語り残したヒロシマ
長津功三良 詩集『天下泰平 何事もなし』(幻棲舎)
身辺雑記、広島物、亡妻物を三章立てに分類整理してきっちり編まれている。集中Ⅱ章が白眉で、圧倒的筆力を感じる。既刊12冊を眺めると「影」の語句が目につくが本書でも同じで、長津の詩作のキーワードともなっているようだ。「影」はひとの属性ではなく変異した姿。「影」は、例えば〈市内電車の 座席に座る〉私の〈向かいに座った〉同級生だった〈タニケン君〉である。〈蒼い放射能石の 蔭で/静かに 哀しみの/舞いを 舞う/影たち〉である。「影」はひとの残像である。〈広島では/毎年 あの日になると/空が突然/灼け 墜ちる/さきほどまで/碧空であった〉広島がヒロシマに突然変異する。〈細く黒い棒のような 激しい雨が 降る/防火水槽に 見る間にたまる〉。長津は原爆の直接的な被害者ではないがキノコ雲を目撃した生き残りで、重い口を開く被爆者から体験談をひきだす。広島の悲劇を生の声を残そうとする。それが「語り残したこと」なのだろう。「山峡過疎村残日録Ⅱ」のサブタイトルや、Ⅰ章の巻頭からの老いの身の身辺雑記・日録風の、枯淡の境地を綴る詩篇に誤魔化されたり騙されたりしてはならない。広島物は痛烈な香辛料であり、平穏な日常における毒物たる資質をもって詩篇群であった。私は何度か長津に会っているが、広島や亡妻の話はまるで聞かなかった。にこやかな笑顔しか覚えていない。歩き回った広島の市街地はなにもかもを覚えているようだった。爆心地の空を見上げているようだった。ひとびとの声にならない声を慈しんでいるようだった。私は心のなかで激しく慟哭した。広島の空は底抜けに碧かったのだが。