いのる(セッちゃん/大島智子)
僕のパートナーは、赤ん坊の匂いがする。
もしくは、母親の匂い。
どっちも嗅いだことはないし、
どっちも似たようなものだけど。
それをパートナーに言ってみたら、
あはは、と笑われた。
あはは。
僕は、テレビを見ない。
というか、持ってない。
ラジカセはあるから、
ラジオは毎朝聴いている。
目当ては、7時前の5分ニュース。
いい知らせも、悪い知らせも、1分もしない内に流れていく。
「そんなことがあったんだ」
それで、終わり。
それ以上の感想は、持たないようにしている。
3.11以降。
SEALDsとか、
若い人たちが、政治に対してなんやかんややるようになった。
僕とそんなに年の変わらない人たちが、
政治っていう大きなものに、声を大にしているのを見て、
僕は、ただこう思った。
「もうすぐ、世界は終わるんだろうか」
で、『セッちゃん』の話。
時は、学生運動まっさかり。
おそらくは、上記と同時期の話。
『セッちゃん』では、
人々は、ざっくり2つに分けられる。
「あっち側」の人間か、「こっち側」の人間か。
「あっち側」にいるのは、
前述したような、世界を変えようとしている人たち。
「こっち側」にいるのは、
これからも、世界は変わらないはずだと思っていた人たち。
『セッちゃん』には、主人公が2人いる。
誰とでも寝てしまう女の子・セッちゃん。
誰にも興味を持てない男の子・あっくん。
――『セッちゃん』あらすじより引用。
2人共、「こっち側」の人間だ。
たとえ、
学生が座り込みデモをしていても、
海外で爆破テロが多発していても、
きっといつかは、
いつもと変わらない日常が戻ってくると、そう考えて、
2人はいつものように、
バイトをしたり、カレー作るのに失敗したりした。
…美味しい?
うん、おいしい。
だれかとするよりおいしい。
――『セッちゃん』pp.134-135より引用
でも、
世界は、そっとしておいてくれなかった。
セッちゃんを、あっくんを……僕を。
SEALDsを初めて知ったとき、
この人たちのようにはなれない、と思った。
与党とか野党とか右翼とか左翼とか、よくわからないけど。
でも、その全てに、
良いも悪いも酸いも甘いもあるから、
僕は、そのどれにも偏りたくなかった。
あの人たちは、
自分たちの国を守ることに必死で。
僕は、
自分の世界を守ることで精いっぱいで。
でもなあ。
ずっとそういう風に生きてきたし、
そういう生き方が好きだし、
大切なものは、ひとつあれば充分だから。
もし、世界が終わる瞬間に立ち会えるとしたら、
そのときに、寄り添う手があったらな、と思う。
その手が、今のパートナーのものだったらいいな。
パートナーは、赤ん坊の匂いがする。
もしくは、母親の匂い。
いつまでも、この匂いがそばにあることを、願っている。
セッちゃん/大島智子(2018年,小学館)