『泣いてちゃごはんに遅れるよ』 を読んで通電した
ままならない毎日ばかり。丁寧なんてほど遠い暮らし。
暮らしというか、生活。まさに生きる活動。
だけど、ごきげんに生きて活動できるようなやりくりはそこそこ得ている。
やりくりといっても食材を腐らせない方法とか効率の良い手順とか、円滑な人付き合いのコツとか要領よく生きる処世術とかはさっぱり。
人に伝授できるようなやりくりはほとんどない。
知っているのは私がごきげんになるためのやりくり。
おいしい味噌で作る味噌汁の充実感、テレワーク飯で探究する焼きそばの可能性、子どもが帰ってくる前にこっそり飲む1杯、お気に入りのカップで飲む濃ゆいミルクティー、シュウマイと餃子で積み重ねる小さなアップデート、台風の日に作る煮込み料理。
汎用性はないけど、私にとっては効果絶大。
寝る前の読書もそのひとつ。
お風呂でマンガを読んで、熱いお茶を飲みながら読みたい本を読む。
読みたいのにいつも数ページで寝てしまう。
うたたね寝する私を見てニヤニヤしてる夫の視線で起きて、のそのそとベッドに入る。
ごきげんなルーティン。
『泣いてちゃごはんに遅れるよ』もまたそんなルーティンの中で毎晩ページを少しずつめくった1冊。
ずっともやもやと考えていることと本の中の尾崎紀世彦の『また会う日まで』がつながった。
いくつものストーリーが今の私のいろんな回線につながって、絡み合った線が通電した。
明日もごはんを作ろう。
ビールも飲みたい。なにかを包みたい気分だから餃子かな。
映える食卓も、丁寧な暮らしもほど遠い生活。
だけど、餃子はおいしく作れる。
フードプロセッサーで楽することもできるし、みじん切りするのだって悪くない。おいしいラー油もある。ベランダのコブミカンでタイ風にしてみようか。
ごきげんになる方法を知っている。
だからこうして生きて活動できる。
泣いてるひまはない。ごはんの時間はやってくる。
読んでほしいな、と思える子の顔がよぎった。
今度、ごはん食べながらこの本のこと話してみよう。
美味しいごはんを作って、食べながら。