玄米”毒”という噂~アブシシン酸?フィチン酸?アクリルアミド?
今日は、なぜか「炒り玄米」をおすすめする動画が上がってきたので、おやつになるかしら?と、出来心で視聴したら、普通に出てくるのですね、
”玄米には毒がある” という話。
最近、1日2食から1食に減らしたいばかりにおやつに走って遠回りしているかも?なわたくしですが(苦笑)、
10年ほど前に玄米を食べ始め、それから何度かチラホラと、そんな「うわさ」を小耳に挟んだことがありました。しかし、聴いた瞬間、
とわたしの中の科学的根拠のない信念がそんな噂話を完全にシャットアウトしていましたので、詳しく調べることはなく、すっかり忘れていました。
ところが、ある動画の中で「玄米には発芽毒があります。」と断言されていたのを聞いて、今回は探求心が反応してしまったので、予定外に深追いしてしまいました。
それにしても情報がたくさんありすぎてちょっと面倒になりましたが、
いくつかスキっと腑に落ちた解説と、いろんな方のそれぞれの見解を知った上で自分で出した結論を、せっかくですので今日はシェアさせていただこうと思います。
玄米”毒”について、スキっと腑に落ちた解説
検索してすぐに出てくる情報の中で、玄米ご飯に含まれる”毒”とされるものは3つありました。
アブシシン酸(アブシジン酸)、フィチン酸(フィチン)、アクリルアミド*です。
それらについて分かりやすくて概ね納得できたのが以下の説明です。
*アクリルアミドについては、次の項目にて。
わたしの結論:自然栽培の玄米を一晩浸水して圧力炊飯器で炊いて、これからも美味しくいただきます
ご紹介した以外にもわたしのような個人的な解釈を述べた情報も見てみましたが、当該研究者ではない医学博士の話を引用しての解説はよいとして、ほとんどの「記事」は、そうした二次、三次情報を又聞きしての、独自の解釈、見解でした。もちろん、この「記事」もまた然りです。
二次、三次の情報でも十分に自分で判断を下せる題材もあるのですが、今回は、自分自身が毎日いただく主食である玄米のことなので、可能範囲で二次情報(科学的な研究結果に基づく解説=論文を読んで解釈、解説されたもの)と思われる解説、少なくとも情報元を付して解釈しているものに当たってみました。
ところでそもそも、この”玄米(アブシシン酸とフィチン酸)の毒性”について、まだ確証を得られるような十分な研究は存在しないようだ、ということは分かってきました。
それを念頭に置いて、いろんな方の解釈の「言葉」の使い方に氣を付けながら拝読し、それらを概観したわたしの印象は、
”通常の範囲での玄米食で摂取する可能性のある、アブシシン酸、フィチン酸の人体への毒性については、完璧に立証されたものでも、完全に解明された説でもない”
という感じでした。
というわけで、どの説明も、わたしが玄米食をやめる根拠にはならない、という結論に至り、
という相変わらず科学的根拠のない信念は健在で、三次以降の情報による中途半端な推論よりは、
「米や豆は生で食べてはいけない」
「米や豆は一晩水に浸してから炊く」
という、昔からの伝承が、わたしには一番、腑に落ちました。
伝承と感覚と、科学と
ある時点の科学技術で分析した結果は、事象の一部分にしかならない。
生きた知恵は伝承されてきた時間が長ければ長いほど確か。
科学で得た新しい知見も確かな実証をもって信頼できるものもあると思っていますが、この件に関してはまだ科学の分析は不十分だと思いました。
ただし、ですが、
圧力をかけて炊くという方法は、縄文のころにはなかったはずなので、そこだけ一応こだわっておきますと、
圧力鍋で炊くと”危ない”という噂のある「アクリルアミド」に関しては、こちらも100%信じるわけではありませんが、こちらの農水省の説明👇で十分かなあと思いました。
👇 食品中のアクリルアミドについて、よくある質問と回答(更新日:令和4年8月31日)
仮に、アクリルアミドの摂取量を氣にする必要があるとしても、
日常的な食事量による摂取で健康を害するような強い毒性があるのであれば、
というのがやっぱりわたしの結論です(笑)
ですので、おこげもいただきますし、
急ぐときは玄米を圧力炊飯器で炊いていただきます。
結局、どうのこうのより、
白米より玄米ご飯の滋味がおいしいからやめられないし、
なんとなく、やっぱりお米は浸水してから炊いた方がいい氣がするので、
そうします、ということになります。
そもそも「毒」という言葉自体、曖昧なもの、
好きなもの(こと)を貫くのに後悔なし、
振り回されないように…
そう思いながら、自分の信念や感覚、直感を100%信じられていなかったので疑念が生じて調べちゃったわけですが(苦笑)、少しご参考になれば幸いです。
食べられるお陰様に、感謝
これまでどれだけの人々が、食べものに含まれる「毒」を、身をもって教えてくれたのかを思って感謝しつつ、
同じ「毒」を食べても結果は人によって違う、ということもまた、身をもって、覚悟のうえで自分で確かめていこうと思います。
科学の知と経験の知、どちらでも、
自分で確かめたことだけが自分にとっては真実。
最後に、あえて言うなら、
信じる心は毒をも制す かもしれないとさえ思っていますが、
そんなリスクを冒さなければならないほど食料に飢えることのない、いまの世界にもまた感謝します。
わたしには食べることより好きなことが山ほどあります
…という割によく考えているのは食のこと、という自己矛盾(笑)
自己探求はまだまだつづく…
今日のタイトル画像は、PAL 農業プロジェクト さんからお借りしました。
うまくいってほしい素敵なプロジェクトですが、更新はこの記事の後、止まっているようです。どうなっているのか、氣になります。。