『斜陽』
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。"太宰治『斜陽』
この世界で生きていて、おかしくなった人はおかしくないんだ、とおもわせてくれるような作品だった。
人間には生きる権利があるように、死ぬ権利もあるのではないだろうか。ただし、母が死ぬまではその権利は留保される。
この作品が認められていることが、わたしの世界にひとつの居場所を作った。
真面目でいることが恥ずかしいから、周りに馴染むために羽目を外した。けれど、それで得られたものはちっともなくて逆に息苦しさを加速させる。
最後の手紙に秘められた想いには『斜陽』という言葉がぴったり当てはまるようにおもえた、よく引用される『ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。』のフレーズも同様に。
影に光を射し込むような、そんな革命に限りなく近い言葉に憧れる。
この作品は一家族の破滅の物語と言われるけれど、わたしは救いの物語のようにもおもえた。
母は愛する子供に看取られながら死に、直治はそのことで自死という目標を達成できた。かず子は子供を孕むことで将来を託すことができる。絶望感に満ちた暗闇の中に照らされた一筋の光であるように感じた。死は救済では無いが、必ずしも荒廃ではない。変化は誰にだって起きるものだから。
世界は何か変わっただろうか。
直治は、あるいは太宰の思想は、自ら命を絶つことでしか完成し得なかった。
だからこそ、実際に太宰がこの世界に残したものは大きかった。多くの人を勇気付け、誰かの命を救った。
それは太宰が示した世界の醜さであり、やさしさでもある。ほんとうのことを伝える、太宰なりのやさしさ。
自らの破滅をもってして世界を糾弾した太宰を、だれかの心に寄り添った太宰にだれもが取り憑かれている。
だけど、世界は何か変わっただろうか。
今日も平気な顔をして生きるひとの影で、だれかが命を絶っている。
だれかが「革命」を起こさなければ、ほんとうの意味で太宰は救われない。
わたしは「革命」は起こせない。無力だし、怖いし。
でもだれか一人の中に燈を灯すことならできるって、きっと信じている、だから。
『戦闘、開始。』
太宰の厭世観に浸り、太宰が残した決意をわたしなりに叶えようと勇気をくれる、夕陽のさす光のような作品でした。
心の隅に宿った虹は、ほんとうの恋はなにか、どれだけ遊んでも違う、ある一人のことを想ってしまうこと、あなたのことですよ。第三者の言葉のはずなのに、ふと気づくと二人称の読み手の景色に投影されている。そんな言葉を紡ぐ太宰が好きです。
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