自分の言葉の手札はいくつあるか
例えば、〝寂しい〟についての自分の持っている言葉の表現はいくつあるだろう
コピーライターの梅田悟司さんは
『言葉にできるは武器になる』という著書で
自分の普段思っていることや考えている
「内なる言葉」に向き合い、意見を育てることで
それを「他者へ伝える言葉」に置き換えよ
と書いている。
コメンテーターの斎藤孝さんは
『語彙力こそが教養である』という著書で
人は脳で思考する時、無意識に言葉を使っている。
自分の持っている言葉の手札が少なければ少ないほど、思考は浅くなり深く考えることができていない
と書いている。
わたしはこの両者の意見をかなり信仰している。
自分の中の大切な考えトップ30には入っていると思う。(特にランキング付けたことないけど笑)
何かを表現したい時。
必ず「言葉」はついて回る。
わたしはその時、上記2人の考え方の掛け合わせが大切だと思っている。
斎藤さんの「語彙力を増やす」だけでもダメ。
梅田さんの「内なる言葉に向き合う」だけでもダメ。
向き合って、それを自分の中で噛み砕き、
細分化して種類分けして、
その後外に出すときに語彙力が必要になってくるのだ。
わたしは性質上、その場でのアドリブがいるスピーディな言葉のやりとりや攻撃は苦手だ。
だか、一旦整理してからであれば、ある程度やり合いできるし、意見を建設的に述べることができる。
全然頭は良くないし、大学はとりあえず行っていたみたいな人間だが、
仕事でも周りからもあまりバカに見られたことはない。
多分、言葉が大きく寄与しているのでは?と思っている。
(だからといって、別にトークが上手いとか器用とかではないので、饒舌と言うわけではないです)
これは、色んな要因があると思っていて、
1つ目は昔から小説を読んだり映画を見ることが好きだったこと。(質の良い言葉に多く触れていた)
2つ目は一人っ子で、一人で自分のことを考える時間が多かったこと。
3つ目は、親が小さい頃から共働きで休みも少なかったため、迷惑をかけないようにと色んな顔色を伺って過ごしていた。
なるべく我慢して、本当に必要なことだけ的確に伝えようという気持ちがあったこと。
だから、自然と上記二人の著者が言っていたことを多少なりともできていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで初めの問いに戻るが、
あなたは 寂しい をどんな言葉で伝えることができるだろう。
寂しい だけ言えば伝わる人もいるし、
もっと細かいニュアンスを伝えたい人もいると思う。
または、これ(寂しさの抽象)を見てあなたを思い出した、ということでより切なさを混ぜた寂しさを伝える方法だってある。
何かの小説で出てきた。
寂しさとは、雨よりも雪が降る様子で表現できると。
雪が降り続いて、それが溶けることなくどんどん降り積もっていく様のようだと。
つまり悲しいは一気に溢れるけど、
寂しいは少しずつ積もって、ゆっくりいっぱいになっていくイメージをしたのかなと解釈した。
また別の小説では
夕方散歩をしている時、住宅街から夕飯の匂いがして、ずいぶん遠くまで来てしまったことに気がついて、急に1人になったような、不安になってもう帰れないような気がした。
という風に、自分の中の不安な寂しい感情を
表現していた。
夕方、住宅街、他人の家族の気配、知らない街、
みたいな連想で、急な心細さや寂しさを表現した感じかな?
同じ寂しい気持ちでも、ニュアンスが違い、
それを色んな方法で表現している。
きっとこれをするには、まず寂しい・悲しい・切ない・など類似語の違いを自分の中で細分化するだろうし、その上で寂しいを定義していくだろう。
言葉の手札が多いと
より細かく今の自分の気持ちを表現できるし
抱えていたもやもやした気持ちの正体を
特定することができる。
わたしも言葉の手札、もっと増やしたいなぁ。
それを感じられる感受性ももっと育てたい。
増えると見える、新しい世界と、新しい自分がいると思う。
まず、考え方が気になった人は
以下の作品を読んでみてね。
おすすめです。
では
参考: 斎藤孝 語彙力こそが教養である
梅田悟司 言葉にできるは武器になる
#言葉にできるは武器になる
#語彙力こそが教養である
#斎藤孝
#梅田悟司
#コピーライター
#読書
#小説
#コラム
#エッセイ
#語彙力