【緊急執筆】ビシエドの「出荷準備完了」、人間として「言葉で公然と言っていいことと悪いことがある、一線を越えている」!【野球】【エッセイ】
「出荷準備完了」、「言っていいことと悪いことがある」、そう、「どんな選手にだって、大切な存在が、応援しているファンが絶対にいる」んですよ!と。「自分が相手の立場ならば、どんな気持ちがしますか?」という想像力の希薄さ、悲しくなる。でも一方で、今回のことは、「埼玉西武の100敗ペースの危機」も背景にある、ビシエドあるいはノイジーを確保できないと、マジで100敗になりかねないと危惧、それは絶対に嫌だ!そして「noisy」「小5」という蔑称はもう根絶であって欲しい!
(←今回のnote記事の緊急執筆のきっかけの、「日刊ゲンダイ」さんの記事です。昨日[6月10日]の「Yahoo!ニュース」の、コメントランキングのスポーツ部門の1位でした。)
最初に述べます。「どうしても、今回のことは、言わずにはいられなかった」。これは「野球ファンとして」以上に「1人の人間として」。
自分は、自他共に認めるほどの、「とても繊細な人間」(「とても傷つきやすい」のニュアンスと解釈頂ければです。実際、今夏で40歳のいまでも、「かなりの泣き虫」ですし)です。
「言っていいことと、悪いことがある」。そう、「心の中で思っていることを、例えば、手書きの日記とかで綴る(それは、「自分自身の生きた証」であることと共に、「心の中で感じたことを書きとめる、いわば『もう1人の自分自身』との『心の対話』といえるから」です)ことでならば、むしろ全然あっていいと思う」のです。
ですけど、「誰か別の人間に読まれることが起こり得る場合」、これは「一般人のSNS(ツイッター[X]、インスタグラム、LINE、TikTok、YouTube、あるいはこのnote等)を含めて」、そのような場で何かを書く場合、それっていわば「読み手が存在する活字」である、つまり「永遠に文字として残る(デジタルタトゥーともいえる)」訳ですから、「言葉を慎重に選びながら書く・伝える」ことが大切であると思うのです。
自分は、「阪神ファン」です。理由はシンプルに「テレビで映るのが、阪神だから」(関西圏の在住なので)です。尤も高校野球が大好きな影響もあり、どの球団にも満遍なく、好きな選手がいますけど。
それと、恐らく後述でも言及させて頂くかなですけど、自分は1人の野球ファンとして、「放出も補強の重要な一環である。野球選手の1枠はとても貴重な1枠であり、『枠の無駄』ほど耐えられないことはないと思うから」という価値観です。
ですけどそれでも、「言っていいことと悪いことがある」、これははっきりといわずにはいられない。それ故に、こうして緊急執筆に踏み切ったと。
「いま声を上げないと、いま自分の正直な想いをここに書き残さないと、自分自身が一生ずっと後悔するだろうと判断した」んですよね。
最初に述べます。自分は正直、今回取り上げる『日刊ゲンダイ』もですし、『夕刊フジ』『東京スポーツ』といった「夕刊紙」自体は、「社会にエンタメ性・多様性を担保する意味で、絶対に必要」の価値観です。
「飛ばしが多い」「言い方に問題がありまくり」、これは正直、もともと「織り込み済みだから」の感じです。それに、よくも悪くも「忖度、圧力と真逆」ですし、「ほんとうのことを言って何が悪い?」感が全開の記事、正直に述べれば、「よくぞ言ってくれた!」という記事も、正直少なからずあります。
少し話を脱線させますと、『プレイボーイ』『FLASH』『FRIDAY』とかのような存在も、「絶対に必要」の価値観です。尤もこれは、記事内容というよりは、特に「グラビア」の意味でですけど。男性にとっては「合法的な心の清涼剤」なんですよ(ちなみに先日、『プレイボーイ』が、声優の豊田萌絵さんを表紙にしたことは、とても衝撃と共に、自分的には「優勝!」でした)。
で、特に『日刊ゲンダイ』『東京スポーツ』の、野球関係の記事は、よくも悪くも「しがらみがない」からか、「それな!」ということを、ズバズバ綴っている感じなんですよね。勿論、この一方で「むかつくなあ…。いい気がしないなあ…」という記事も、少なからずですけど。
