小説家チャレンジ36日目〜チャレンジと挫折〜
来週で50才になる。
去年からなんだが、じぶんで自分の年齢を、まったく受け入れられていない。男らしい私らしくなく、ほんとに潔ぎ悪い。
きょうは「ゆるせない自分」を書こう。
日本の実家にいる父親と、もう3年ほど話していない。暮れに、お正月に、父のお誕生日に、父の日に。
イベントのたび「父と話してないな。声がききたいな」と思う。ただ何を話したらいいか、サッパリ分からない。
3年まえに家の電話を解約した。それまで日本の両親と話したいときは、ウチの家電から実家の番号に国際電話をかけていたのだ。
日本の姉と弟とは、2年まえおそるおそる連絡をとり、受け入れてもらえたので、それいらいテキストかLINE通話でやりとりしている。
実家の父は、18年まえ私たち夫婦がホテル職をやめ、カナダで飲食店経営をはじめる時から、応援してくれた。店の経営を12年がんばってきた私と夫を、ずっと信じてサポートしてきてくれた、かけがえのない存在。
5年前。
私は45才だった。
40才のとき産まれた長男が、翌年から小学校にあがる年。私たち夫婦は将来のことを考え、店の移転を決める。
そのころ店をとりまく環境が大きく変わっていた。市の規制変更で近辺の路駐が禁止になった。そこへテナントビルの都合で、店にくるお客さま用の駐車スペースが大幅に減り、ビジネスにかなり影響がでていた。
同じビルの他のテナントと、駐車スペースのことでもめごとが増え、経営以外のストレスが大きくなっていった。
小さな店をずっと2人で回してきた。毎日スピードと体力勝負。30代で店をスタートしたが、夫婦共にアラフィフを迎え、同じルーティーンを続けるのが厳しくなってきた。
これからは店をスタッフに任せて、自分たちは経営に回りたい。小さい店を、勝手のわからない従業員2人だけで営業するのは無理なので、店の規模を少し大きくする必要があった。
駐車場トラブルはここにいる限り解決しない。せっかくきて下さるお客様に、使ってもらうパーキングが用意できないことに、日々フラストレーションを感じていた。2人とも体力的に限界を感じだして、けっきょく店の拡張と移転を決める。
そのあと新しい店舗が見つかり、賃貸契約書にサインした直後、44歳のとき、私は奇跡的に2人目をさずかった。
そこから2人で協力するはずだった、店の改装、オープン、雇用、営業スタートまですべてのプロセスの責任が、夫1人の肩にのしかかった。
その間わたしも、妊娠中と産後の体で、できる限りのサポートをしたが、けっきょくは夫の足を引っ張る程度の力にしかなれなかった。
最後のさいごまで、夫婦で気力をふりしぼってありとあらゆる手を打ってみたが、店は軌道にのらず、大きなマイナスをかかえて、店を手放すことになった。
事のあとで過ちを探せば、いくらでも失敗の理由はみつかる。無限に自分を責められるし、永遠に後悔できる。
経済的なダメージにくわえて、メンタルへの打撃は、うつの発作で緊急胃洗浄までしたことのある私の想像を、はるかに超えるスケールでやってきた。
外国で幼児と赤子をかかえて、一瞬にして夫婦で職を失い、そのうえ負債をかかえた恐怖は、原爆級の破壊力でわたしを吹きとばし、そのあと2年ほど私の中には、草一本生えない真っ黒な焼け野原が広がる。
いちばんつらかったのは、わたし達を最後まで信じて、応援してくれた大好きな父を、裏切る結果になったことだった。
終焉がせまり、もがく私たちの状況を冷静に見た弟は、ある時期から私たちのことをあきらめていた。それでも何とかしようと、再起の可能性にかける2人を、父だけが最後まで応援してくれた。
その大切な人の信頼を裏切ってしまった。
信じてくれた父の顔に泥をぬってしまった。
そんな自分を許せない。こんな結果をだした自分をぜったいに受け入れられない。
心細い。父の声がききたい。
だけどこんな今の状況を話したら、さらに心配させるだけだ。もうし尽くしてもらったサポートを
またお願いしているように思われたくない。
原爆から1年たって、やっと夫婦で再就職できたときに、手紙で近況をしらせた。父からの返事はない。
この人生最大の危機の直前に、次男をさずかり、生活が崩壊する恐怖のなかで、JJはげんきにうまれた。そこから就職するまで、メンタル焦土の母親に気もそぞろに育てられ、一歳半ですぐ他人に預けられた。仕事が夜勤に変わると、母親とは一日3時間しか会わない。
JJは赤ちゃんのときから長男とは違っていた。
自閉症は生まれもってのものだとして、4才になってもしゃべれないJJの言語発達障害は、私の育児ネグレクトに原因があると思っている。
妊娠中は新しい店のことがずっと心配で、不安の中で出産し、人生が破滅にむかう日々のなかで気もそぞろに育児して、いざ終焉がきたらそこからはパニック。就職したらほったらかしにしていた自分。
もっともな言い訳をいくらしても、このことに関して、やっぱり私は自分を裁き、ゆるせないでいる。
父の信頼を裏切ったこと、自らの不安にかまけて、だいじな命を最優先せず、幼いJJに不自由な思いをさせていること。
この2つにおいて自責と後悔しない日はない。
きょう一日、JJのためにできるベストのことをやり続け、彼が話せる日まで、わたしの持てるすべてを捧げるだけ。