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夢を叶えるって、なんだ

先日、ひとつの記事がわたしを射抜いた。


よしもとばななの言葉
「夢をかなえるだのなんだの言っても、
毎日はとても地味なものだ。
細かいことに、ひたすら追われているだけだ。
これがつまり、夢をかなえると
世間が言っている全てなのだ」

これに、ひたすら同感。

講義をするには、下調べ。
本を出すには、徹夜の執筆を
何日も。

研修をするには、パワポの制作。
それに至るまでに、洗濯、掃除、
食事の支度、買い物、つきあい、
母との電話・・・
膨大にやることがある。

よく、「どうすれば発信力を身につけられますか」と聞かれる。
「私は、毎日Facebookに投稿するだけ」というと、
「Facebookでは、波及力が低すぎませんか」と返ってくる。
しかし、大事なのは媒体ではなく、
「毎日書く」
という細かいことにひたすら追われることなんだ。

「私も本を書きたい」という。
「書いたもの見せて」というと、
「まだ書いてません。出版社を紹介してください」と来る。

私に本の話がきたのは、
1年間にFacebookコラムを
1000本以上書き続けた
2年後のことだった。

書いたものがなければ、
箸にも棒にもひっかからない。
それどころか、向こう3冊分ほどの
アイディアをもって初めて聞いて
もらえるくらいだ。

結局は、細かいことにひたすら
追われる以外に手はない。

犬塚壮士、阿佐見綾香、安藤芳樹
矢野香・・・
ベスト10に入ってくる作家の
みなさんと仲良くさせてもらって
いるけれど、半分、狂気の沙汰で
書いているのがよくわかる。
私なんてまだまだ足りないと思う。

世間はだませない。細かいものをひたすら追いかけたかを峻別するのが世の中の人だ。
今日もコツコツやるしかない。
そういう道を選んじゃったんだからね。

ひきたよしあき 10/11 Facebook




夢を叶えるって、なんだ。




ひきたさんもばななさんも言う。

夢を叶えるとは、細かいことにひたすら追われているだけだ。コツコツやるしかない、と。

たしかに、そう言葉を発してきた活躍者は少なくない。

共感しつつ、ためしに書道を例に考えてみる。ひたすらに、ちまちまと微修正を繰り返すだけで一体どれほどの年月が経っただろう。教室では生徒さんにそれをやってもらっている。たしかにただそれに追われているだけだ。しかも、日常にうもれながら。

もし、最初に書いたことが共通する成功のセオリーだとしたら、このミリ単位の修正と向き合う書道で培われる力は、人生という舞台において、いずれどれほど大きな意味を成すことか。一見地味な行為が、壮大に見えてくる。あくまでも書道はひとつの例。

でも、なかなかそこまでは理解しがたい。たとえ瞬間的に価値を実感できたとしても続かない。だからつい旨みを求めてしまう。が、眼差しは濁る。うっかり意味を問うてしまいたくなる。が、捉われすぎると動けなくなる。こと子どもにおいては価値を説いたところで、馬の耳に念仏になってしまう。 だからこそ、楽しくできる方法が必要なのだ。それを探し続けたい。


*


誰かがコツコツ積み上げている姿を見ると気後れすることも多い。同時に、心が震え声が響く。

えぐいほど目の前のことに没頭したい。えぐいほどに、と。

それは、叶えたいことがあるからやるというよりは、これでもかってほどやる、その生き様に惹かれている気がする。何でもいいのだ、とことんやれるなら。いま目の前にあるもので。たぶんまっすぐにそう思っている。ということは、わたしは没頭するを夢見ているのではないか。そういえば、これは子どもの頃に考えたことと同じような。目の前にある存在をだいじに見つめるスタイルも、記憶を辿ると5歳頃から変わっていない気がして。はにかんだ。


*


「世間はだませない。
細かいものをひたすら追いかけたかを峻別するのが世の中の人だ。」


ひたむきに本質を追いかけるのだ。




余談。ひとが放ったことばがすきだ。寝食忘れうもれたい、おぼれたいとまで思ってしまうことさえある。ちょっと変態チックだけれども、すきなんだよー!これがわたしなんだよー!って世界に向けて叫びたくなった図書館からの帰り道(の写真)。


この話題には、やっぱこれでしょ


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