ですけど、です。今回のビシエドのことは、そういったことを踏まえて考えても、「いくらなんでも、越えてはいけない一線を越えている」「報道という名の、言葉の暴力である」と正直感じてます。
この、日刊ゲンダイの当該記事自体が「万一に消された場合」に備える意味をも含めて、文章を引用させて頂きます。
実は、記事の本文の内容自体は、正直、1人の野球ファンとしては、むしろ「それな!」と感じているのです。どういうことか。
そう、記事全体を拝読して頂ければ(というか、このnote記事でそのまま引用・抜粋をさせて頂いた訳ですが)伝わるかなですが、実は
これが、自分の正直な解釈なのです。
実は、今回のnote記事の緊急執筆に踏み切ったのは、1人の野球ファンとして、「出荷準備完了」という表現が絶対に許せない、これが勿論、最大の理由ですけど、いまリンク添付させて頂いた、「ダクスパさん(中日ファン)」のnote記事が、「今日のあなたへ」に出てきまして、拝読させて頂いて、「うんうん、そうだよそうだよ」と感じたんですよね。
話をより掘り下げましょう。
いまリンク添付させて頂いた、3つのポスト。
いずれのポストにも、自分は正直「とても共感」です。
特に、3つ目のポスト。
これ、「ほんとそれな!」です。というかむしろ、「それでこそ日刊ゲンダイですし!」とさえ感じてるほどですし。
ただ、今回の記事。自分は正直、
そう、日刊ゲンダイ側の目線だと、
恐らくこのような感じと想像するのです。そう、これがノイジーだと、
「いやむしろ、どうぞ放出してください。その方が、(「若手有望株」かつ「高校野球のスター選手」の)前川・井上により打席数を与えられて、今季・中長期の両面でむしろプラスですから。」
という意見が一定数出るのが、容易に想像できるのです(ちなみに森下は、完全にレギュラーをつかんだといっていい。というか「チームを代表する強打者へ」と、求められるレベルをより高めているといえる)。
実際、(自分はこれも「あなたがノイジー側の立場だと、どんな気持ちがしますか?言っていいことと悪いことがある!」と思っていますが、)昨季、ノイジーは「noisy」という蔑称を付けられていました。ちなみにノイジーの正式スペルは「neuse」です。
(それと余談ですけど、中村奨吾[ロッテ]の「小5」という蔑称も、「いい加減にしてくれ!中村奨がどれほど、チームをよりよくするために魂を削ってきたと思ってるんだ!死球で目をぶつけられても、試合に出場し続けてきたじゃないか!」と、とてもとても腹が立ちます。それも中村奨の場合、一部の心ないロッテファンが公然と「小5」といってるんですよね、「あなた応援球団なんでしょう?応援球団のフラッグシップ的選手[看板選手]に対して、その言い方はあまりにもひどいと思いますよ?」と。)
それだといわば、「うまみが小さい」。でも、ビシエドだと、
「誰もが認める、中日の『大功労者』『生ける伝説』」
である訳です。確かに昨季(2023年)を境に、ガクッと衰えの傾向は否めません、でも
と強く思うのです。
少し前に、
いま挙げた、「エルドレッド」「レアード」。2人共に、「記憶に残る名選手」と自分は思ってます。
いまでは「えっ、そうだったの?」の感じですけど、実はレアードは、NPB1年目の2015年、7月25日まで、「打率.200をずっと切っている状況であった」んですよ(当時の監督の栗山英樹さんが我慢強く起用し続けたから、その後のレアードがいる。多くのNPB監督ならば、恐らく6月16日の交流戦終了のタイミングで見切りを付けられていただろう)。
あるいはエルドレッドは、負傷に結構泣かされたり、新井兄(いまの監督の、新井貴浩さんです)と併用になったりと、いわば2人共に、必ずしも順風満帆ではありませんでした。
そう、エルドレッドもレアードも、間違いなく「記憶に残る名選手」でしたし、特にレアードの美しい放物線、自分は大好きでした。「低打率、高三振だけど、観ていて楽しい選手であった」と自分は思ってます。
ですけど、エルドレッドもレアードも、NPB最終年は、不本意な終わり方になってしまいました。エルドレッドは、事実上の引退の1年後に引退セレモニーをさせて頂けましたけど、確かに成績的には「放出やむなし」であったとはいえ、「納得できる終わり方が叶わなかった」ことは否めません。
