まひろちゃん、信念を貫いて欲しい!まひろちゃんが「叶えたい社会」、伺えるととても嬉しいです(その2)。【#真剣10代しゃべり場】【エッセイ】【社会貢献】
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まず、前回の記事、(その1)をリンク添付させて頂きます。
では、執筆を進めます。
まひろちゃん、あなたの「想い」に、自分はとても共感できるよ!「理想が高い」ことは、とても素敵なことだよ!
(その1)では、今回の主題である「真剣10代しゃべり場リターンズ」第2回のことに話を進めるまでの道のりといえる、「世界変えたいこと会議」(2021年8月22日)、「真剣10代しゃべり場リターンズ」第1回(2022年5月6日)のことに、想像以上にスペースを充てたので、ここでようやく、最大の本題へと話を進める感じになります。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、プロローグ[まひろさんの問題提起のVTR]での、まひろさんの言葉より。)
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、本編開始での、まひろさんの「冒頭発言」より。「3:02~3:37」が該当。)
「真剣10代しゃべり場」、まずは、まひろさんの「問題提起のVTR」、それで「3:02」から本編開始で、まひろさんの「冒頭発言」です。
あとで改めて言及させて頂くかなですけど、自分自身、2011年9月に「東日本大震災」の復興支援活動で初めて東北を訪れたことが、人生の転機の大きな一つになってます、そう、「東北に向き合う」ことを通して、いくつもの「素敵な人間との出会い」をさせて頂けて(正直それまでの出会いとは、いい意味で質が違った。それと共に、もっと早くに「素敵な出会い」を叶えたかった感じでもありますけど)、学んだことがいくつもあります。その中でも
「100人いれば、100通りの個性がある。」
「微力だけど、無力じゃない。」
「違いを認め合い、本音で向き合う。」
「共感はできないけど、理解はできる。」
「異なる意見に耳を傾ける、異なる意見を否定しない。」
「社会で起きている事象を『自分ごと』として考える。」
特にいま挙げた「6つのこと」は、一人の人間としての「心の財産」です。その一つに「違いを認め合い、本音で向き合う。」があります。
「本音を言うのってすごく勇気がいること」
「本音を言わないと何も変わらないなって思います」
この2つのことは、自分もとても実感することです。
そう、「本音を言える社会」は、実は自分の「理想とする社会像」の一つでもあります。ですけど一方で、現実論としては、この自分のnoteもですけど、実は「言葉を選ぶ」感じがとても強くあります。
特に自分だと、スポーツ、とりわけ「バスケットボール」の比重が多いですけど、「相手がある」ことですので(それは当然、取材相手ということにもなってきます)、「仕事上でのリスクを計算する」ことが現実論として生じてしまうこと。そう、それ故に「言葉を選ぶ」感じになり、それが文章的には時として「奥歯にものが挟まった」感じの文章になることもあります。
慎重に言葉を選ばざるを得ず、言葉の切れ味を鈍らせる。
これって「自分らしさ」と真逆だよなあ…、というもどかしさ。
改めて、とても強く考えさせられます。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「3:45~4:56」、まひろさんの言葉。)
で、まひろさんの冒頭発言を終えて、本編開始。
まず、この発言については、ハルトさんの「どんなときでも、本音であることが正しい、と思うの?」の問いに対する、まひろさんの回答です。
趣旨としては、自分も「まひろさんにとても共感」です。
「私とか、周りの一緒にやっている人たちの『本音』はすごい聞こえてくるから、無関心な人たちの『本音』も聴きたいなって思います。」
これは正直、自分も「実体験」として感じてます。
というのも、自分自身、「ほんとうの自分」を実感できるようになり始めたのは、2011年9月、初めて東北を訪れたとき、いわば「27歳のとき」まで待たねばなりませんでした。
そう、ガチで、それまでは「心を許せる人間との出会い」が叶っていなかった。自分が「ありのままの素直な想い」(=本音)を伝えても、まるでほとんど全く届かない、正直そのような感じだったんですよね。
それが、「社会貢献」つながりでの出会いをいくつもしていくことを通して、自分と「フィーリングが近い」人間に出会えるようになっていった。いわば「自分と同じ星の人間と出会えた」が、正直な感覚であったのです。
