舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を観てきました
私がハリーポッターシリーズにハマったのは、2019年の初春のことだった。
病院で少し読んでからハマってしまって、そこから全巻を図書館で借りてきて一気読みしたのをよく覚えている。その中でもいっとう好きだったのが、この舞台の脚本であった「ハリーポッターと呪いの子」であった。
pixivやら何やらで海外舞台のレポを漁り、いつかは必ず、海外に飛んででも観にいきたい、と思っていたので、日本公演が決まったときは、飛び上がるほど喜んで、必ず行こう、と決心した。そして先日、念願叶って、観劇することができたのだ。
初め、私は日本人キャストで大丈夫だろうか、と心配していたが、それは全くの杞憂だった。
原作映画の吹き替え、あるいはそれ以上の世界観の再現度。魔法の演出も迫力があり、まるで本当に魔法を使っているようにすら錯覚させられた。舞台セットにもこだわりが感じられる。そしてなにしろ、技量の伺える素晴らしい演技。まるで映画から飛び出してきたかのようだった。
この物語は、ハリーの息子、次男のアルバスと、マルフォイの息子スコーピウスの冒険の物語である。しかしそれだけではなく、ハリーやマルフォイの父親としての葛藤や、ハーマイオニーとロンの絡みもたくさん見ることができた。
アルバスとスコーピウスは、父親同士が対立する間柄でありながらも、互いが唯一無二の友人として、支え合っていくようになる。
アルバスは魔法の要領が良くなく、英雄であるハリーの子であることにコンプレックスを抱いている一方、スコーピウスは自分が父の子ではなく、ヴォルデモートの子ではないかと噂されており、互いに何か通ずるものがあったのだ。
アルバスは成長するにつれて、父親と軋轢が生じ、父を訪問していたセドリックの父から偶然耳にした、タイムターナー(時間逆行のできる道具)の存在を知り、親友スコーピウスとともにセドリックを救うため、冒険に繰り出したのだった。
名シーンばかりで、話は知っているにもかかわらず、第一部も第二部もぼろぼろと涙が溢れてしまった。オペラグラスを持って観ていたため、細かな表情や仕草の機敏が見えたことも相まって、感情移入していくばかりだった。
特に印象的だったのは、父親として苦悩しているマルフォイが、ハリーに対して、「子供を育てることよりも、自分が大人になることの方が世界一難しい」と悲痛に訴えかけるシーンだった。
死喰い人(ヴォルデモートの手先)だった両親に、愛情は受けながらも、偏った思想を刷り込まれて育てられ、ヴォルデモートの死後は、その世界から抜け出し、幸せな人生を始めようとするも、彼は体の弱かった妻を喪ってしまい、唯一の家族となったスコーピウスともぎこちない。そんな彼の口から聞くその言葉には、想像を絶する重みがあり、思わず私は嗚咽を漏らした(不覚にも声が出てしまって申し訳ない気持ちになった)。
他にも好きなシーンばかりだが、セブルス・スネイプが登場したときは、その細かな仕草の再現度に驚いた。まるで小説のイメージや映画のそのままだったのだ。普段はあまり見られない彼の感情の機敏、そして教師として、実力ある魔法使いとしての頼もしさなど、見どころもたっぷりだった。
また、タイムターナーの影響で変化してしまった世界でも、互いへの愛を心の内に秘めているハーマイオニーとロンの、ロマンスもとても良かった。闇に染まってしまった世界線で、死を前にようやく愛を確かめ合う場面では、穏やかに語り合う二人の姿に涙が止まらなかった。
なにより、アルバスとスコーピウスの、友情という言葉では軽すぎるほどの互いへの想いには胸を打たれるばかりだった。
引き離されても、互いが互いを大切にしている描写や、激しい口喧嘩の後に、結局互いに寄り添いあい、仲直りをする場面。アルバスの勇敢さと、スコーピウスの聡明さを、それぞれが互いに尊敬しあっていて、バディとしてこれ以上ないほどの素晴らしいコンビだ。
二人のやりとりを聞いているだけで楽しいし、時々挟まるスコーピウスの魔法オタクっぷりや少しずれた物言いにもクスッと笑わされる。
そして最終決戦も大迫力で、魔法の炎の演出が特に素晴らしかった。敵からの攻撃の光線や、ハリーたちの戦闘アクションの演技も迫力があり、瞬きも許されないような気さえした。
本当に素晴らしい舞台で、まだ興奮が収まらないし、観に行くことができて良かったと心から思っている。公演はまだ続くので、ぜひ、気になった方には見に行っていただきたい。