日産に学ぶ病理学:日産経営危機から得られる教訓(2)
はじめに
『日産に学ぶ病理学』シリーズの第一話では、日産の経営危機を分析し、問題解決の可能性を判断するツールとして『四層病理モデル』を考案しました。
このモデルの最大の特徴は、企業・業界・国家など各層における経営環境を社会病理学的な視点から分析し、経営悪化や破綻の原因を特定できる点にあります。また、他の経営分析手法と組み合わせることで、より深い洞察を得ることが可能である点も指摘しました。
第二話となる本稿では、この『四層病理モデル』に基づき、日産の具体的な事例を取り上げながら、その実践的な活用方法を探り、より効果的な経営改善の手法について考察します。
なお、私の専門分野は環境とエネルギーですが、自動車産業と環境・エネルギーは切り離せない関係にあります。なぜなら、ガソリンやディーゼルといった内燃機関車は石油系燃料だけでなく、e-Fuelやバイオディーゼル燃料などを必要とし、バッテリー電気自動車(BEV)も電力がなければただの『物置』に過ぎないからです。特に、東京のように駐車料金が高額な地域では、エネルギー供給が確保されなければ、自動車は『高額な駐車料金を支払うだけの厄介な存在』になりかねません。
こうした『エネルギーと自動車は不可分』という前提をご理解いただければ、私が自動車評論家や経済評論家以上に自動車業界の事情を熟知していることがお分かりいただけると思います。
一.組織内部の課題(企業病理)
1.経営ガバナンスの問題
リーダーシップの不在
・元CEOカルロス・ゴーンの逮捕以降、経営陣の交代が頻繁に起こり、長期的な経営ビジョンを示すリーダーシップが欠如しています。
・多くの人が『優れたリーダーがCEOになれば日産はV字回復する』と期待しがちですが、ゴーンがV字回復を達成できたのは、当時『改善の余地』が大きかったからです。一方で、現在の日産には同様の改善余地がほぼなく、誰がトップに立っても立て直しには限界がある状況です。
この状況は『末期癌の患者がどんな名医にかかっても治療が難しいのと同じくらい、日産の経営問題は深刻である』と例えると分かり易いかも知れません。
癌の専門医が見放した末期癌でも、自然療法で治ることがあるので、ここでは詰将棋に例えて説明するほうが、日産の経営環境を説明するのに適しているかも知れません。
例えば、21手詰めの詰将棋の場合、理論上は負けが確定している状態です。一見すると、何とか逆転できそうに思えるかも知れません。しかし、実際にはどんな将棋の名人が解いても、最大で21手以内に詰むことが証明されています。そのため、この詰将棋は『問題』として成立しているのです。
日産自動車『日産リバイバル・プラン』
ゴーンが1999年に日産のCEOに就任してから実行した『日産リバイバルプラン』は、大幅なコスト削減、企業文化の変革、商品開発の革新などによって短期間で危機的状況を脱することに成功しました。
しかし、現在の日産は同様の施策を打つ余地が乏しく、『カリスマ経営者』のリーダーシップだけでは解決できないほど、問題は複雑化しています。
不透明な意思決定プロセス
・取締役会や経営陣間の信頼関係が希薄で、迅速かつ透明性の高い意思決定が行われていません。さらに、経営層の戦略方針に対して社員の共感や支持も十分に得られていない状況です。
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2.戦略の欠如
電動化への遅れ
・日産は初期のEV市場でリーフを成功させましたが、その後の開発や商品化は停滞しています。テスラやBYDなどの競合他社が先進的な技術と製品を投入するなか、日産のモデルは革新性に乏しいと言わざるを得ません。
多くの自動車評論家が「EVは伸びない」と断言していますが、これらの考え方は間違っています。
(1) EV市場の成長データを無視している
現実の市場成長
・EV市場は過去数年間で急速に成長しています。国際エネルギー機関(IEA)のレポートによれば、2022年のグローバルEV販売台数は前年から55%増加し、1,050万台を突破しました。また、2023年には約1,400万台に達すると予測されています。これは全体の新車販売台数の約18%を占める規模です。
・中国はNEV(新エネルギー車)クレジット政策を通じて市場を拡大し、欧州連合(EU)は『Fit for 55』プランでゼロエミッション車の普及を強力に推進しています。
実績とトレンド
・テスラは2023年に約180万台のEVを販売し、高い収益性を維持しています。また、中国のBYDは2022年に185万台のEV(およびプラグインハイブリッド車)を販売し、グローバルリーダーの地位を確立しました。これらの企業の成功は、EV市場の成長性を裏付けるものです。