で、まひろさんにとっての「周りの一緒にやっている人たち」と、そうでない人間との差というのは、自分にとっては「とても説得力を感じる」感覚としてあって、いわばこれは「日本社会の悪しき縮図」を示唆している感じに映るんですよね、これは恐らく後で改めて言及させて頂くかなですが。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「5:09~5:27」、まひろさんの言葉。)
「みんなから意見出してよって言っても、意見が来ないっていう経験を、たくさんしてきた。そしたらみんなで裏で、文句をいったりするじゃん。」
この言葉も、自分も中学校・高校での副級長・学級委員時代、大学でのゼミ長時代に、経験してきたことです。まさしく「これな」って感じで、「伝えたいことがあるならば、真正面から伝えてよ、そしたらこういう考えもあるんだと受け止めるからさあ。」とどれほど感じてきたことかと。
これもまた、自分も「まひろさんにとても共感」です。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「9:34~9:52」、まひろさんの言葉。)
これも、先程の「5:09~5:27」の部分を重ねて述べている感じです。
これもまた、自分もまひろさんに「激しく同意」「これな」です。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「11:52~12:14」、まひろさんの言葉。)
「みんなの側、つまり構成員の人たちが変わらないと、何も変わらないと思っている。」
これもまた、自分も「実体験」として感じてきたことです。
ですのでこれもまた、「まひろさんにとても共感です」であり、「日本社会の悪しき縮図」を示唆しているとも感じてます。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「12:34~13:40」、まひろさんの言葉。)
先程までは、「本音を話すことは必要?」というテーマでした。で、「12:34~13:40」でのまひろさんの発言を踏まえて、「本音で話すと何が起きる?」というテーマへと話を展開させていきます。
「ああ、なるほどね、自分も理解できるよ。」とうなずくように感じながら、話の流れに耳を傾け続ける感じでいました。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「14:17~14:43」、まひろさんの言葉。)
「私が言ってる『本音を言う』ということの前提には、『絶対的な相手へのリスペクト』がある。」
ああ、なるほど、確かにそうだよなあと。
今回の議論の中で、とりわけ「学びになる」言葉の一つが、この言葉です。「この人に対してならば、本音を伝えたいと心から思える」と。
そういう「判断力」が大切になってくる、といえるかもです。
で、そのあと、「17:25」から、「とびこ」さんのVTR映像があって、この部分もとても学びになる感じだったんですよね。
「『本音』=『真心話』=『心から発する言葉』。」
(日本語の「本音」に相当する言葉が、中国語の「真心話」である。)
「本音をずっと言ってこないから、本音がないんだよ。」
この、「とびこ」さんの2つの言葉は、どちらも「とても本質を突いているなあ」と感じますし、「本音をずっと言ってこないから、本音がないんだよ。」は、まさしく「名言」であると感じます。
その後、いわば「折り返し地点」になったこともあり、少しのインターバル的なVTRになります。
「学校では先生からの印象がいいように過ごさなくてはいけない。『ほんとうの自分』を知っている人がこの世にいないことが怖い。本音を言える友達が欲しい。」(14歳の子ども、「ハルさん」。)
この「ハルさん」の気持ち、とても理解できます。
「あなたはあなただから素晴らしいんだよ。」
人間が生きることにおいて、特に子どもが生きることにおいては、この言葉こそ「魔法の言葉」であると自分は感じていますけど、この言葉を伝えてくれる人間には、現実論としてなかなか出会えない、それ故に苦しむ子供がどれほど多いことかと。
「型にあてはめる」「レールに縛り付ける」。
日本の大人は、そのような人間が正直多すぎるのではないか。
「毒親」「親ガチャ」、正直まさしく「言い得て妙」と感じてます。
自分自身は、例えば「小3、小5、小6」の担任の先生は、とても素敵な先生でした。でも一方で、「高校3年生」の担任の先生とは、もう波長が最悪でした。
「ほんとうの自分」。母と2人きりのときは、さらけ出すことができます。でも一方で、父とは子ども時代から波長がまるで合わない(感謝はしていますけど、「気難しい性格」はどうしても苦手です)。
