実家終い⑥(イースター)
翌朝、みんなでホテルのロビーに集まり、朝一番に母の面会に行く。
母と言えば、朝から家族LINEに「復活するからね」「復活したらみんなに金一封大会の復活祭するんだ」とか言って、父も「イースターだ!やろうやろう!」なんつって、緊迫感があんまりないもんだから、この時私はまだ「大丈夫」って気持ちが強かった。
面会後、改めて今後の治療方針について医師から説明を聞くとのことで、みんなの面会が終わった後、兄が父に付き添って聞いてくれた。
ホテルのロビーで待っていた私たちに兄が「ちょっとここじゃ話せないわ」と、ホテルの一室を借りることに。
広めの会議室みたいな部屋にみんなで入って、医師からの説明を聞いた兄が整理して話してくれた内容は以下。
そもそも入院する際、薬が効かず肺の炎症が良くならなければ、人工呼吸器を付けるという話になっており、父も母も同意していた、というのだ。
その時初めて知ったのだけど、人工呼吸器を付けるということは、
①会話ができなくなる。
②回復すれば外せるが、回復しなければ息をひきとるまで付けたままとなる。
③苦しそうだから外して、と家族が言っても外せない。
④人工呼吸器を付ける手術をした後、意識が戻らないまま息をひきとる人もいる。
ということらしい。
更に、人工呼吸器をつけても肺の状態が良くなることはないので、薬が効かなければ1〜2週間以内に回復しなければ見込みはないだろう、とのことだった。
(今振り返ると、なんかもう、あまりに「最後の手段」すぎて、言葉を失うよね)
話を聞けば聞くほど、「母が目を覚まして、呼吸器が外れて、元気になる」ってことが、超絶奇跡なんだって気がついてしまう。
そっちを信じてるのに、
その可能性、めちゃくちゃ低いんですよってことがわからないように思考を停止したいのに、
もうなんか、気づいたら泣きながら兄の説明を聞く私たちがいた。
それでも母は、少しでも希望があるならと人工呼吸器をつけることを希望した。
人工呼吸器を付ける手術は午後イチで行われるらしく、意識が戻ったら、病院から父に連絡がいくとのことだった。
私たちは、ホテルをチェックアウトして、車で20分程度の実家に戻ることに。
その後のことは、もうなんか記憶にない。
15時ごろ、「母の意識が戻った」と父に連絡があり、めちゃくちゃ安心したこと、その電話で翌日の面会希望時間を病院に伝えたことは覚えているけど、実家で何をして過ごしたのか、何を食べたのか、全然記憶にない。
ただ、姉と、「お母さんさ、大丈夫だよね」「え、大丈夫だよ」と確認しあうように話していたような気がする。
「お母さんがいなくなる」なんていう感覚とかは全然なくて、「え、何このフィクション、もういいから、もうこういうの、いいから」っていう感じ。
どうせ元気になるんでしょ。って。
まだ現実味がなかった。