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スタティックな老境

前田巌 詩集『ひとりゆく思想』(砂子屋書房)

 著者は私と同年代。詩の書き始めは高校二年の時「担任の国語の先生から八木重吉詩集を紹介され」、卒業記念誌に詩を発表したのを嚆矢とする。詩のとば口に八木重吉がいたことは、前田の詩性を考えるうえで決定的な意味をもつのではないだろうか。その詩は平易平明な表現で短く簡潔な点が特徴である。ここから先は憶測になるが、八木は30歳手前で病没する。彼がもし老年を迎えていたならどんな詩を書いただろうと想像する。前田と同じ老境の心情を描いたのではないだろうか。クリスチャン詩人として善良で正直者だった八木と前田の印象が重なるのはここまでである。本書の詩は〈推敲すれど/作品たりうるにあたわず〉(『夢は夢』)、〈耳を澄ますと、風の声/亡き父の声にさもよく似たり〉(『桃源郷』)などと、なぜか文語調で書かれており、その世界は漢詩にも通じ同時に水墨画を連想させられる。この頃、若い書き手の詩のなかに文語調をみかけるが、それらはモードであって前田のものとは少し意味合いが違う気がする。本書のタイトルにもあり、キーワードといえる絶滅危惧種である「思想」の原点を〈欲しがらず〉〈捨てきる〉だといっている。これは自身に対する戒めであり処世訓だろう。本書は老いの心情が主体だが、そこに「自虐・自嘲の詩が目立つ」。わたしならばこうは書かない。私と彼を分かつものは何か。おそらく詩のとば口で接した彼が接した八木と私の中也との差異、それは資質ともいえるスタティックとダイナミックの差異、そう言い切ってしまえる何かなのではなかっただろうか。

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