【エッセイ】【#新生活をたのしく】「2022年春、主として10代(中高生、大学生)に伝えたい想い(その2。紀野紗良さんという「唯一無二の努力の天才」に願うこと、後編)。」
まず、前回の記事、(その1)をリンク添付させて頂きます。
では、執筆を進めます。
紀野紗良さんの魅力の本質(~内面的な「かわいらしさ」「努力の天才」~)
話を、紀野紗良さんのことに戻します。(その1)の後半では、話を脱線させていましたので。
なぜ、紀野さんに自分は心を惹かれるのだろう?何か理由はあるんだ、でもそれを言葉に落とし込めない、どこか漠然とした感覚というか…、と。
漠然とした感覚を抱えたまま、迎えた「2022年」。自分自身、この「2月1日」にnoteを開設するなど、「書くこと」で生きていく、新しいステージの元年の年です。環境の変化に、自分自身が徐々に対応するんだと。
それを頭ではわかっているけど、自分自身の器量の乏しさというか、理想と現実のギャップに悶える感じで、3月を迎えた感じでした。
紀野さんの初の著書、『成績が上がる学びの習慣』。
著書の発表は、「2021年11月26日」です。
ですけど、自分自身がばたばたしていて、なかなかタイミングがとれなくて。それで気が付けば、年が明けての3月になっていました。
梅田(茶屋町)に、「西日本で最大の書店」である「MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店」があります。
そこであれば、高確率で置いているだろうと。普段、仕事場を兼ねて使っている天王寺のカフェ(あるいはコワーキングスペース)から、電車で行ける訳だからと。
いざ訪れると、結構な冊数が置いてました。隣には、鈴木光さんの著書『夢を叶えるための勉強法』も。
すぐさま、紀野さんの著書を購入。これと共に、紀野さんのインタビュー記事があるという、『QUIZ JAPAN vol.11』も併せて確保。
とはいえ、実はなかなか時間が取れなくて、実は通しで拝読できたのは、2試合のバスケ生観戦と、紀野さんの『東大王』卒業回(2022年3月23日)を終えてからですけど(勿論、卒業回も楽しませて頂きました。バスケ配信観戦を優先させて頂いたので、「後追い視聴」ではありますが)。
それで、著書を拝読させて頂きながら、「自分がなぜ、紀野さんに心を惹かれ続けるのか、それが回を重ねるたびに深まっていくのか?」、その疑問の正体を問い続けていたのです。
著書を読み終えて、それと、各種SNS(Twitter、Instagram、YouTube)を拝読(視聴)させて頂いて(YouTubeについては、紀野さんの関連動画のことです)、それでようやく自分の中で、「紀野さんの人間的魅力の本質」を、自分の中で言葉に落とし込めるようになってきました。
【自分(愛球人)が感じる、『紀野紗良さんの人間的魅力』。】
(1)確かに「容姿がかわいい」けど、それ以上に「内面的なかわいらしさ」が伝わること。「かわいらしい」と表現したけど、「『自分』を持っている」という表現がより適切かなと。
(2)人一倍「向上心が旺盛」であること。これに挑戦するんだと心に決めたら「絶対に妥協しない」こと(結果はともかく)。言い換えれば、自分自身が決めたチャレンジに対して「ストイックである」こと(特にクイズ、バレエとか)。「現状に決して満足しない姿勢」、いわば「成長し続けようという姿勢が人一倍ピカイチである」ともいえる。
(3)「等身大な姿勢」であり、特に「謙虚な姿勢」であること。圧倒的な容姿と頭脳を併せ持っているので、そうであれば「私はこんなにかわいくて賢いのよ」とえらそぶっても不思議ではないのに、それが全くないこと。むしろ「穏やかで控えめ」であり、「自分を上回る存在を素直に受け入れる姿勢」が、より彼女を輝かせて映ること。
(4)シンプルに「笑顔が素敵」であること。
いま、上述のことを、「紀野さんの人間的魅力の本質」として示させて頂きました。どういうことかというと、
「『容姿のかわいらしさ』と『内面的な素敵さ』を高次元で併せ持っている。そのような存在は『奇跡の存在』といえること。」
「『容姿』は『努力だけでは(ある程度以上になると)到達できない』けど『内面』は『努力し続ければ到達できる』ことである。その意味で紀野さんの人間的魅力を簡潔に形容すると『努力の天才』であること。」
です。
実際、一人の人間、一人の女性として考えるとき、
「容姿がかわいらしい(あるいは美しい)」けど「内面的には魅力を感じられない」人間、
「内面的にはとても素敵に映る」けど「容姿に恵まれない」人間、
そういった人間は、出会ってきた人間の中でも、少なからずいるのではと。少なくとも、自分はそうでした。どちらも併せ持っている人間も、いますけど。
(その1)で、「カレンチャン」「川咲さくら」という「2次元の『かわいい』」と、「紀野紗良」という「3次元の『かわいい』」の話をしました。
確かに、「カレンチャン」「川咲さくら」だって、ただ単に「容姿がかわいいだけではない」のです、だから大好きなのです。ですけど「2次元」ですので、「その人個人だけで完結できている訳ではない」、どうしても「誰かの手が入る」感じは拭えない。
