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喪失の総量が

木村孝夫 詩集『十年鍋』(モノクローム・プロジェクト)

 読み進めながら、私自身の父母や姉達の死者体験とどう違うのか考え続けてきて、少しわかった気になった。それは、背負っている死者の数、失ってしまった景色など、喪失の総量がまるで違うのだということに。そのことに圧倒された。詩語は慎重に抑制されて直截性を薄めながらも、勘所を的確に押さえているのでスパイス効果があり、訴えかけてくる力強さは少しも減じることはなかった。〈その場所を足で掘ると/多くの声が隠されている〉(『骨の重さ』)、〈被災地にはたくさんの名前が落ちている/誰も拾おうとはしない名前だ〉(『名前』)は胸が痛くなるほど。木村が詩集の表題に選んだ作品の意味も推察できる気がした。被災から十年が経過しても〈鍋の中には〉〈怒りや落胆や困惑や分断など〉が〈取り残されている〉と詠う。悔恨や寂しさや痛恨や無念、もっと諸々の言葉にならない感情や思いが詩句の背後に犇めいている。覚悟の詩集でもある。

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