そっちを向いたままでいて(愛情観察/相澤義和)
女の子の、背中やお腹が好き。ちょっと屈んだときに、ぽこっと出る下腹とか。……いや、皮肉とかじゃなくて、本当に。まあ、女の子が最も見られたくないものトップ3に入りそうなパーツだけど、そういうのって、すごくかわいいと思う。でも、「じゃあ、どんな女の子を見てもそう思えるの?」と訊かれたら、違うよ、と思う。(僕だって、嫌いな女の子の1人や2人はいる。)どう違うのかっていうのは、上手く説明できないけど。何だろう……。その人を愛しいと思うかどうか。たぶん、それだと思う。
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#遅咲きピロートーク
以前から、ツイッターに「ピロートーク」と銘打ったショートストーリーを毎夜投稿している。登場するのは、2人だけ。男と女の、2人だけ。恋人かもしれない、恋人じゃないかもしれない、そんな男女の愛(哀?)を描いている。僕は、想像する。誰が。どこで。何を……は、いうまでも無いか。……んん。すると僕は、様々な男女の営みについて、夜な夜な思いを巡らせていることになるな。訂正します。想像じゃなくて、妄想している。まあ、それはさておき。
きっかけは、1冊の本だった。
愛情観察/相澤義和
僕は当時(といえるほど以前ではないけど)、女の子が怖かった。恐怖症っていうわけじゃないんだけど、女の子は、こう、あんまり触れてはいけないような、僕の中ではそんな存在だった。たぶん、怖かったのは女の子じゃなくて、女の子に触れることだったと思う。体にも、心にも。自分でもよくわからないけど、触れた途端にぬかるみにはまってしまいそうな、そんな恐怖があった。恐怖っていうのは、色んなことを忘れさせる。悪いことも、良いことも、何もかも。
どうして、忘れていたんだろう。愛しいと思うことも、あったはずなのに。何人もの女の子を目の前に、そう思った。ここに写っている女の子――「愛情観察」されている女の子には、熱がある。ぬくもり、じゃない。ぬくもりというには、ぬるすぎる。こちらに向けている顔を、体を、仕草を、女の子自身さえも溶かしてしまいかねない、生々しい熱。
「愛は、生々しい。」
はは。
全く以て、その通りだ。
触れなくてもわかることは、たくさんある。でも、触れないとわからないことは、もっとあると思う。僕は、女の子を愛しいと思った。僕/俺が愛しいと思う女の子達を、書きたいと思った。
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女の子の、背中やお腹が好き。もし触ったら、嫌がるかな。嫌がる顔も見てみたいけど。それは、意地が悪いかな。眺めるだけでも、いいけどね。だって、愛はちゃんとここにある。
愛情観察/相澤義和(2019年)