が轟々と音を立てていても、頁を開いた瞬間に、それらはすっかり凪いでしまう。その静謐の前では、鳴りを潜めてしまうんだ。
間違っても、「静寂」ではない。
「静寂」は、もの寂しいことだから。でも、この静けさは、僕にとって心地のいいものだから。
だから、この心地よさを与えるものに、「静謐」と名付けたい。
いるとわかっているときは、なんとか接触を避けようとして通り道を変えたりするくせに、いなければいないでひどくさみしい気がする、そんな女性。
――『ああ、マダム・ドダン!』より引用
ところで、不眠の僕は、快眠の僕に、少しずつ戻りつつある。不眠のきっかけは何だったのか、今では思い出せない。
不眠だったときは、あんなに眠りたいと思っていたのに、眠れる今では、それを思う必要がなくなったことが、少しだけ寂しい。
けれど、僕の手元には、いつでも本がある。
「花布」に指をかけるとき、僕はいつも「静謐」の中にいる。
彼女のいる背表紙/堀江敏幸(2009年)