滑る指先、滑ることば(湖とファルセット/田村穂隆)
水草が川面を覆う 忘れなさいあの日あふれた言葉のことは(p108)
たまりの水は腐る。流れる水は腐らない。と、いつかどこかで読んだ。たしかに、海なり湖なり腐るのは見たことがない。(赤潮とか、あれは腐っているわけじゃないか。)
海も湖も、あと池も、とどまっているようで、どこへでも行く。理由は他にもあるだろうけど、理由らしい理由はそれだろうか。ぼくが、水場を好きな理由。蛇口から水が流れる様を見るのも、近所の川を見に行くのも、昔から好きだった。なにも考えなくていいとは、このことか。と、ふと思い。
道脇に苔の緑はぬめるばかり言葉は傷に蔓延るばかり(p46)
水は流れていく。頭の中をことばが滑っていく。そのまま忘れることもあれば、なにか気に入れば覚えておく(メモする)こともある。ただ流れるのを見ているだけで、時々、身綺麗になった気さえする。本当に、ただの気のせい。
何年か前。思い出したくもないほど、苦しかった時期。まだ車を持っていた時期。休日の度、海へ行っていた。海水浴場に指定されていない、ゆえに、人が入ることは考えられていない浜辺。たまに釣りする人がいるくらい。
ぼくは釣りはしないし、爪先を濡らすこともしない。浜辺に座って、寄せては返す波を眺めるくらい。辺りが暗くなって、波が波に見えなくなるまで。気分が特別晴れるわけじゃない。でも、慰めにはなっていた。
息をしていることに気づいたとき息が苦しくなって 石楠花(p78)
水は流れていく。頭の中をことばが滑っていく。苦しくても、苦しくなくても、それは変わらない。変わらない日々。ぼくは、今でも水場にいる。
とどまったり、流れたり、またとどまったり。それは慰めで、時々希望のように見える。止まらないことを、怖いと思うこともあるけれど。それでも、ぼくは水場にいる。止まったら、きっとしんでしまうのだし。ぼくは、まだ生きていたいのだし。
この世との握手を拒む両の手が<白骨樹>という言葉に触れた(p86)
指先が滑っていく。紙の上を滑っていく。ことばを読んで、ことばを書いて。ぼくは水場にいる。自分だけの水場にいる。水もことばも、すべてが流れていくのを怖がりながら、それを美しいと思っている。一見複雑で、けれどきっと単純だ。ぼくのことばも、あなたのことばも。
「湖とファルセット」
湖とファルセット - 田村穂隆(2022年)