
手のかからない子供だった私のほんとうの事
いわゆる、「手のかからない子」だった。
今でも、その通り生きようとしていた幼い頃の私にすこし支配されているような気がする。
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好き嫌いせずなんでも食べて、よく眠る
手のかからない大人しい赤ちゃんだった、
と母は言った。
お利口さんで慎重派で、お調子者の男の子の世話を焼きたがる面倒見のいいお姉さんみたいな幼稚園生だった、と父は言った。
なんでもひとりでできる手のかからない生徒だから安心してたわ、
と中学のテニス顧問の先生は、わたしとの面談で言った。
「本当はみんなみたいにもう少し気にかけて欲しかったし先生ともっと仲良くなりたかった」
というような事を、中学の担任にクラス替えの時日誌で書いて提出したことがあった。
驚いた担任が家まで来て、
手のかからない生徒で、なにも心配していなかったから、と親に話していた。
わたしも、ちょっと思いつきで書いただけですというような事を笑いながら言った。
高校時代は、進路のことで親が多少心配していたものの、入りたい大学に推薦入試で早々と合格を決めて安心させていた。
大学では、サークルでもバイト先でもなぜかしっかり者のキャラがついてしまって、あだ名が姉ぇさんだった。(同期からも先輩からもそう呼ばれていた)
学生時代、一度も反抗期はなかった。
社会人になって、営業職について、
一年目から見てもらっていた先輩からは、
コツコツ淡々とやれる子だからそこは何も心配していないよ、と面談で言われた。
心の中で、「何年手のかからない子をやってきてると思っているんだ」とちょっと悪態をついてみたが、もうそう言われることには慣れっこだった。
周りから見た本当のわたしは
どこまで行っても手のかからないいい子で、
28年もの間、そう言われ続けていた事を考えると否定をするつもりはない。
でもほんとうは、いつも一歩を間違えないようにと、気を付けていた。
その間違えた先の足をついたところは、他の人のちょっとした間違いではなく、とんでもなく大きな地獄が待っているような感覚だった。
全然自分の心とはうまく付き合えていなかったし、その事を態度に出していたらおそらく、
かなり心配されるような手のかかる子だった。
間違えないように歩こうと
いつも考えながら生きていた。
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小学生の頃、辛い事や悲しい事があった時、
仲の良かった子たちから無視された時、
あからさまな嫌がらせをされた時、ずっと好きだった男の子を親友も好きだと知って譲ろうと思った時、誰かが嫌な事をされていて教室の空気が最悪で辛かった時。
そんな時のために、
わたしは自分の神様を決めていた。
小さなメモ用紙に、大切な人の名前を書いて細く折り畳んでランドセルの誰にも見られない内ポケットに入れていた。
父の名前、母の名前、親友の名前、死んでしまった犬の名前、好きな男の子の名前
それを小さなメモ用紙に書いて、お守りとして持っていた。わたしだけの神様だった。
辛い時は教室やトイレでこっそりそれを握っていた。何度も取り出しすぎて、そのオリジナルの神様はシワシワになっていた。
それを握っている時は、心臓がぎゅっとなって今にも泣き出しそうな自分を堰き止めていた。
ほんとうのわたしは、
いつもかなり危ないぎりぎりにいた。
大人になってからも
恋愛でめちゃくちゃに落ち込んで会社をズル休みしたことや、お酒をアホほど飲んでたことや、
仕事でかなり精神的にやられて会社に座っているのが辛かった時や、
恋人に放って置かれていた期間、色んな男の子と会ったり遊んでいたこと。
たぶん周りの誰に話しても、想像がつかないと驚かれるだろう。
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ほんとうの自分なんて、自分にしかわからない。
むしろ、自分ですらわからないのだ。
今でも、あの時の弱くて踏み外さないようビクビクしていた自分と
手のかからない何でもひとりでやってしまうしっかり者の自分がいる。
どちらもほんとうの私なのだと思う。
幼い頃の神様はもういないとすると
今の、わたしだけの神様はなんだろう。
神様というと変な感じだけれど、
誰にも奪えない支えというか、お守りみたいな。
たぶん、大人になったわたしの神様は
ひとりでいく映画館。
心が疲れた時、辛い事が重なった時、
誰に頼らずとも支えてくれるのは
映画館で観るいい映画だ。
無理に時間を作ってでも、何かいい映画がやっていないかと無意識に探している時や、月に何回も映画館に行く時はかなり疲れているな、というバロメーターにしている。
しんとした暗い部屋で、ゆっくり噛み締めるみたいに言葉を聴いて、映像を観る。その後の余韻で頭の中がぼうっとする。
みんなは、自分だけの神様はある?
コメントで教えてほしいです。
大人になっても、だれにも奪えないオアシスみたいな、お守りみたいなものって必要だよね。