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暮らしの結晶化で墓碑となる詩

田中啓一 詩集『弥生ちゃん』(詩遊社)
 三年前に「病没」した「弥生ちゃん」という呼称で呼んでいた「妻」をテーマにした一冊。生前の妻の言動を活き活きと描くことで成立した稀有な詩集である。それを支えているのは、亡き妻に寄せる愛であり、創作に必要な思いの強さや願いである。三年という熟成された時が、芳醇な香りと味わいを醸し出している。表題作にこんなフレーズがある。〈私はね/小学校四年生まで/自分のことを/「やいちゃん」って/言ってたのよ//こんなことを/言って/「私のことを/やよいちゃんって/言ってほしいの」//それ以来/弥生ちゃん/こう呼ぶのが/私の習わしになった〉。〈こどもが生まれても〉「弥生ちゃん」、〈友人〉たちも「弥生ちゃん」。もちろん書き手である田中さんもそうなのだが、亡き妻のことをもっと知りたいと思う。それが次の詩句、〈自分のことを/やいちゃん/と言っていた姿を/私は今も/想像してみる/どんな女の子だったのだろう〉と。「弥生ちゃん」から「やいちゃん」への対象交換は、もっとの書き手の欲求であり、愛情の深化である。名前は単なる呼称だが、その単なるものに籠める思いは真摯で誠実で神聖ですらある。名前は対象者そのものでもある。だから本集は生前の記録であり、二人の暮らしの結晶化であり、墓碑ともなるだろう。

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