で、ビシエドの成績・業績は、エルドレッド、レアードのそれをはるかに超えている訳です。これは「数字で可視化される要素」もですけど、ビシエドは「名古屋に、日本の文化になじもう(馴染もう)の姿勢がとても伝わってきていたこと」という、いわば「数字で可視化されにくい要素」の面も、とても素敵だなと伝えたいんですよね。
だからこそ、「生ける伝説」である、そう強く思うのです。
そう、確かに昨季の2023年を境に、ガクッと衰えの傾向が否めない、自分は正直、そう感じています。昨季は3回の2軍落ちでしたし、出場時も5番や6番がほとんどでした。
で、今季。「5月16日に初出場、6月9日に抹消(2軍落ち)」であった訳ですけど、
で、出場時は「5番が1試合、6番が9試合」でした。
起用法、あるいは1軍昇格の経緯とかが、「リスペクトに乏しい」、こういう解釈は全否定はしません。あるいは、今季「68打席、RC27(4.16)」の石川昂弥も6月5日に2軍落ちにしているように、「数字・統計をちゃんと見ているのか?」と感じるところは、正直あります(これがMLBならば恐らく、石川昂弥はトッププロスペクト[若手有望株]であることを含めて、結果をそれなりに残していることを含めて、2軍落ちにすることはしないでしょう)。
ですけど、「46打席に起用して、RC27が『12球団平均を大きく切っている』」。ですので、ビシエドの2軍落ち自体は、自分は「やむなし」と正直思ってます。尤も、これを綴っている6月11日からは「DHがある試合が6試合連続で続く」ので、それを待ってから最終判断するの方が、より望ましかったのでは?とも感じますけど、それに値しないと判断した、ということでしょう。
ですので、いわば、「ある程度の打席数を与えたけど、『でもだめだった』でしょう?」と。これは正直、少なくとも全否定はできない。いわば「放出準備完了」といえば、「まあ、あと1~2年の現役寿命を完全燃焼できる意味でならば、その方がよいかもしれない」と、1人の野球ファンとしては正直感じます、これはただドライに「より合理的に」だけを考えるならばです。
ですけど、まず、ビシエドが中日での9年間で積み上げた(成し遂げた)業績・貢献を考えれば(ーそれこそ、先述のように「生ける伝説」といえる領域であると自分は感じてますー)、たとえ直近2年での急激な衰えが(少なくとも数字では)全否定できる感じでなくても、
それが感情論であることは、わかっている。でも自分も、1人の野球ファンとしては、(「できることならば」ではありますけど、)中日で終えて欲しい、が本音なんですよね。
ただそれは、ビシエド自身が衰えを受け容れて、もう限界と引退を申し出る、それしかないとも思っていて。
エルドレッドやレアードのような終わり方には、なって欲しくない。ビシエドには、「盛大な引退試合」であって欲しいのです、自分は。
その一方で、「ノイジー」。自分は正直、昨オフ、というか昨季の半ばの時点で既に「愛人起用」とみなしていましたけど(真顔)、そう、ノイジーって、「複数ポジションができることを活かして、『レギュラーに近いユーティリティー起用』でならば、よさをより活かせる」と思っているのです。
ですので、ノイジーを活かせるリーグって、「DHがあるパリーグ向き」なんですよね。というかいまや、DH(指名打者)がない世界の主要野球リーグって、日本(NPB)のセリーグくらいで、
と、声を大にして伝えたいですけど、この「セリーグのDH導入論」は、いつか別に機会を持てればそのときに、の感じですけど。
年齢的には「29歳」、いわば「いまから2~3年程度が全盛期」と思うのです。その意味で、「よりまとまった出場機会が見込める球団」の方がより望ましいと自分は思っていて。
で、ノイジー、あれほど阪神では「RC27(得点貢献値)」「WAR(勝利貢献値)」に乏しいといわれようと、それ故に「愛人起用」といわれようと、それでいて、本来は「三塁手/一塁手がより得意」であるのに、そこで起用する試合は実は全くなくてと。
