描きかけのデッサンとブーメラン
17歳の夏。私の頭にブーメランが突き刺さった。ちょっと流血した。
他校に、同じ部活をしていた1つ上の先輩がいる。大会で出会って仲良くなった。
高校生の頃の私は……尖っていた。人と被るのが嫌いで、量産型が嫌いで、思春期の痛いところ詰め合わせセットのような人間だった。自分の好きなものが流行ると熱は少し冷めたし、流行したものが自分の気に食わないと批判した。批判している自分は人と違う視点で見ることができてかっこいいとすら思っていたかもしれない。
彼とは、映画や演劇、アニメの感想を話し合うような友達になった。彼は色んなものを知っていて、好きがいっぱい詰まった話をよくしてくれた。
私は流行したある映画の感想について、つまらないと言った。
「そうか。この世にある作品は全て面白いよ。『面白くない』と思うなら、それは君が『面白い』と思う能力が低いからだ。」
頭を殴られたような衝撃だった。つまらないのは私の方だと気づいた。
そういえば、彼の口からつまらないという言葉を聞いたことがなかった。B級ホラー映画と打ち切りマンガが好きな人だった。
2022年8月。The GREATS展を見に行った。
私はこの展覧会で初めて『素描』という言葉を知った。要はデッサンのことである。
下の写真のように素描は飾られていた。
見るからに描きかけのものや、ざっくりと描いたせいで何が描かれているのかわからないものも多くあった。体感だが全体の1/4は素描だっただろうか。
ラファエロ、レンブラントのような西洋絵画の巨匠たちの仰々しい絵を見にきたので、思った以上に素描の作品が多く飾られているのはすかされたように感じた。
何が描かれているかも読み取れないような鉛筆の線をどう楽しめばいいのか分からなかった。つまらないと思い、足早に絵の前を通り過ぎた。
他の作品はとても美しく満足した展覧会だったが、『美の巨匠たち』というサブタイトルにもかかわらず、なぜ描きかけのよく分からない素描が展示されていたのかずっと引っかかっていた。
先日知った、アンリ・フォション(パリ大学、イェール大学等で教鞭をとっていた美術史家)の言葉に全ての答えがある。
デッサンは完成されないままで既に完全だったのだ。
デッサンは日記だ。何を感じてどう考えているかが鉛筆の芯から濃く柔らかく溢れ出す。
デッサンは思考の筆跡だ。それは、芸人のネタ帳や、マンガのラフと同じだった。マンガのラフが原画展で飾られているのを見たことがある。ファンにとって、それは描きかけで『完全』なのである。
また、描きかけのデッサンはその後どのような線を引かれるのか、どのような絵になるのかがある程度予測できる。もし完成と異なるとしても、現時点での線の状態は未来の線の情報をも含んでいる。これは、デッサンは未完成でも完成の状態を含んでおり、完成されないままで『完成』であるとも言えるだろう。
この展覧会では、つまらない素描を展示していたのではない。巨匠たちの思想を惜しげもなく公開していたのだ。
アンリ・フォションの言葉を知って、私の中から『つまらないと思っていたもの』が一つ消えた。
私は美術に精通しているわけではないので、また実際に素描を見たら『完成』が予測できずつまらないと思うかもしれない。しかし、確実に今までと見方が変わる。
つまらないのは無知だからで、つまらないのはそうとしか捉えられない人の感性である。
つまらないという言葉を口に出すと自分に跳ね返ってくるというのはなかなかきつい。小学生の、馬鹿って言った方が馬鹿なんだよー!という煽り文句を思い出す。
面白いと思う能力が低いと言われた時、もっと面白いと思いたい!と思った。『この世にある作品は全て面白い』と言い切れる先輩は、かっこいい。
面白いものを探して、面白さが分からないものに出会ったら、それを知っている人に聞きたい。
あなたが知っている面白いもの、教えてください。
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