ぼくを探しに
短編にはエキスが詰まっている。
シンプルで濃縮されたエキスが。
シェル・シルヴァスタインの本は、
その最たるものだと思っている。
💡ぼくを探しに
僕は思っている。
自分は探すものではなく、創るものだと。
それでも、恋愛やら 人生、友達関係に、
どこか夢を見ている部分もあった。
無意識に、
自分の手を握って、スポットライトの下へ
誘い上げてくれる白馬の王子が現れることを。
たぶん そんな思いは、
ほかの人にも有るのだろう。
そうシルヴァスタインにも。
💡とがき
ト書きに次のような言葉が書かれている。
何かが足りない。それでぼくは楽しくない。
足りないかけらを探しに行く。
ころがりながら僕は歌う
「ぼくはかけらを探してる
足りないかけらを探してる
ラッタッタ さあ行くぞ
足りないかけらを・・。」
シルヴァスタインの本は、幾冊も読んだ。
たぶん日本語訳されているものは全て。
やさしい言葉と絵を使っているが、
内容は 哲学 だ。
💡自分さがし?
結論をいえば、自分さがしの旅は終わらない。
よく、人は失くした半身を探していると聞く。
それが結婚相手なんだと。
これは【 饗宴 】という本が
出典とされている。
その中で、喜劇詩人のアリストパネスが、
原始の人間は、
男と女と男女(両性具有)の三種があり、
それらはいずれも背中合わせで二体一身
(男男、女女、男女)だった。
彼らは力も気概も強く、神々に挑戦したので、
ゼウスによって半分に割られたと。
こうして我々は、自分の片割れを探し
互いに求め合うようになったのだと。
かつての完全な体【 球 】ビッグ・オーは、
欠けた半身を探すのだが…。
💡人と人の関係って
過去に結婚も離婚もしました。
それで気づきました。
自分に合った欠けた半身は、存在しません💦
少なくとも僕には。
人と人の関係って、
たがいに欠けた部分をおぎない合ったり
寄り添うあう事だと知った。
でも、
それって努力でなんとか成らない事もある。
だから、愛に理屈はいらないと感じた。
それが『 友情 』でも『 情愛 』でも
なんて呼び名で有ろうと良い、
ただ その人と居たいという気持ちを
僕は信じる。
💡エピローグ
最後にシルヴァスタインの
『 屋根裏の明かり 』に収録されている詩を。
🌿 暗記魔のアン 🌿
アンは、辞書を暗記した。
でも なぜか、仕事は 見つからない。
それに、辞書を暗記した娘と
結婚したい奴も 見つからない。