あるいは、友人との関係。心を許せる「親友」は、27歳のときまで出会えませんでした。その意味では、自分の子ども時代は「ほんとうの自分」をさらけ出せなかったといえば正直そうかなですし、「ほんとうの青春を感じることができなかった」のコンプレックスは、正直ずっとありましたから。
そう、「ほんとうの青春」は、自分にとっては
「微力ながら東北に向き合い続けた時間」(2011年~2015年、27歳~31歳)
「『ラブライブ!』に出会い、『オタク』である自分を認識できた時間」(2015年~2019年、31歳~35歳)
そう、「27歳以降」、つまり「大人になってから」でした。
それは「回り道をした末に」と引き換えであった感じですけど。
でもそう思うと、「回り道」が自分にとっては必要であったんだ。
そう実感できます。「人生は、一本道ではない」ことを。
(そして、母がいなければ、「回り道」さえ恐らく叶わなかっただろうなあと。母には特に、どれほど感謝してもし切れません。)
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「20:36~21:35」、まひろさんのVTRから。)
自分のメインフィールドは「スポーツ」です。それは自分が「スポーツファン」であるから(尤も「観る」一辺倒ですけど)。ですので、「東京五輪」は自分は「開催が叶ってとても嬉しい」でした、これは開催決定時も、実際の五輪本番を踏まえても。
「スポーツクライミング」「スケートボード」は、東京五輪があったからこそ存在意義を高められたと感じますし、「東京五輪で最も心に響く場面を1つ挙げよ」と問われたら、「スケートボードの、岡本碧優さんがラストシーンで失敗したけど、それが『挑戦した結果での失敗』であったからこそ、多くの参加者仲間から抱擁された場面」と即答します。
あるいは、スポーツクライミングでの、「野口啓代さんの銅メダル」。これは正直、「もし全盛期に五輪開催が叶っていれば」とか「ボロボロになっての野口さんの雄姿」とか、いろいろな見方・解釈があるでしょうし、自分は野口さんは好きな選手の一人ですけど、「もう限界という感じを隠しきれてなかった」ことは全否定はできません、ですけど、いやだからこそ、「野口さん自身の、できるすべてを出し切った結果、まさしく『集大成』であった」からこそ叶えた銅メダルと強く感じるのです。
で、この「スポーツクライミング」が、自分がとても感動した理由として、野口さんが集大成をやり遂げたこと自体もですけど、この東京五輪で優勝(金メダル)を叶えたのは、ヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)さんでしたけど(東京五輪の本番前からというか、2018年頃には野口さんから「絶対女王」の座を奪取しつつあった。そのため東京五輪では「金メダルは濃厚」といわれていた)、もうガチガチに緊張していたのが伝わってきたんですよ、だからガンブレットさんが金メダルを叶えたときの涙、そしてガンブレットさんが野口さん、銀メダルの野中生萌さんと御互いを称え合う姿は、もうとても感動で。
「だからスポーツは素晴らしいんだよ!」、自分にとっての東京五輪は、正直そうでした。
ですけどその一方で、東京五輪は「負の部分」も正直とても噴出した感じは否めません。で、これははっきり述べれば「五輪の在り方自体が限界に近付いてきている」ことも、正直一スポーツファンとして感じています。ですけど一方で「もし五輪がなくなれば、『必要とされなくなる』スポーツがいくつも生じてしまうのでは?」という不安感も正直あります。
それに五輪がいま抱えている「根源的な問題点」として、
米国(「最も資金を出している」けど、毎回できる訳ではない)
日本(「最も五輪大好きな人々」だけど、開催できる能力は限りがある)
欧州(開催できる能力に疑問符だし、人々が五輪をほぼ求めてない)
で、今回の東京五輪の「盛り上がり」を実感できたのは、「野球が開催種目に含まれることが決まったから」が大きかったと自分は感じてます。勿論、野球がなくても、東京五輪はある程度は盛り上がっただろうとは感じますけど、ツイッターでは最も盛り上がりを示していたのは「野球」でしたから。結局、日本はどこまでも「野球の国」「野球の社会」であると。
それと、日本人が「五輪大好き」であるのは、「地上波テレビで観られるから」、結局はこれに尽きるのです。「どの場所に住んでいても、ひとしく視聴の機会があるから」、それ故に「共有の機会が保証される」と。
だからといって、「不正」は決して許されることではありません。
