魂のリレー『最善手ドリル』★16★
こんにちは! 藍澤誠です。初めましての人もいると思います。どうぞよろしくお願いします。『最善手ドリル』という連載をしています。もしよければ、初めからご覧ください。
最初からトライ / 前回のドリルへ
さて今から20年前の1998年。私が今の塾をオープンする前のこと。日本が本選に初出場したフランスワールドカップの年ですね。私は大学を卒業してから2年間、マンツーマン指導を売りにした塾にアルバイトとして勤め、小学生から高校生に授業をしていました。
先生になって初めて迎えたドキドキの夏期講習。担当生徒に「ハルチー」という中学2年生の女の子がいました。ハルチーはすごく気難しい女の子で、機嫌がいいときはしゃべるのですが、日によっては最初から最後まで無口という・・・新人塾講師泣かせというか、思春期全開の女の子でした。うわ、超ひさびさ彼女のことを思い出したのですが、なぜかちょっと胃が痛いよ。
そんなハルチーは英語と数学はそこそこできるものの、漢字がさっぱりで、読書の習慣はゼロ。国語の成績はもちろん2です。そしてハルチーに課された夏休みの国語の宿題は――お約束の読書感想文・・・。以下、ハルチーのセリフです。けだるさと不機嫌ボルテージをマックスにして読んでください。
「センセ、あたしに読める本とかこの世に存在すると思う? 読書感想文5枚とかありえないんだけど」
【問題】
そんなダルダルなハルチーに、あなたはおすすめの本を貸さなくてはいけません。いったいどんな本を貸せばよいでしょうか。
①ハルチーのために、先生自らが書き下ろしたラノベ作品『涼宮ハルチーの憂鬱』
②中高生の心をガッチリキャッチできる山田詠美さんの名作『ぼくは勉強ができない』
③さくらももこさんの想いがいっぱい詰まったエッセイ集『もものかんづめ』
制限時間1分
【解説と解答】
まず①の『涼宮ハルチーの憂鬱』が外れるのは言うまでもない。たった一人の生徒のためにオリジナル書き下ろしラノベを書こう!というアイデアというか心意気は高く評価できる。しかも「読書感想文に悩むというハルチーの憂鬱」を汲み取った作品はぜひともリアルに書いてあげたいが、いろいろと面倒くさい事態になるのは間違いないし、ギャグが通じない先生も多いことを忘れてはいけない。『納税はディナーの後で』というタイトルの税の作文(同じく夏休みの宿題)を書かせて提出させ、生徒とともに私まで怒られたことは記憶に新しいだろう。そもそもオリジナル書籍が、ハルチー自身の「は?」のひとことで葬られる可能性は高い。
正攻法としては②だろう。山田詠美さんの丁寧に整えられた文章は、国語の苦手な中学生も完読できると思う。ぜんぶ読まなくとも、気に入ったセリフだけ拾ってもらえれば、5枚は少々厳しいけれど、そこそこの感想文は書けると思われる。
しかし――今回の相手は18年後にすら、時空を超えて教師の胃を痛めてくるハルチー。「少しでも難しい箇所があったらマジでゲロ吐くよ。センセ、あたしを殺す気?」と言い出すこと必定。
最善手③ さくらももこさんの想いがいっぱい詰まったエッセイ集『もものかんづめ』
◎実戦の棋譜を見てみよう
中2のハルチーが、珍しく自分からアドバイスを求めてきわけです。
「先生、私でも読める本、ありますか? あればぜひ教えていただきたいです。読書感想文を5枚も書かなくてはいけなくて困っているんです」(←まともな言葉に意訳)
私が選んだのは、さくらももこさんの『もものかんづめ』でした。ハルチーに「ちびまる子ちゃん、好き?」って尋ねたところ、
「大好き!」
と(これまた珍しく)笑顔で返してきたので、「たぶんこれはいける!」と思ったのですが、私はもってきた『もものかんづめ』を貸す前に、これまで自分が読んださくらももこさんのエッセイの中で、もっとも好きなエピソードをハルチーに紹介しました。
私:「さくらももこさんが小学生ころ、教室に絵ばっかり描いている子がいたんだって。ふだんはめっちゃぼーっとしているというか、目立たないというか、ちょっと変わった子扱いされているような子で」
ハルチー:「あー、わかるわー。ていうかそういうヤツいるし」
私:「でね、その男の子が描いていた絵をちらっとのぞいたとき、さくらさんは――ものすごく衝撃を受けたんだって」
ハルチー:「・・・・・・」
私:「あるものに感動したんだけど、何だと思う?」
ハルチー:「ふつーに、スゲー絵が上手かったから?」
私:「それも正解かもしれないけど・・・えっとね、さくらさんの答えは――その子が何も描いていなかったから。描かれていたのが何の絵でもなかったから感動したんだって」
ハルチー:「は?」
私:「ふつうさ、絵を描くときって、何かを描くでしょ? たとえばたった今、そのあたりからこっちの絵を描くなら、勉強しているハルチーと私が主人公で、このあたりのホワイトボードとかは背景になって」
ハルチー:「あ、あぁ」
私:「でもね、さくらさんいわく、その子の絵は・・・何かの絵になっていなかったんだって。人物とか何かを選んで描くんじゃなくて、そこにあるものをそのまま描いているんだって。目の前の物を、これが良いとか悪いとか、これを書く、これは書かないとか選ばないで、世界をそのままに描いていたんだって」
ハルチー:「――」
私:「たぶん・・・さくらさんの文章、すごく気に入るよ、ハルチーなら。何冊か持ってきたけど、これとかどうかな? 作文なんて書かなくてもいいからとりあえず読んでみてよ」
難しい時期を過ごしてるハルチーなら
わかるよね?
自分がのけ者にされかけている世界を
公平に描く強さと美しさが
そして――
その仲間のすごさを一瞬にして感じ取る小学生
それを文章にして伝える大切さ
さくらももこさんの感受性と表現力
さくらさんの感動はエッセイとなり、人に教えることを始めたばかりの、駆け出しの私を経由して、ハルチーにリレーされました。次の日には感想文を書き終えることに成功。こういう場合には「もう書いたから大丈夫!」と言って感想文自体は見せてくれないのが通常だけれど、そのときは恥ずかしがらずに読ませてくれました。かわいい字で、ひとつひとつの章ごとに感想を寄せていくハルチー。よく頑張ったね。私はもちろん、さくらさんの別の本を渡しました。
「何かの絵を描かない少年」のエピソードを扱ったエッセイが、何に収録されているのか。そして私がここに綴った内容が正しかったのか、今となっては確認できません。なんだかいろいろと若かったし、マンガの中か夢の中の話みたい・・・ずいぶん長い時間が経っちゃったし、とんでもない記憶違いをしているかもしれません。そもそも絵を描いていたのは、男の子じゃなくて女の子だったりして(笑)。多少ちがっていたらごめんなさいね。ぜひぜひ本文を確認してみてください。『ももかんづめ』に入っていないかもしれません。
手もとに本があれば、今すぐ確かめたいくらいだけれど――持っていたさくらももこさんの本は、ぜんぶハルチーにプレゼントしちゃいました。ハルチーはきっと、大切に持っていてくれることと思います。あのとき14歳だった子は、もう34歳くらい? もしかしてハルチー、ママになっているとか?! まさかハルチーの子どもが読んでいたり・・・うわ!ハルチーの子どもとか、間違いなくぴーひゃらぴーひゃら!
なるほど、世界はこうやってハッピーに、おどるポンポコリンになっていくわけですね。