それに対して「紀野紗良」は、「3次元」ですので、「その人個人だけで完結できる」。勿論そこにだって、出会いや経験からの影響があると考えられますけど、紀野さん自身の努力は、紀野さん自身で完結できるという解釈はできるかなと思うのです。
どういうことかと申しますと、これは勿論、あくまでも自分の解釈に過ぎないのですけど、紀野さんから伝わるのは、
「『容姿のかわいらしさ』は、『《幸運にも他者よりも少しだけかわいらしい容姿を授かった》のであって、それは《気がついたらその容姿だった》、いわば《当たり前ではない》こと』を、感覚的に知っている。
いわば、『ほんとうのかわいらしさ』とは、『常に自分自身の内面を成長させ続ける努力をし続けること』があってこそ成立することを、感覚的に知っている。」
もしかしたら、紀野さん自身は、そこまで深く考えていないかもしれません。でも少なくとも、紀野さんは
「人間がその人らしく輝けるには、努力なくしては起こり得ない。」
ことを、感覚的に知っている、それも子ども時代から。
それと、紀野さんから特に伝わることとして、
「『感謝の気持ち』が伝わること。」
があるんですよね。恐らくですけど、親御さんの愛情、先生にも恵まれたのかなとも想像します。
紀野さんが「努力の天才」と映る本質(インタビュー記事や動画等を通して)
では、紀野さんのインタビュー記事のリンク添付。まず3つ、させて頂きます。便宜上、(記事1)(記事2)(記事3)とさせて頂きます。
いま、まず、3つのリンク添付をさせて頂きました。(記事3)については、本当は、
(https://www.newsweekjapan.jp/stories/carrier/2022/01/1-220.php)
↑の記事が元記事ですけど、うまくリンク添付できなかったので、リンク切れにならないことを願いつつの「Yahoo!ニュース」からのリンク添付の形をとっています。
また、(記事1)(記事2)については、実は下記のリンク添付、つまり文藝春秋さんのnoteで閲読することもできます。
では、これに続いて、動画のリンク添付を2つ。これも便宜上、(動画1)(動画2)とさせて頂きます。
ここまでで、インタビュー記事を3本、YouTube動画を2本、それぞれリンク添付させて頂きましたけど、さらにインタビュー記事を1本、YouTube動画を1本、それぞれリンク添付させて頂きます。これも便宜上、(記事4)(動画3)とさせて頂きます。
(記事4)については、web版(電子版)へのアップは「2022年1月14日」ですけど、紙面(自分の場合、大阪版ですが)では「2022年1月24日付朝刊」になっています(自分の場合は「19面」)。
紙面では、見出しとして
「すきま時間、ながら勉強」「片手にプリント 髪洗う時でも」
とあります。
(動画3)は、(記事4)を受けての紀野さんのメッセージ動画になっています。取材日は「2021年12月7日」とあります。
「50秒間」ですけど、このメッセージ動画がとても濃密と映るので、「文字起こし」をさせて頂きます。
いま、紀野さんの受験生への応援メッセージのノーカットverの「文字起こし」をさせて頂きました。特に紀野さんが伝えたかったであろうことを、太字強調表記にさせて頂いてます。
恐らくですけど、
「『なりたい自分』をイメージできれば、きっと本番をベストの状態で臨めるよ。だから応援しているよ。」
を伝えたいのかなと。
あるいは、例えば(動画1)。全体では「25:25」まであるのですけど、特に印象的なのが「3:44~5:50」の部分、「勉強に取り組む上で意識したこと」です。
そこで紀野さんは、「小学5年生のとき、平面図形に苦戦したこと→苦手を克服しようと努力したことから学んだこと」に言及してます。これは特に、いまの10代(中高生、大学生)にとっては「生きるヒント」になるのでは?と思うので、とりわけおすすめの部分です。
話を進めましょう。
いま、今回のエッセイの基礎になっている、紀野さんの初の著書『成績が上がる学びの習慣』の、通販サイトのリンク添付をさせて頂きました。
著書では、まず「序章」として
「勉強を続けるための『学びの基本』」
として、「8つの要素」が示されています。ネタバレになってしまうかもですけど、下記で示させて頂きます。
後で、(その3)において、自分が一人の人間として伝えたいことと重なるところがあるかもですけど、
(3)「やりたいことは全部やってみる」
(5)「自分なりの目標を見つける」
「8つの要素」の中でも、この2つは特に、自分も実感することとしてあります。
『成績が上がる学びの習慣』で綴られていること、拝読させて頂いて、大人の自分(というか「かつて教員志望であった自分」)でも、「忘れかけていたこと」「はっと気付かされること」「新たなる気付きになったこと」が、正直いくつもありました。
先程、「序章」についてを言及させて頂きましたけど、この本には「4つのコラム」がありますが、このうちの「4つ目のコラム」、これは「おわりに」の直前、つまり本のクライマックスになる部分ですけど、一人の人間として、とても心に響く感じですので、ここにシェアさせて頂きます(正直、「自分用メモ」をも兼ねています)。