それに「東京五輪での不正」は「日本社会の悪しき縮図」の象徴である、自分はそう解釈していますので。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「21:35~23:07」、まひろさんの言葉。)
「『NOが言えない人』『NOっていう本音が言えない人』がたくさんいたからこそ、東京五輪での不正は起きてしまった。」
「だから、悪いことを正すには、本音を言わないといけない、それがよりよい社会をつくることにつながると私は思っていて。」
これもまさしく、「まひろさんにとても共感できる」です。
特に「悪いことを正すには、本音を言わないといけない、それがよりよい社会をつくることにつながる」、これは自分もずっと抱き続けてる想いですので。
「上意下達」「空気を読む」。「日本社会の悪いところ」と感じる一つに、これがあります。なんというか、「異論を認めない雰囲気」、ひとたびこれがつくられると、「本音を言えない」感じになってしまう、自分はこれが正直たまらなく嫌です。
「自分がいま幸せならいいやって切り捨てるっていうのは、自分もいつか切り捨てられる可能性をはらんでる、それでもみんなは、なんか興味ないからとか、自分のことで精一杯だからといって、逃げるのかなあって。」
そう、これこそまさしく、
「社会で起きている事象を『自分ごと』として考える。」
です。これができていない(いや恐らく「根本的にできない」)人間が、日本社会には多く存在しているのでは?と。
「それでもみんなは、なんか興味ないからとか、自分のことで精一杯だからといって、逃げるのかなあって。」
そう、「ほんとこれな」です。「より望ましい社会」を叶えるには、「悪いことを正すには、本音を言わないといけない」ことと共に、「『自分ごと』として考えて、それを考えとしてはっきりと伝える」ことが大切であるのでは、と自分は強く感じるのです。
ちなみに、今回のnote記事のトップ画像、
「それでもみんなは、なんか興味ないからとか、自分のことで精一杯だからといって、逃げるのかなあって。」
この部分を話しているときの、まひろさんです。
そう、自分はまひろさんの考え・主張に「共感できる」のオンパレードですけど、このトップ画像のときのまひろさん、「とびっきりの笑顔」なんですよね。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「23:07~24:12」、まひろさんの言葉。)
「社会ってさ、一人じゃないじゃん。個と個が集まって、社会っていう共同体をなすわけじゃん。」
この言葉こそ、まさしく「名言」といえる感じで、というかまだ「高校3年生、18歳」でこの「個と個が集まって、社会っていう共同体をなす」ことを学んでいる、知っていることが「見習いたいです」と強く感じますし、「人間としての器量・次元が違う」と感じるんですよね。もうこの言葉に、自分は正直「とても感動」でした。
「この社会に一人一人、責任があると思うの。」
この言葉にも自分は「とても共感」で、自分自身、親や先生にとても感謝と感じる一つが「責任感の大切さ」です。「誰かの役に立ちたい」という想いも、子ども時代から人一倍強く抱いていたと自負してますが、これも「責任間の大切さ」を育めたことと強く関係しているかなと正直感じてます。
裏を返せば、「責任から逃げたい」人間が、この日本社会には多くいる(それも実感としては、自分の子ども時代よりもいまの方が。そのような人間は恐らく増えている)、そのように正直強く感じてますし、とても強く考えさせられます。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「27:00~27:20」及び「28:00~28:10」、まひろさんの言葉。)
これも趣旨としては、自分も「まひろさんにとても共感」です。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「28:31~28:48」、まひろさんの言葉。)
「いや、みんな、飼いならされた国民になっちゃだめだよ。」
この言葉、「優勝!」です、今回の議論の中でも、特に「名言」きたー!と正直感じますし、「『自分ごと』として考える思考を大切にしようよ。」と表現できるのでは、と自分は強く感じます。
「本質を、ズバッとえぐるようにとらえている。一つ先の目線を見据えている感じに映る。」と、(その1)で、「世界変えたいこと会議」及び「真剣10代しゃべり場リターンズ」第1回でのまひろさんから感じたことについてを綴らせて頂きましたけど、この「飼いならされた国民になっちゃだめだよ。」の言葉こそ、「まひろさんの真骨頂」と感じたんですよね、だから「優勝!」と。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「31:28~31:58」、まひろさんの言葉。)