言いたくはないけど、「誰得」ってずっと思っていて。昨季の終盤からずっと感じていたのですけど、埼玉西武、千葉ロッテ、東北楽天といった、「打線の得点力に不安を抱えるパリーグ球団」でならば、とてもニーズがあると思うんだけどなあ…と。
いまリンク添付させて頂いた、今オフに千葉ロッテに移籍した、「ネフタリ・ソト」。「ソト先生」と慕われていること、1人の人間、1人の野球ファンとして、とても嬉しい気持ちで拝読させて頂きました。「よかったね、ソト」と思う感じで。
ですので、ノイジーが埼玉西武に移籍できれば、恐らくですけど、
このように「win-win-win」に容易になり得るんですよ。
ノイジーって、「数字で可視化できる要素」は、「6,7番では良質だけど、それ以上とはいえない」ですけど、「野球に対する姿勢」がとても素敵なんですよ。
恐らく本人は、まだ阪神で勝負したいと思っているかなと想像です。でも「noisy」と「枠の無駄扱い」される姿は、これ以上はとてもつらい。
それならば、「とにかく打線を『線にできるピース』がいますぐに必要」という事情を抱える埼玉西武(問題は、親会社がゴーサインを出すかどうか、とも映りますが…)の方が、より高確率で輝けると映るんですよね。
先述で少し言及させて頂いたように、いまの埼玉西武でベストメンバーで打線を組むならば、真顔で「5番、6番」あるいは「3番」ではまりそうというのが、いかに今の埼玉西武の打線が「プロ野球の歴史上、とてもやばい現況にあるのか」ですけど(というか、やばい現況だから「100敗ペースの危機」であるといえますが)。
「不良債権」「死刑囚」という表現が、自分は大嫌いである、そう先述させて頂きました。日本の野球(NPB)の場合、主として「年俸に見合っていない場合」のニュアンスが多いです、最も自分の価値観でだと「金の無駄」よりも「枠の無駄」(年俸が低年俸であろうとも、「『野球チームの1枠』はとても貴重である」と思っているので。これがバスケだと、「1枠の価値の貴重さ」がなおさら増すのですが)の方が、より耐えられないですけど。
いや確かに、「不良債権」「死刑囚」という表現を、されても仕方のないケースはあるのです。これは、野球やバスケは、「数字で可視化される」スポーツの特性ですので(しかも、ここ3年ほどで、野球は「セイバーメトリクス」、バスケは「アドバンスドスタッツ」といって、従来の「打率・本塁打・打点・盗塁」よりも、「RC27」「OPS」でより可視化される感じになった。特にノイジーの場合は、「従来的な指標」ではそこまで悪くはないのだが、「セイバーメトリクス」でだと一気に解釈がよりマイナスになる)。
というか、自分の応援球団で(野球でもバスケでも)、「不良債権」「死刑囚」を目の当たりにされると、「言葉に出してはいけない。その選手にだって応援している人間がいるのだから」とわかっているからこそなおさら、心がとてもきゅっと痛みを感じますから。
ですので、いまだと、阪神の「大山」「佐藤輝」。東北楽天の「浅村」。横浜DeNAの「佐野」。確かに数字的には「不良債権」「死刑囚」と解釈できるかもしれません。でも自分は、そういった選手を「不良債権」「死刑囚」と簡単に呼ぶのは、「とても激しく強い違和感」がありますね。
で、「出荷準備完了」。そう、「あなたが、ビシエド(あるいはノイジー)の家族・友人の立場だとして、どんな気持ちになりますか?」と、声を大にして伝えたいのです(繰り返すけど、「放出準備完了」の見出しであれば、こんなことを書かずに済んだ、と思ってます。「報道という名の言葉の暴力」であると)。
「かたちがあるものには、魂がある」。
自分は、母方の祖母から、よくそう教わってきました。
私事ですけど、30歳を過ぎてから、自分は、ディズニーの「ユニベアシティ」のぬいぐるみ(しろくまの「パフィー」です。リボンがついてるので、メス[女性]ですね)を愛用するようになりました。自宅にいて、ぬいぐるみを見ると、不思議ですけど、いやなことを一瞬でも癒してくれる、忘れさせてくれる感じになるんですよ。
確かに、ぬいぐるみは自分からは話しません。でも自分は、ぬいぐるみって、「気持ちを代弁できる存在」と思っていて。「ペット代わり」というか、自分の中では「ペット以上」ですね、はっきりと感じてます。