少しシェアが長くなってしまいますことを、何卒御許し下さい。
いま、特にシェアさせて頂きたいと思うことを太字強調表記させて頂いた上で、引用をさせて頂きました。
(その1)で自分は、「紀野さんの初登場回に対する第一印象(ファーストインプレッション)」として、当時の6連投のツイートをリンク添付させて頂きました。
これを改めてもう一度、リンク添付させて頂きます。
誰よりも人一倍の「努力し続ける才能」。
誰よりも人一倍の「等身大で謙虚だけど誠実な姿勢」。
誰よりも人一倍の「かわいらしい容姿」。
繰り返しになるけど、「これを高次元で兼備する人間は、恐らくそうはいない」。
しかもその頭脳だって、「最高レベルの頭脳」である。
いまリンク添付をさせて頂いた、「22歳の誕生日にあたって」のInstagram。ツインテール、とても似合っている(しかも「映える」)感じです。表現が不適切かもであればごめんなさいですけど、素直な気持ちが許されるならば、「超がいくつもつくほどにかわいい!」です(背伸びしていない、「ガチのかわいい」ということを伝えたい)。現実論として、この日本社会では、「かわいいは正義」という言葉があるほどですし。
それでいて、『東大王』に参加させて頂きつつ、それ以上のことには踏み込まない、紀野さん自身の中で「明確な線引き」をしている、あるいは「自分を安売り」はしない(実際、確か芸能事務所には入らなかったはず。ちなみに鈴木光さんもその姿勢であったかと)。
『東大王』を卒業と共に、スタンスとしてはきっぱりと「文化人」の立場であることを明確にしていることも、一人の人間として、より心を惹かれます。
こちらは、3月25日、東京大学卒業式の御報告のInstagram。
ここで、「農学部の学部長賞を頂きました」とあります。
恐らく、「主席(1位)あるいはそれに準ずる成績(上位10人以内)」を修めたと考えてよいでしょう。
東大農学部という、日本最高レベルの中での、主席あるいはTOP10。
うん、やっぱり「異次元の天才」である訳です。
そう、「圧倒的な頭脳」「努力し続ける才能」「向上心、好奇心」「チャレンジ精神」「かわいらしい容姿」。
この5つの資質能力を高次元で兼備していること。現実論として、多くの人間は、5つの資質能力のうちのどれか1つ以上が欠けている、それどころかその1つも授かれなかった人間だって少なからずいると思うのです。
何を伝えたいかと申しますと、
「紀野さんには、どのような道を志す(歩む)にせよ、『紀野さんだからこその唯一無二の資質能力がある』と映るので、紀野さんが『叶えたい景色を追い求め続けて欲しい』ことと共に、紀野さんには、その『紀野さんだからこその資質能力』を最大級に活かして、『この社会をよりよくする一助に』絶対になって欲しいです!」
ということです。
いま、この日本社会は、10年後~15年後には、現時点では存在していない「新しい職業」がいくつも生み出されているだろう、といわれています。
少なくとも、紀野さんには、「小さな枠で収まって欲しくない」。
「学者(研究者)として」の紀野さん、正直とても見たいです。でも他にも例えばですけど、「科学と社会の架け橋役」的な職業(役割)とか(イメージとしては「サイエンスコーディネーター」的な)、「環境学をより文理横断的かつ実用的に」の中心的な役割とか、「小中高生に科学、学ぶことのすばらしさを伝える」的な職業(役割)とか(イメージとしては学校教員や塾講師とはまた異なる立場で)、その立場で輝く紀野さんを見たい、という思いも、一人の人間としてあります。例えばですけど、いわば「科学のおねえさん」のイメージと申しますか。
いつの日か、10代の子どもが、
「今日教えて頂いた(紀野)先生、とてもきれいなお姉さんだったんだ、見た目だけじゃなくて話してることすべてが。自分もいつか今日の(紀野)先生のような立場になりたいなあ。」
そのような人間が生み出されるととても素敵と映りますし、紀野さんだったらきっとそうなれる資質能力があるのではと。
現実論として、この日本社会において、
「数学、物理学、化学、生物学などの基礎研究の不足感」
これも深刻感が否めないと思うのですけど、それと同等以上に、
「科学が社会をよりよくすることの一助に、思うようになり切れてないのでは」
という感じも、少なからず抱いてるんですよね。
だからこそ、紀野さんには、どのような道を歩もうとも(どのようなアプローチであろうとも)、「社会をよりよくする一助に」、その道を絶対に歩んで欲しい、そう強く願うのです。
(一人の人間としては、例えば数年後とかに、NHK『日曜討論』に登場する紀野さんを見たいなあ、とも正直思いますけど。)
なんだか、読者の中には、「あなた、これ、エールを通り越して公開ファンレターでしょ?」と映ったかもですけど(もしも、ある種のラブレターな感じになってしまっていれば御詫び申し上げます、の感じです)。
では、(その3)において、「自分(愛球人)から、主として10代(中高生、大学生)に伝えたい想い」を、綴らせて頂こうと思います。
【エッセイ#1B】【社会貢献#1B】