(2) 規制と政策の影響を軽視している
環境規制の強化
・各国で環境規制が強化され、ガソリン車やディーゼル車の販売禁止が段階的に進められています。
・例えば、EUは2035年までに新車販売をゼロエミッション車に限定する方針を採用しましたが、合成燃料(e-Fuel)対応車については例外規定が設けられる予定です。この柔軟性が政策の現実的な適用を支えています。
インフラの進化
・IEAのデータによると、2022年にはグローバルでの公共充電ポイントが260万台に達し、前年比40%増加しました。中国と欧州がこの成長を主導しています。
・ただし、新興国ではインフラ整備が遅れており、普及の課題として残っています。これらの格差を埋める取り組みが、EV市場のさらなる成長を後押しするでしょう。
(3) 技術革新とコスト低下を見落としている
バッテリー技術の進化
・バッテリーのエネルギー密度向上とコスト削減により、EVの価格競争力が向上しています。EVの価格は今後さらに下がり、内燃機関車(ICE)と同等かそれ以下になると予測されています。
技術の進化による魅力向上
・自動運転技術やコネクテッドカー技術と組み合わさることで、EVは従来の車両よりも高い付加価値を提供しています。
(4) 消費者の嗜好変化を考慮していない
環境意識の高まり
・消費者の環境意識が高まり、再生可能エネルギーとともにEVを選ぶ動機が増えています。若い世代を中心に『サステイナビリティ』を重視する傾向が強まっています。
車種の多様化
・EVの選択肢が増え、消費者は多様なニーズに応じたモデルを選べるようになっています。これにより、より多くの層がEV市場に参入しています。
(5) 自動車評論家の発言の背景
過去の誤った予測の延長
・自動車評論家の中には、過去のデータや偏った視点に基づいて判断している場合があります。例えば、内燃機関車の市場優位が長年続いたため、変化を過小評価する傾向があります。
業界の利害関係
・内燃機関車メーカーや関連産業とのつながりが強い評論家が、EVの成長を低く見積もる可能性があります。
商品ラインナップの陳腐化
・主力モデルの刷新が遅れ、消費者の購買意欲を十分に喚起できていません。
・SUVやピックアップトラックなど収益性の高いセグメントへの進出が遅れ、競合他社にシェアを奪われつつあります。
3.文化的要因
硬直した組織文化
・社内の意思決定プロセスが複雑かつトップダウン型で、新しいアイデアが下層部から上層部へ届きにくい構造が続いています。
グローバル視点の欠如
・ルノーとのアライアンスで国際化を進めてきたものの、多国籍チーム間のコミュニケーションが十分に図られていません。
4.リソース管理の非効率
人材の流出
・優秀なエンジニアや経営人材が競合他社へ流出しています。
・人事評価制度の硬直化により従業員のモチベーションが維持できていません。
投資の優先順位ミス
・儲かりにくい事業や市場に限られた資金を振り分ける一方、電動化や自動運転技術など優先すべき分野への投資が後回しになっています。
5.ブランドイメージの低下
消費者信頼の喪失
・ゴーン事件やその後の経営混乱によってブランド価値が大きく損なわれています。
・リコールや故障など品質問題も相次ぎ、消費者の信頼がさらに低下しています。
市場での存在感の希薄化
・トヨタやホンダと比べ、革新性や信頼性で見劣りするとの印象が強く、市場シェアを失いつつあります。
二.国内市場・産業構造の課題(国家的・産業病理)
1.国内市場の縮小
若者の車離れ
・都市部の公共交通機関が充実し、若年層の自動車所有意欲が低下しています。
・保険料や駐車場代、税金などの維持費が高く、購入へのハードルとなっています。
・カーシェアリングやライドシェアの普及により、『所有』から『利用』へと消費スタイルが変化しています。
高齢化社会の影響
・高齢者の免許返納が増え、新車販売台数が減少しています。
・軽自動車や安全技術には需要があるものの、市場成長余地は限定的です。
2.産業構造の課題
製造業の空洞化
・日本国内の生産コストが高く、生産拠点の海外移転が進行しています。
・国内サプライチェーンの維持が難しくなり、部品供給の遅れやコスト上昇リスクが増しています。
系列構造の硬直性
・自動車業界特有の系列企業依存が強く、新興企業との連携や柔軟な競争力強化が困難です。
・イノベーションを取り込みにくい体質が持続しています。
3.技術開発の遅れ
EV(電気自動車)市場への遅れ
・日本全体としてEV開発で中国や欧米勢に後れを取り、インフラ整備も遅れが顕著です。
自動運転技術の課題
・世界的な自動運転開発競争が激化する中、日本勢はスピード感に欠けています。
・法規制やインフラ整備の遅れも壁となっています。
4.規制・政策の課題
税制の複雑さ