「だから、私は無関心ですっていう一つのファッションに思えちゃう。」
この言葉も、「無責任、無関心のままではいけない」「悪いことを正すには、本音を言わないといけない、それがよりよい社会をつくることにつながる」の考えを一貫して主張していることの延長線上であるといえます。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「33:22~33:32」、まひろさんの言葉。)
いよいよ議論は終盤に突入で、ここから話のテーマは「どうすれば社会に関心が持てる?」、及び「受け身の姿勢を変えるべき?」へと進みます。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「35:46~36:08」、まひろさんの言葉。)
「みんなと私の認識が違うな、って思ったところは、みんなは『興味を持たせてもらう』みたいな『受け身』じゃん。」
この言葉も、いままでの議論の延長線上の言葉といえます。
つまり「無責任」=「無関心」=「受け身」の姿勢であると。
この、まひろさんの発言の後に、「アグネット」さんの発言。
「最低限、票を入れることはできる。でも、そこから先のことは、したくないんだよ。」
正直、いまの「日本社会の悪しき象徴」というか、まひろさんの言葉でいう「飼いならされた国民」の言葉、と映ります。
アグネットさんの言葉、「理解はできる」のです。それに「投票自体にいかない」よりはましですので。ですけど、正直なんだかなあと。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「37:02~37:40」、まひろさんの言葉。)
「(自分ごととして)社会のことを考えないと、だめだよ。」
いよいよ、まひろさんが「伝えたいこと」の「核心」がきたー!という感じで、自分は「まひろさんにとても共感」であるのですけど、この部分、「自分ごととして」とはっきりと明確に伝えた方が、もしかしたら今回の議論の参加者の誰かには、より心に響いたかもしれない、そこは正直「もったいないなあ」と感じます。
([自分ごととして]というのは、まひろさんが伝えたかったことであろうということで自分で付け足した表現ですので。)
「『言葉』は『魔法』にも『凶器』にもなり得る。」
自分自身、とても考えさせられてる言葉の一つです。
特に日本語は不思議で奥が深くて、同じ言葉を伝えていても、「言い回し」「声のトーン」「イントネーション」が異なるだけで、違った受け取り方になることが少なからずあります。
実際、自分自身、これはとても留意していることですけど、気持ちが熱くなってしまうと、「声のトーン」「イントネーション」が「高いトーンのままで一定してしまう」という悪癖があります。留意しようと頭ではわかっているのに、気が付いたらそうなっている感じで。
で、まひろさんの主張は、自分は「とても共感できる」のオンパレードなのです。だからこそ、誰か一人でも伝わって欲しい、そう強く願い続けていました。
で、「38:28」。いよいよ議論のラストが近付いてきた感じ。
ここで「ハルト」さんの問いかけが。
「だから、変わって欲しい側に社会を変えたいと思う僕とか、まひろとかの側が寄り添うことの方が、絶対変わることに一番近い道だと、僕は思うんだよ。」
これに対して…。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「38:38~38:53」、まひろさんの言葉。)
この時点で、まひろさんの瞳は「涙が充満の状態」。
いつ涙が溢れ出ても不思議ではない、「必死で涙を堪えている」。
「いや、近道なのはわかるんだけど、わかるし、(私だって)いままでそういうことを、してきたつもり。」
「無関心な人は変わらないって言い切るじゃんか。」
そう、まひろさんの言葉からは、「説得力」と「切実さ」がとても伝わるのです。ですけど、まひろさんの瞳が「涙で充満の状態」であることが、「想像したくない結末」へと向かうのでは…、の感じで。
で、「38:53」で、「アグネット」さんの言葉。
「無関心な人を切り捨ててよいと思うけどね、マジで。」
はい、ばっさり、という感じです。そして…。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「38:59~39:35」、まひろさんの言葉。)
「『政治が特別なもの』になってるのが、問題だと思ってます、私は。」