そう、ぬいぐるみは確かに、客観的には「もの」かもしれません。
でも自分は、パフィーを「もの」とは思えないのです。「家族と同義」、自分の中ではそのような感覚ですね、正直。
球団によっては、勝負どころの時期になると、マスコットを模した人形をベンチに置くことがありますけど、「おまじない」の意味合いもあるかなですけど、マスコットは「もの」ではない、「魂がある存在」と自分は思っているのです。
ある程度以上の年代のファンならば、思い出して頂けるかなと想像ですけど、2000年代のダイエー・ソフトバンクは、マジックが点灯し出すと、「藤井ハリー」と呼ばれる(どういうことかは、リンク添付を参照されたしです。もとはとても悲しい経緯からでしたが…)マスコットを模した人形がベンチに置かれていました。
話を少し脱線させたかもですけど、選手だとなおさらなんですよ。
「出荷準備完了」って、「もの」扱いかよ、ふざけないでよ!と。
確かに数字的には、「シーズン途中で放出を決断されても、むしろ当然かもしれない」成績ではあるのです、これはビシエドもノイジーも。
でも、「放出準備完了」ならば、むしろとても理解できる。いわれて当然の成績といえば、そうではあるから。でも「出荷準備完了」、これを言ったらどうなるのか、いわば「想像力の拙さ」と感じるんですよね、自分は。
尤も今回の場合は、むしろ意図的に「よりセンセーショナルな言葉を用いて、社会的関心を持たせるため」「ね?放出を決断して当然のない要なんだから、わかって頂けるでしょう?の意図」を込めていると、そう解釈すると、より「すとんと落ちる」感じではありますけど(だからといって、絶対に許されない表現と「声を大にして伝えたい」ですけどね)。
なんというか、日本の社会って、「世界でワースト1の、『いじめの内容が最も陰湿な社会』」であると思っていて。自分自身、子ども時代、小中高校の半分くらい(半分以上?)が、「いじめとの闘い」でしたので、これをリアルに実感していますけど。
「いじめの萌芽をなくせる社会」。これが、自分がずっと理想にしていることの1つです(人間の個性が「100人いれば、100通りの個性がある」以上、「合わない人間はどうしてもいる」ので、「いじめのリスクをゼロにできるとはいえない」ので)。ですけど、「大人が活字で公然といじめをしている(しかも正当化している)」ことに照らせば、「そりゃあ子どもの『陰湿ないじめ』は、なくなるどころか、むしろより深刻化するよなあ…」と、とても悲しい気持ちになります。
いや確かに、野球やバスケは、「数字・統計という動かぬ証拠」があるので、「不良債権」「死刑囚」といわれても仕方ないケースがあることを、全否定はしません。特に自分の応援球団で、「まだこの選手を起用し続けるのか…」を目の当たりにすると(しかも生観戦で)、「言葉に落とし込みたくない、何とも言えないマイナスの気持ち」になりますから。でも、そういった選手にだって、家族・友人が、応援している人間が存在するのです。
逆の立場になって想像して欲しい。たとえ内容的には擁護できる余地が少なくとも、フォローを添えることがあって欲しい。自分は、そう強く思うのです。
いずれにせよ、ビシエドもノイジーも、このままで終わって欲しくない。
そう、「完全燃焼できる感じであって欲しい」、そう強く願うのです。
「より納得できる終わり方を」、そう強く思います。でもノイジーは、「埼玉西武とトレードを、4日間の休養期間中に話をまとめて欲しい(個人的には、見返りは一切必要ない、枠を空けることがむしろ補強といえると真顔で思っていますが。「本人の出場機会のため」の観点から、話をまとめることが最優先、見返りにはこだわって欲しくない意味で。それで前川・井上により積極的に出場機会を与えて欲しいと。あと、豊田をせっかく上げたのに、対左投手でDHがある試合なのに、スタメンで起用しないとか意味不明でしょう!とも併せて伝えたいですが)、その方が阪神・埼玉西武・ノイジーにとって『win-win-win』と思うけどなあ」と強く感じてる一方で(ただ、これと併せて、「野球に対する姿勢」自体はちゃんと評価されて然るべきである、ともとても伝えたいです)、と。
