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「知らない」が差別を生むのなら、私たちがきっかけになっていきたい

こんにちは、愛音です
仕事は辞めてしまいましたが、私はピアサポーターです。そしてこれからも働きたい場所は障害福祉の世界です。ピアとしての経験が、とか。自分の当事者としての人生が、とか。そういう気持ちも当然ありますよ。だけどそれを上回るものがある。

障害がきっかけ、原因で辛い目に遭う方は少なくありません。意思表示ができないことで周りから理解されないとか、障害があるというだけで厄介者に思われてしまうこともあります。
なぜこういったことに歯止めがかからないのか?それは周りが障害を知らないからです。知らないから理解できない。知らないから厄介に思う。これは現状では仕方ない、悔しいですがこう表現します

皆さんは学生時代に身体、精神、知的障害について授業はありましたか?私は小学生の時社会の授業で車椅子や盲導犬、点字について本当に僅かですが勉強しました。「困っている人がいたら手を貸してあげましょう」まとめるとおそらくこんな感じの授業。
でも精神、知的はありませんでした。中学には障害がある人のクラスが1階にあったのですが、接点はなかったです。今思えば障害についての授業があってもいいはずが、まったくなかったです。覚えているのは支援学級の周りでは走らない、遊ばないと言われたこと。ぶつかって転倒した場合大けがをする生徒もいますよ、と言われたことがあっただけでした。

これが現状です。障害を知らないというか、知るきっかけもない。もっと言ってしまえば自分が生きる上で障害を知る必要はあるの?という空気ですよね。私も自分が統合失調症にならなければ障害のことは無縁として生きていたでしょう。自分が障害者になり、初めて障害者の気持ちと障害のことを知りました。

会議で精神障害者の数は増えていると知りました。病院にかかっておらず障害とも分からず、日々の苦しさと闘っている人も大勢いるでしょう。
もしも障害のことを知るきっかけがあったのなら。苦しんでいる家族や友人へ病院を進めることができるのかもしれない。調子が良い時にデイケアに参加したり、仕事をするのが難しいのなら、就労移行やA型、B型、の見学をしてみることもできる。家にいたいのなら家で過ごすことだってそれが1つの選択肢です。

障害を知ることで選択肢は増えます。あそこに相談しようか、落ち着くまでは家にいさせようか。でも知らないことの選択肢はどんなに頭を使っても出ません。
もしも今後学校で障害を学ぶことができたら。当事者の声を若い世代が聞いたらその先はどうなるか。自分には関係ない、障害て怖そうで関わりたくない、そう思っている人の心に種をまくことができると思っています。

障害をよく分からない、怖くておかしい人たち、と感じるものから少しずつ変化させたいのです。障害福祉の世界は可能性があります人の人生を豊かにする可能性です。私の人生も支援者との出会い、ピアとの出会いで大きな可能性の花が咲きました。今度は私が誰かの可能性の花を咲かせるきっかけの人になりたい。

福祉の仕事はキツイし難しいし、小さな失敗がどんな結果を招くのか本当にわかりません。でもそれはどんな仕事でもそうでしょう。どんな仕事でも同じなら、福祉の世界で生き続けたい。B型を利用していた時の気持ちは忘れないし、支援者としていた時の経験も忘れずに、次をゆっくり見つけたい。

障害を知らないから差別が生まれるとしたら、私たち当事者の声はなによりも説得力があり、リアリティもあります。
いつか私も一般の学校で障害について話をしてみたいです。

*愛音*

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愛音
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