「政治とか社会っていう現象に対して、みんなが興味を持たないと…。」
最後まで絶対に諦めない、「まっすぐな想い」を貫き続けようとしている、まひろさん。しかし最後は、必死で涙を堪えるような話し方になってしまっていました。
仰ること自体は、自分も「まひろさんにとても共感」です。だからこそそれ故に、もどかしい想いをとても強く抱く感じで。
で、まひろさんのこの言葉の直後に、「ハルト」さん。
「僕が思ったのは、(結論は)変わらなかったけれども、まひろちゃんが、ここで話したことは絶対に無じゃないと思っていて、絶対に何かのためになったんじゃないかなとは思うから。」
この言葉が終わり、「40:00」。スタッフからの無情の言葉が。
「じゃあ、もう時間になったので、大丈夫かな、言いたいことある?」
この言葉に対して、まひろさんはどう対応したのか。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「40:05」、まひろさんの言葉。)
まひろさん、「終戦」、あるいは「敗北宣言」。
悔しさを精一杯堪えるように、でもはっきりと、「いや、もう言いました」と。
観ている自分が、一人の人間として、「悔しい、とても悔しいよ…」と感じていました。恐らく最も悔しいのは「まひろさん自身」であると想像する感じですけど。
ですけど、この「いや、もう言いました」と、素直に潔く「負けを認めた」まひろさんに、自分は心の中で、こう強く感じたんですよね。
「まひろちゃん、あなたは心がとても強い人間だよ。ありがとう。」
自分がまひろさんの立場ならば、ぎりぎりまでもがき続けるだろうと。制限時間が来たと頭ではわかっても、納得できない気持ちを堪えられないだろうと。
でも、まひろさんは、「悔しい」という想いを表情に出しながらも、潔く「負けを認めた」のです。この姿勢にこそ「まひろさんのすごさ」「まひろさんは『一つ先の目線を見据えられる』人間であること」を感じたんですよね。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「40:24~41:42」、参加者の振り返りの言葉。)
「4者4様」。でも、まひろさんの「想い」の真意を、この「真剣10代しゃべり場リターンズ」第2回の参加者(まひろさん以外の7人)が理解できる、イメージできるときが来ることを、一人の人間として強く願うのです。
(2022年12月3日、NHK総合「真剣10代しゃべり場リターンズ」、「42:12~42:47」、本編終了後のラストシーンでの振り返り、まひろさんの言葉。)
実は、まひろさんは「本編終了直後」、他の参加者が退場するのを待ってからのように、溢れ出る涙をついに堪え切れなくなりました。
「悔しい、悔しいよ、想いが、真意が届かない、こんな悲しすぎる結末になったことが…。」
まひろさんの「悔しさ」「悲しさ」が、画面越しにだけど一人の人間としてひしひしと伝わる。自分も一人の人間として、とても悔しい想いで、気が付けば5分以上は涙が止まりませんでした。
で、ラストシーン、今回の議論の振り返り。まひろさん、涙は出し切れた感じで、苦笑を浮かべながらも、でも持ち味の「まっすぐな心」がとても伝わる感じでした。
「なんか、孤独な感じがした。」
「私は孤独な感じがしたのが、正直つらかったです。」
この「孤独な感じがした」を重ねるように2回述べていた、いや、「真心から出た言葉」が、この「孤独な感じがした」であったと想像します。
そう、「飼いならされた国民になっちゃだめだよ」の言葉、この時点までは「とびっきりの笑顔」のまひろちゃんに映っていた。ですけど、「みんなと私の認識が違うな、って思ったところは、みんなは『興味を持たせてもらう』みたいな『受け身』じゃん」、この言葉の時点では「悲壮感」になってきていた感じが正直拭えませんでした(あくまでも議論の場の雰囲気として。『興味を持たせてもらうみたいな、受け身じゃん」という言葉自体は、自分は「まひろさんにとても共感」です)。
「発信し続けること」。「自分の本音を、伝え続けること」。
最期に、まひろさんからこの言葉を聴けたことが、とても嬉しいです。
まひろさんの話、まひろさんの内面的世界、一人の人間として、これからとても楽しみにしたいです。
そう、この「発信し続けること。自分の本音を、伝え続けること」、この言葉を言い終えたとき、まひろさんは「とびっきりの笑顔」を取り戻していた。
本編では「とても悔しい、とても悲しい結末」を余儀なくされたけど、ラストシーンでは「とびっきりの笑顔」で追われて、正直ほっとしました。
では、いまの時点で既に長くなっていますので、続きを(その3)で綴らせて頂きます。
【エッセイ#8B】【社会貢献#4B】