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もういいんだよ
悲しいって感情がなかったら、人はもっと幸せでいられたのだろうか。
なんの痛みも感じなかったら、きっと楽に生きていかれたのだろうか。
悲しい時、苦しい時に周りに迷惑をかけたくなくて、上手く気持ちを表すことができなくて、ただ平静を装うことしかできなかった。
そうして、感情を押し殺す術を覚えた。
でも、それでも心が痛い。
涙が溢れて止まらない。
どうして?
どうして?
感情なんてなかったらいいのに。
みんな、アンドロイドだったらいいのに。
アメリカに引っ越したばかりの中学2年生の頃、私はいじめられた。
英語が話せなくて、東洋人は私一人。
もの珍しい存在に、面白がる人も嫌悪感を抱く人もいた。
クラスメイトから私の母親が作ったサンドイッチが食べたいと言われたので差し出したところ、目の前で吐き出された。
何これ、不味いと言われた。
お母さんが毎朝一生懸命作ってくれたサンドイッチ。
怒りと悲しみで震えた。
私のお母さんが作ってくれたサンドイッチなのに。
でもクラスメイト全員みんな面白がって笑った。
私はどうしたらいいか分からず、泣きそうになるのを我慢して笑った。
みんなの笑う目が怖かった。
自分もどうして笑っているのか分からなかった。
分からないけど笑った。
事が過ぎた後、トイレに駆け込んで思い切り泣いた。
それからしばらく経った、20代の頃。
私は上司たちに責められた。
ここでもみんな私を笑った。
冷たい椅子。冷たい机。冷たい空気。冷たい眼差し。
あの時、あの瞬間、必死で誰かに助けを求めていた。
お願いだから、私を見ないで。
涙が溢れそうだった。
誰か、助けて。
上司や周りの顔が怖かった。
でも誰も助けなんてくれないのが現実。
やっぱり私は感情を殺して作り笑いをするしか知らなかった。
でも、あの時もし誰かが、もし何かのはずみで代わりに怒ってくれていたなら、きっと運命は変わっていたのかもしれない。
私はその瞬間、もう色んな縛りから解き放たれていたかもしれない。
誰かが代わりに怒ってくれたり、一緒に泣いてくれたなら、私はそれだけで救われていたのかもしれない。
そしたら、感情があることに感謝していたのかもしれない。
もういいんだよ、過去の私。
作り笑いしなくても。
もういいんだよ。
思い切り、泣いていいんだよ。
人前で、泣いていいんだよ。
感情が赴くまま、泣いていいんだよ。
感情は、人に優しくなるためにあるもの。
自分に優しくなるためにあるもの。
感情があるから、誰かのために悲しんだり、怒ったりできる。
私は誰かが泣いていたら、助けたい。
心が泣いているのに笑っていたら、守りたい。
悪い存在から、その人を守ってあげたい。
感情は、誰かのためにあるものだから。
私はそれを信じている。
誰かに合わせなくていい。
この世の一般論に従わなくていい。
あなたがあなたらしくいられるなら、それでいい。
泣いても笑っても怒っても悲しんでも。
大人だから、子供だからなんて関係ない。
傷ついたら、傷ついたでいい。
弱いなら、弱くたっていい。
いい子にならなくていいんだよ。
もし過去に飛べるのなら、私は私を助けてあげたい。
そして、これからは誰かのために怒ったり、泣いたりしたい。
そうなふうに生きていきたい。