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真玉橋に行ってきた【豊見城市真玉橋☁️】
2022.3月17日
今月見てきた組踊は「真珠道(まだまみち)」という物語でした。
この話は芥川賞作家の大城立裕が書き下ろした新作組踊というものでして、昔からある伝統的な組踊ではありません。
しかし元になったお話がありまして、その伝説を元に恋愛要素を含めたものが立裕の真珠道という作品になります。
実は以前伺った「漫湖」の辺り。少し離れてるものの、私の育った字の近くです。
国場川が流れるところは全部私んち。
ところで、たまに自分がガラスの反射で写り込んでる時に虎のかぶりものしてるの、誰も突っ込んでくれないので寂しいです。
真玉橋とは
真玉橋(まだんばし)は、沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋の名称。また、豊見城市側の地名にもなっている。
首里と沖縄本島南部(島尻地域)を結ぶ真珠道(まだまみち)の一部として建造された。初代の橋は木造であった。
(Wikipediaより引用)
昔むかし那覇市は小さな島の集まりでした。
国場川を下り漫湖を過ぎると御物城(今の那覇軍港)になります。
海からやってきた人やものは、真玉橋辺りから陸路移動に変わります。美しい真珠のような石畳の整備された道が首里まで続いていたとかなんとか。
その一部が首里金城町の石畳道となります。
↑首里金城町の石畳(真珠道)
この坂道から首里城まででもキツイのに豊見城からとか無理…。歩けん
陸路の始まり「真玉橋」もまた、美しい石造りが真珠のように美しいアーチ状の石橋だったとされています。
この真珠(まだま)が訛って「まだん」となり、今の豊見城市の地名「真玉橋」として残っているのです。
ところが美しい真玉橋は沖縄の怖い教訓の地として語り継がれている。
↑2002年に元のアーチ橋に作り直された
曇り空も相俟って不穏な空気
昔むかし、真玉橋は「ロンドン橋かっ」てくらい水害に悩まされる橋でした。何度作り直しても壊れる橋。
ここから中国の使者も渡るし、物流の拠点の一つ。
王府としても住民にとっても真玉橋とは絶対になくてはならない橋だったのです。
だのに、橋が架けられない…。
物流の滞りや資金難、中国や大和へのメンツ…。
悲願達成のため、村人や役人は神女(ユタやノロ)に神のお告げを届けさせたのです。
神女は言いました。
「子年で"七色の元結"を持つ女を人柱にせよ」
(元結=髪を結ぶ紐)
みんなギョッとしたでしょう。
しかし、一人の犠牲で橋が架けられるなら、それが何百の利を生むだろう…。
役人たちは村中の女性のいる家を訪ねては元結の色を確かめるのです。
元結を持ってる女性はいても七色に光る美しい元結を持つ女は居ません。
捜索にあたる一人が言いました。
「もうこの村で、訪ねていない女は一人しかいないのではないか?」
役人達は、とある家に向かいました
その頃、神女は家にいました。
お告げやお祓いなどで、金銭の代わりに報酬として民から得た調度品を部屋に広げて眺めていました。
その中の一つの髪飾りが無性に気になります。
なんて美しい髪紐なんでしょう。
そして身につけました。
妖しい髪飾りは異様に似合う。
鏡を見てうっとりしていると役人達が部屋の中に押しかけてきて、
顔を青ざめさせて神女を指差しました。
「お前が"七色の元結の持ち主だったのか!」
神女はこの時初めて、
自身の預言が、自分の死を招く悪言だったことに気づいたのです。
「ああ、私は自分の死を言い当てたというのか」
神女には娘がいました。
人柱として橋の元に埋められるその日、
神女は「人より先に口をきいてはいけないよ」と娘に言い遺しました。
それより先、娘は口がきけなくなってしまいましたとさ。おしまい。
これが真玉橋の伝説「七色のムーティー(元結)」と呼ばれる、
「口は災いの元」の寓話です。
↑人柱として神に召され、神となったとされる神女を奉るとされている祠…とされている。橋のふもとにあるためそう噂されがちだが、実際はただの御嶽とも。
これは割と沖縄でメジャーな怖い話の一つです。
実際の歴史書にこんな記録はなく、
水害が多く橋の工事に難儀した記録のみが公式に残されています。
人柱の話は物流の拠点だったことから「どこからか流れ着いた話が真玉橋の話として定着した」が真相のようです。
長良川の伝説が沖縄に定着したとも。
戯曲家の「平良良勝」の作品「真玉橋由来記」を間に受けた人々が多かったとも。
悲劇として芝居や物語として人気のコンテンツだったんですね。
それにしたって雰囲気ありすぎィ!
物語のバージョンも多く、
①その後、娘は口は聞けないが美しく育ち首里の侍と結婚し末永く幸せに暮らした。
②神女の夫と娘は悲嘆し国頭村に移り住んだ。
③犠牲を免れるために神女の調度品に元結を紛れ込ませた元持ち主が存在する
などなどなどなど。
今回見に行った組踊は立裕アレンジがすごくて、
身分の違いで結婚できなかった首里の士族の息子と真玉橋村の女がいた。
女は結婚できないならと神女になった。
真玉橋の橋をかけるために出世した元彼が真玉橋に赴任してきた。
神女は神託を受け、元彼のために自ら元結を身につけた。元彼もそれに気づいてしまい悲嘆にくれる。
という話でした。
うまく伝説と悲恋を結びつけたお話でした。
↑ちなみにこの橋のあちこちにある遺構は、発掘調査で出てきたものを移築した本物だ!登るな!誰が組み直すと思ってるんだ!(A.文化財課=税金)
この付近は昔はもっと湿地帯で大変住みづらい場所だったとも地元のおじいおばぁから聞いています。
ほんとすぐそこが漫湖ですからね。ラムサール条約の地。
最近は、なかなか住みやすいオシャレ地域と化してきてる気がします。
私が真玉橋に住んでた時は、1K(6畳くらい)のアパートが5万ちょいで当時ではお高めでしたからね。
スーパーも近くてちょっと歩けばサンエーつかざんシティもある良いところでした。
最近は、
焼き芋自販機
お世話になってます。とよみそば
売り切れるの早すぎィ!パン屋さん
いつの間にオープン⁉︎ラーメン屋さん
など、再開発が徐々に進んでおります。
渡鳥のシーズンはいろんな鳥も見れるし、那覇祭りなどの花火がキレイに見えるスポットでもあります。
また、首里ゆかりの土地柄なので御嶽や石獅子といった歴史遺産にも恵まれたスポットです。
怖い話したのは私ですが、
真玉橋いい所、一度はおいで〜
さあゆいゆい
待っちょいびんどー