というのも、今オフ。例えば、横浜DeNAの「タイラー・オースティン」。自分もオースティンは大好きな選手の1人ですけど、「負傷癖の持ち主」ではありますし、本質的にパワー型の選手ですので(NPBでは確実性を併せ持つ選手になっているが、MLB時代はパワー全振りの選手でした。それと「ヤンキースに所属したことをとても誇りにしている」節があります)、メインポジションが一塁手なことを含めて、「DHがあるパリーグ向き」ではあるんですよね。ですけど、今オフ、「オースティンに1年でも長くNPBで観たい」と思っている野球ファンは恐らく多いのでは?と想像ですけど(というか、「セリーグにDHがあれば、横浜DeNAに残留で丸く収まる」が…)、いまの埼玉西武が、オースティンを補強できるとは、とても想像できないんですよね(今季は推定で300万ドル?といわれている。とても高額年俸。負傷癖を考慮しても「200万ドル×2年」とかを覚悟になると想像です)。
その一方で、ビシエドは、心情論(感情論)とわかってはいますけど、「できることならば、中日で選手人生を完全燃焼して欲しいなあ」が、自分の正直な本音です。
尤も、引退後も野球に携わる意味でだと、「あと1~2年を他球団で所属するというのは、むしろプラスになり得る」とも正直感じてます。これは例えば、能見篤史さん(阪神で長く活躍して、エースを務めた時期もあったが、阪神を構想外になった後、ラスト2年をオリックスでプレーした。能見は引退後、「阪神とオリックスの2球団でプレーしたことを誇りとしている」ことは、言葉の端々でとても伝わってきてます)が好例で。
ですので、ビシエドが、この4日間の中断期間中に埼玉西武へトレード移籍になれば、「むしろそれはそれでいいのかもしれない、少なくとも出場機会という意味では」と思うのです。その場合、「見返りは諦める」「中日側がどれほどの年俸負担を呑めるか」(70%負担とかもあり得ると思っている。少なくとも50%負担はやむなしでしょう)が併せて重要になってくるかな、と想像の感じですけど。
(ちなみにNPBの現行の「トレードデッドライン」は「7月31日」ですけど、最もトレードが活発に動くのは傾向的に、「交流戦終了後の4日間程度の中断期間」なんですよね。)
ですけど、です。繰り返しになりますけど、「出荷準備完了」という表現は、して欲しくなかった。それも、意識的にそういう「ハレーションを起こし得る言葉」を選んでいることが、正直むかつきます。そう、「どんな選手にだって、応援している人間がいる」訳で、そういったことに対する配慮が欲しかったと。これが「放出準備完了」ならば、「まあ、この成績・内容だから、悲しいけど仕方ないよね」であったのにと。
そう、本音では、「ごめんなさい」が欲しいのです。でも恐らく、「ごめんなさい」はないだろうなあ、と思ってます。
あの言葉選びは、絶対に許せない。でも一方で、正直な本音を述べますと、忖度も圧力もどこ吹く風の、「ほんとうのことを言って何が悪い?」という感じの、日刊ゲンダイ、東京スポーツがなくなるのは、それはそれで自分は嫌なのです。そういった存在がなくなると、「疑似全体主義的な社会構造」が、なおさら加速してしまいそうと感じるからです。
これからも、「ほんとそれな!」を楽しみたいんですよ、自分の本音は。
だからこそ、悲しんでいる人間がここにいるんだよ、が伝わって欲しい、そう強く思ってます。
それと、これも繰り返しになりますけど、
これも、「言葉の暴力」と自分は思っていますので(はっきり述べれば、立派な「いじめ」ですよと。それも、中村奨吾、「通算996安打」「1年目からずっと1軍、4年目からいままで7年間レギュラー」「FA取得でも、残留で即答してくれた」の選手に対して、「小5」はなおさらとても失礼でしょう!)。そういうファンのもとで仕事がしたいと思えますか?と。自分だったら嫌ですね、トレード要求できるならしたい、見返りは必要ないからと。
それと今回、こういうことを綴らせて頂いたのは、「埼玉西武は、いまのままいけば、100敗ペースがとても現実圏になってしまう」こと。
