ネクロフィリア

憧れのあの人たちは、どこにいるんだろう。今までずっとどこかで、憧れてきた人たちと同じ、出会えれば才能が開花するような”病める天才”だと思ってきた。でも現実は違う。どこまでも泥くさくて、あの天才と呼ばれる人たちは、どうしてあんなに振り切れるんだろうかと思う。もしかしたら、”愛されること”で花開く蕾もあるのかもしれない。それでも私は皮肉なことに、今までも、いつまでも、”死を夢想”することによってしか振り切れなかった。どうしても。

それでも一つ、分かることがある。死の底まで、海の底まで、生の底まで、地の底まで、そこを墓場にしようとするまで潜りに潜ったその先に、出会えるものがあることを。それを”本物”と呼ぶ。どんなに人の波を逃れたところで、追いかけてくる影がある。それを”本物”と呼ぶ。一体どれだけそれのおかげで生きてこられただろう。私に説明できるのはここまでだ。

ここ数年、本当にいろんな人に、歌に、人ならざるものに、助けられてきたなと思う。それって本当にすごいことだ。この命が今あることで、彼ら、クリエイターのすごさが伝わらないかな。

逆境に陥ってからおよそ10年が経つ。よくここまで生きてこられたなと思う。当時は「18歳まで生きられる」なんて信じていなかった。何か残せたかな。おおいに夢を見させてもらった。天才たちの輝く光で、おすそわけを貰って、私は生きながらえてきた。

栄光ではなくとも、闇の中にいながらに、光栄だ、と思う。

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