見出し画像

1月1日、僕には正月が分からない

遡ること12月29日。
寅年なのに"うさぎとへびと・×・"がいる謎飾りを仕上げた。そして一本の電話が。母だ。

私は耳と脳の回路がおかしいので、電話だと切ってすぐに話がすっ飛ぶ。なんならTVもできれば字幕が欲しい。「結局何時に何するんだっけ?」震

なので私のiPhoneに電話をかける人間は、母か迷惑電話だ。母は母で学ばない頑固なお年頃である。

で、案の定切った後に電話の内容が分からなくなり
「なんの電話だったの?」とLINEで確認する。
「中身汁たくさん作ったから取りにきなさいったら」

中身汁!おぅ!…………早くない??

中身汁……ナンカぐろイ響キダナ。

グロいも何も豚の内臓である。中味汁と誤魔化す当て字の方が浸透してるはずだが、豚の中身(胃・大小腸)なので意味合い的にはこっちがしっくりくる。

めでたい席では外せない逸品。
正月にはこれがなくちゃあ年が明けない。
明けましておめでとう。

なので、29日に中身汁を作ったと聞いて愕然とした。
母は私の母だがスナックのママである。
この中身汁は年越しにお客におつまみと一緒に出すために作ったのだ。
こ、こいつ。正月は中身汁作らない気だ!めそめそ!

↑左側が中身汁。我が家のは竹の子入り。


↑海洋博公園の沖縄熱帯ドリームセンターにて。
 3日間苦手なお酒を飲んだお正月でした…。

よくよく考えれば、あまり沖縄らしい正月の文化を私は知らない。
他県の文化もぼんやりとしか分からないが多分違うのは

①沖縄にはおせち文化がない。(多分)
②お雑煮文化もない。(多分)
③だからあまり正月早々お餅を食べれない。(多分)
 ↑お餅大好き野郎です。

って感じである。
あとは、お年玉をもらったり初詣をしたり親戚のとこに顔を出したり?お歳暮文化もお中元ほど浸透してるのかどうか分からない。

小さい頃から家族とダラダラ過ごし友人に誘われて初詣に行くのが正月スタイルだと思っている。
仏壇事をするのかしないのかも分からない。昔1月に没した妹①の仏壇があるがいつもと変わらない。
本当は何かしないといけないのかもしれない。
けど、とにかく家では中身汁を作って寝正月。以上!

お盆の時の盛り上がりに比べてあまり沖縄スタイルではないイメージだ。我が家だけなのか他所んちもそうなのかも不明。


理由の一つとして、
お盆は統一して旧暦のお盆に仏壇行事をするのに対し、正月は新暦を祝う地域と旧暦の正月(旧正)を祝う地域に分かれてるからだ。なので、お年玉をもらえず旧正月まで持ち越しの子ども達がいる。不思議だ。
その地域では新正から旧正までの長い期間正月飾りが飾られ続ける。

なんなら年神様がお帰りになる旧の一月二十日「ハチカしょーぐわち」まで飾られる。
そしてあの世の正月も盛大だ。旧の一月十六日「ジュウルクニチー」忙しいな。

私は両親の出身地も私の出身地も新正を祝う地域だった。旧正のしきたりは一切わからない。十六日もやらない地域だ。(多分)そのかわり清明祭が盛大だ。混乱。

そんな分からない尽くしの私の、沖縄正月うんちくを一つ。

「正月だんぱち」だ。
正月断髪の訛りで正月前に髪を切って新しい年を迎えることを指す。

私の母方の祖父は久米島で自宅内で理容店を経営していた。母が学生の頃にその祖父は亡くなっているので会ったことはない。
会ったことはないが、長男叔父夫婦がその仕事を継ぎ那覇で理容店を営んでいた。
父は昔気質なところがあるので、正月前には叔父のお店にケジメをつけに通っていた。

母もまた、理容の資格はないものの見習いとしてこの叔父夫婦のお店で面倒を見てもらってた時期がある。
なので私たち3姉妹も正月前に新たな気持ちを込めておかっぱ座敷童に変容させられていたものだ。

実はこの叔父がコロナに入ってすぐ亡くなってしまい叔母は打ちひしがれ店を閉じた。
そして私たち姉妹は流石に座敷童の齢ではなくなり、いつの頃からかナウい美容室で髪を切るよう命じられてしまった。ロハ…。


正月断髪のしきたりも我が家から廃れてしまった。
皆が社会に出てみんなでお正月という習慣自体廃れた。
今年は中身汁もない。
決して悪いことではない。大人になれば居場所は変わる。ただそれだけだ。

去年一昨年は9時〜翌25時勤務を三ヶ日やり通した。正月手当は三日合わせて500円だった。やりがいを搾取されていると思って泣いた。近くの公園で持てる語彙の限り世を罵り不審者と化した。
家に着いてTVの向こうの幸せな笑顔にも悪態をついた。

悪い記憶が蘇ってしまった…。いけないいけない。

とにかく良くも悪くもニート。そう正月休みだ!(?)
あいにくコロナ感染の状況が思わしくない沖縄。友人との会合はほとんどで身近に済ませた。

今年は実家でギスギスのほほんと過ごす熟年夫婦の両親の元になるべく顔を出そうと思う。
滅多にできない孝行の機会となるか否か。
恐々しながらも楽しみで仕方ない一年の幕開けだ。

新年早々の中身汁は諦めよう。

柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
路傍(みちばた)の草影が
あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
心置(こころおき)なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う

中原中也「山羊の歌」より「帰郷」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?