【映画感想】圧巻の映像美、『ザリガニの鳴くところ』の魅力とは
はじめに
2022年、映画界に静かな衝撃を与えた傑作「ザリガニの鳴くところ」。当時はそこまで大きな話題になっていなかったと記憶している。この作品は当時の私の心を掴み、2024年現在でも鮮やかな余韻を残している作品の一つである。「2022年に見た映画で1番良かった」といっても過言ではない。美しくも荒々しい自然、孤独な少女の成長、これらの要素が絶妙に絡み合い、観る者を魅了してやまない。
本作は単なる映画を超え、一つの体験ともいえるであろう。ノースカロライナの湿地帯を舞台に繰り広げられる美しくも残酷な物語は、鑑賞したものを未知の世界へと誘う。
今回のレビューでは、私が感じた作品の魅力を余すところなく伝えたい。
あらすじ
予告
単なるミステリー映画ではない
あらすじや予告を見るとミステリー感が満載である。しかし、個人的にこの映画の魅力は、なんといっても息をのむような映像描写と、自然の本質を浮き彫りにするストーリー、人間と自然の関係性を深く掘り下げたテーマにあると考える。本格ミステリーのようなテイストを期待すると裏切られてしまうだろう。
ミステリーと自然の融合
しかしながら、ミステリーが本作の重要な要素であることは否定できない。チェイスの死をめぐる謎は、カイアの人生経験、自然との関係、そして彼女の倫理観を効果的に描き出すための重要な枠組みとして機能しているからだ。
この事件を通じて、カイアの過去と現在が結びつき、彼女の人生の様々な局面が明らかになっていく。
そして、湿地の生態系や自然の法則と死の謎が巧みに絡み合っており、例えば証拠の不在が湿地の浄化作用によって説明されるなど、自然そのものが謎解きの鍵となっている。
さらに、チェイスの死の謎は、社会の法律と、自然界の生存原理の対比を鮮明に浮かび上がらせ、善悪についても我々に考察を促す。カイアの行動が自然の摂理に従ったものなのか、それとも社会の規範に反しているのかという問いを投げかけているのである。本作の中で、「自然界には善悪はない」というメッセージはカイアの行動の本質を理解する鍵となっている。
これらによって、本作のミステリー要素が単なる犯人探しとしての面白さではなく、人間の本質と自然の法則をめぐる哲学的な問いをもたらす独特の味わいをもたらしている。ある意味で、自然の本質に迫る哲学映画という見方もできるのである。
自然の二面性〜美しさと危険性〜
全編125分の中で物語を支えるのが、湿地帯の美しさを余すところなく描き出す卓越した映像美だ。デイジー・エドガー=ジョーンズ演じるカイアの繊細な演技と相まって、観客は冒頭から現代社会から切り離された自然の世界に引き込まれていく。
しかし、この美しい自然は同時に危険も内包している。カイアは常に自然の脅威と向き合いながら生きており、これは自然の両義性、つまり慈愛と無慈悲さを併せ持つ存在としての自然を我々に想起させる。この環境の中で、カイアは生存のための知恵と技術を磨いていく。
カイアの生き方
カイアの生き方は、自然と共に生きる自由と、それがもたらす孤独や危険を鮮明に描き出す。彼女は学校教育という社会の枠組みから解放され、自然を教師として自由に探究心を育んでいく姿として描かれる。鳥の羽根を集め、貝殻を拾い、自然の中で自由に探究心を育んでいく様子は、現代社会では失われつつある子供時代の原風景を思い起こさせる。
しかし、この自由は同時に深い孤独をもたらす。カイアは、社会から隔絶された環境で、人との触れ合いや愛情を得られない孤独な日々を送る。この孤独は、彼女の内面に深い傷を残し、人間関係を築く上での障壁となっていく。
また、自然の中での生活は常に危険と隣り合わせである。例えば、突然の嵐や野生動物との遭遇など、文明社会では経験しない危険が日常的に存在する。社会から孤立していることで、人間社会の危険にも無防備になる可能性がある。
監督の演出
オリビア・ニューマン監督の繊細な演出は、これらのテーマを巧みに織り交ぜ、観る者に考察を促す。特に最後のワンシーンの見せ方は、鑑賞者にとってカイアが自然の中で培った「自然」そのものを考える役割として、この上なく機能しているといえるだろう。
まとめ
現代社会で失われつつある自然との繋がりを再考したい人、美しい映像と深い物語を楽しみたい人に、強くお勧めしたい一作である。
「ザリガニの鳴くところ」は、単なる自然讃歌を超えた、複雑で壮大な物語として、長く記憶に残るだろう。
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