大晦日の午前中は 太陽の下、最高のヨガ時間。太陽礼拝だけを約1時間。 心から信頼するヨガインストラクターの綾さんが 「太陽礼拝は太陽に感謝しながら、ワンネスの意識でまた自分に感謝すること」 と言ってて、その言葉がストンと自分の中に落ちた感覚。 その感覚で太陽礼拝を繰り返してるうちに 身体の凝り固まった部分にある、不要な感情のエネルギーを呼吸と共に排出。 また霊氣の呼吸法もオリジナルで組み合わせて まさに太陽との一体感を感じ、不要な感情と感謝の涙が出てくる、 そんな最高のヨガ
辛過ぎる悲しさは、感情にもならずに、映像だけ脳裏にあって潜在意識に居座ってることがある。 感情として浮かび上がると苦しいから、きっと防衛本能として、感情と結びつく経路が断ち切られたのだろう。 私自信、自分の女性性への自己容認が凄く難しく、だいぶこじらせて生きてきたなぁーと思うけど その根本原因が何かと問われれば、自分でも良くわからなかった。 ただただ女性としての自分に自信がない。 だから良い娘として 良い妻として 良い母として 良い社員として 良い人として 努力し続
これまでほとんど 眠る時の夢を覚えていなかったけど、 この夏から 夢が結構リアルになってて しかも現実とリンクしてて メッセージ的になってきてる。 夢からメッセージは、核心的で そして私なりの確信を持って現実に投影したり 落とし込んだり 必要な人にメッセージを伝えたりするようになった。 私は私の中の感覚で「わかる」事が日々増えているけれど、あまりにも感覚的すぎて言語化がかなり難しい。 だから敢えて自分の中に留めておく事もあるけれど リアルに現実とシンクロした時は、その
挫折が学びであることは大前提で、 それでも悲しみや悔しさ、虚無感とかの感情は無視してはいけない。 理解と感情とは別物で、感情を否定することは自己否定に通じる。時間をかけてでも自分自身の感情を吐き出し、受け止めて初めて昇華して前を向くことができる。 その過程をすっ飛ばして、前進することは臭い物に蓋をして、それを抱えて前進すること。臭い物を入れた壺を抱えて歩き続けることになる。 幼少期や子供時代に経験したことを壺に入れて抱えて生きてる人が多いけれど、とっくの昔にそのツボの存在