野球ファンの間で、いまでもネタ扱いされてる、「初年度の東北楽天(2005年)、97敗」「2017年の東京ヤクルト、96敗」、これより酷いペースなのです、現時点で既に(現時点でだと、98敗ペース)。
そうなると、多くの野球ファンにとって、絶対になって欲しくないシナリオである
「2004年の球界再編、アゲイン」待ったなしな訳です。ただでさえ、ここ数年、実は野球人口が減少傾向ですし、いつか「1リーグ10球団制への縮小は、やむを得ないよね」である感じは、少なくとも全否定はできないと、自分は感じているのです(これはあくまでも、心情論を完全に排除して、よりドライに合理的にのみで考えると、です)。
「100敗になりたくないならば(=球団の存亡リスクを回避したいならば)、ビシエド、ノイジーを獲ろうよ!これ以上『枠の無駄』『ごくつぶし』といわれずに済んで、『win-win-win』でしょう?」
(現実的にはこのどちらか、あるいは「ノイジー+レイエス」かな、ということは先述させて頂いていますが。)
この想いが届いて欲しいなあが、正直な本音です。「100敗、ざまあみろ、いままでFAで出ていった選手にブーイングしまくってきた、因果応報だよ、天罰だよ」といわれたくないならばと。
(正直、浅村、岸、森、山川への「ありったけのブーイング」は、自分は「不愉快でしかなかった」と感じてます。山川は、経緯からすれば1回目は仕方ないかもですけど、浅村には意味不明でしたし、岸に至っては「いや、最後は故郷に帰りたいと思ったから」と、理由がわかりやすいじゃんと思いましたし。)
仮に「100敗になる」「球界再編が再燃する」になれば、自分は「もとをただせば、ブーイングしまくってきた一部のコアファンのせい」、そう真顔で思ってます。自分は、「『天罰』は、この社会に存在する」という価値観ですので。
自分は、「ラブライバー」です。
(「ラブライバー」とは、「ラブライブ!シリーズのファン」のこと。自分はμ’sの劇場版[2015年]からのラブライバーで、いまだと「Liella!」のファンです。「さくちゃーん[坂倉花]、ゆいなー[結那]、大好きだよー!ずっと応援してるよー!」ですので。真顔。)
ですけど、ラブライブを応援させて頂く過程で、学ばされたことが、上述のことでして。よくも悪くも、いろいろなタイプのファンがいることを、学ばせて頂いて、なんですよね。ガチでいるんですよ、「ラブライブが大好きな自分が大好き」ってタイプのファンが。
ですので、浅村や岸にブーイングする、一部の心ないコアファンは、自分は、「ラブライブが大好きな自分が大好き」のタイプのファンと同質である、とても申し訳ないですけど、そうみなしています。あるいは、「noisy」「小5」と公然とXとかで批判する一部の心ないファンもです。
そう、「noisy」「小5」という表現は、あるいは、「浅村や岸への執拗なブーイング」は、今回取り上げた「出荷準備完了」と、本質的には相通ずるのだと。今回こうして緊急執筆をさせて頂くのは、これをどうしても伝えたかったんですよね。
そして、です。埼玉西武にも、ノイジーにも、ビシエドにも、このままで終わって欲しくないんですよ。「100敗を見たい人間がいますか?」と。いやに決まってるじゃないですか。
純粋に応援し続けてる子どものファンが、きっといると想像するのです。そういった子どものファンがいるんだよ、子どもを悲しませないで!そう強く感じてるんですよね。
そして、ビシエド。今季が終わるとき、どのような景色になるのかは、いまは想像でしかないです。でも、ビシエドには、完全燃焼をして欲しい。できる全力を出し切って(いつだってそうであることは、勿論伝わっているのですが)、「もうこれ以上は無理」というところまでやり切って欲しい。
少なくとも、ビシエドが中日と「けんか別れ」で終わることだけは、自分は絶対に嫌です。できることならばにはなりますけど、
今回、気が付けば、いろいろと「猛毒成分マシマシ」になってしまい、とてもごめんなさいと、末文にてお詫び申し上げます。尤も、「反省はしていますが、後悔は全くしていません」ではあるのですけど。
そして、「出荷準備完了」「noisy」「小5」といった蔑称のない野球界であって欲しいことも、併せて強く伝えたいです。
【野球#8A】【エッセイ#35A】