説話的世界
長谷川信子 詩集『不器用な真珠』(鉱脈社)
詩集の読みはわたしの場合、冒頭作から順に頁を繰ってゆく。そうすると各作品の冒頭部の印象が重要になってくる。要するに「つかみ」の重要性がこれに当たる。佳品と思えるものは「つかみ」が秀でている。本詩集もそうだ。〈海面に三角定規を当てて 鋏で切り/取った 海は破れた 二箇所破れた/青い海原には 白い三角形が 二隻/浮いている〉(『秋の気配』)、〈いつも/腹を空かしていた縄のきれはしは/自由自在に這い回り/藪の中の/白い十字架のドグダミの花を/食べてみたいと思った〉(『春の兆し』)。こんな詩の冒頭も面白い。〈居並ぶ石仏を――詩人たちと呼んで/わたしは/月のはじめに会いに行く〉(『お参り』)。宮崎にはH氏賞に輝いた先達で、現在は地元出版社で後進の指導等をされている杉谷昭人氏がおられる。彼はモチーフに地元の習俗を描いてきた。長谷川にはこの杉谷の系譜が感じられる。〈坂道を上りきったところで/誰かに呼ばれた//(中略)//しばらく目を凝らしていると/見えた/白い衣を纏った山姥だった/猫が山姥に姿を変えているらしい〉(『藪を抜けて』)などを読むと、柳田国男『遠野物語』を想起させられる。杉谷の作品群は、直截的には逸話や伝承を書いたわけではなかったが、こういった地方に纏わる説話レベルにまでその射程を伸ばそうとしてはいなかったか。だとしたらば、長谷川の志向が意識的だろうが無意識だろうが、このような説話的世界に興味の目を注いでいたのではないかとは、その後の長谷川の作品展開を知るわたしには、必然的に納得のいく読みになるだろうという気がする。