・環境性能割や重量税など、多岐にわたる税負担が企業と消費者双方に重くのしかかっています。
・電動車両への補助金などもあるものの、市場全体を活性化させるには不十分です。
政策の一貫性不足
・政府の施策が短期的に頻繁に変わり、企業は長期計画を立てにくい状況にあります。
・EV補助政策などの度重なる変更が、消費者や企業に混乱をもたらしています。
5.サプライチェーンの脆弱性
部品供給の海外依存
・半導体やバッテリーなど重要部品の海外依存度が高く、米中対立などで供給が不安定化しています。
災害リスク
・日本は地震や台風など自然災害が多く、生産・物流が滞るケースが増えています。
三.グローバルな競争環境の課題(世界的産業病理)
1.技術革新競争
EV(電気自動車)市場の激化
・リーフの成功で一時はEVのパイオニアとなった日産ですが、現在はテスラやBYD、NIOなどに後れを取っています。
自動運転技術の遅れ
・Waymo(米国)やBaidu(中国)、トヨタ(日本)などが先行する中、日産の研究開発や実証実験はやや規模が小さく、統合力にも課題があります。
2.価格競争の激化
新興国メーカーの台頭
・コスト競争力に優れた新興国メーカーが増加し、老舗メーカーは高価格帯だけでなく低価格帯でも苦戦を強いられています。
競合他社の規模の経済
・トヨタやフォルクスワーゲンなど大手は規模の経済を活かしてコスト削減を推進。
・日産もルノーや三菱自動車とのアライアンスを組んでいるものの、十分なシナジーを発揮できていないと指摘されています。
3.環境規制の強化
地域ごとの規制差
・欧州はCO2排出規制が厳しく、内燃機関車での対応が限界に近い状況です。
・中国や米国も独自規制を設け、市場ごとに異なる基準への迅速な対応が必要です。
カーボンクレジットの影響
・環境対応車の販売比率が低い企業はカーボンクレジットの購入を余儀なくされ、利益を圧迫するリスクがあります。
4.地政学的リスク
米中対立
・貿易戦争の影響で米中両市場への対応が複雑化し、サプライチェーンの不安定要因が増大しています。
・半導体やバッテリーの供給制約がコストや納期に直結しています。
ロシア・ウクライナ戦争
・エネルギー価格の高騰が製造業全体の収益性を下げ、市場縮小への不安も広がっています。
5.グローバルサプライチェーンの課題
半導体不足
・自動車業界全体が半導体不足に苦しむなか、日産は他社と比べサプライチェーンの柔軟性が低いとされています。
バッテリー調達の課題
・EVの普及拡大に伴い、競争力あるバッテリー調達網の確立が急務。
・バッテリーメーカーとの長期的パートナーシップが脆弱です。
四.外部的ショックと構造的変化(世界的経済・社会病理)
1.パンデミックの影響
需要と供給の不均衡
・COVID-19の影響で自動車需要は急減し、同時にサプライチェーンの混乱で供給も制約を受けました。
・半導体不足が生産能力を押さえ込み、納期遅延やコスト増を引き起こしています。
新しい消費者行動
・オンライン購入やサブスクリプション型サービスの需要が高まる一方、日産の販売戦略は対応が遅れています。
・都市部では個人移動手段としての需要がある一方、カーシェアリングがさらに広がっています。
2.気候変動と環境意識の高まり
異常気象の影響
・台風や洪水などの自然災害が生産拠点や物流網を直撃し、生産停止や出荷遅延を頻発させています。
環境意識の変化
・消費者の環境配慮意識が高まり、EVやハイブリッド車への需要が拡大しています。
・リーフで先行した日産も、現在は競合に押され気味です。
3.インフレと金融政策の影響
原材料コストの上昇
・世界的なインフレにより鋼材、半導体、バッテリー素材の価格が高騰しています。
・価格転嫁が難しく、利益率を圧迫しています。
金利上昇による消費減退
・各国の利上げで自動車ローン金利が上がり、購買意欲が減退。北米市場などで販売台数の落ち込みが顕著です。
4.デジタル化の進展とサイバーセキュリティの課題
デジタル化への対応不足
・パンデミック以降、オンライン販売チャネルやコネクテッドカーの活用が不可欠となっています。しかし、日産の対応は遅れており、これらの分野で競合に差をつけられています。
サイバーセキュリティリスク
・コネクテッドカーの普及に伴い、データや顧客情報の保護がますます重要になっています。セキュリティ対策が不十分な場合、ブランド価値を大きく損ねるリスクがあるため、早急な対応が求められます。
5.労働市場の変化
労働力不足
・パンデミック後、世界各地で労働市場が不安定化し、自動車業界でも技能労働者の不足が深刻化しています。生産効率を向上させることが急務ですが、日産は人材獲得競争で不利な立場に置かれており、対策が必要です。
労働条件の多様化
・リモートワークやフレックスタイムといった新しい働き方に対応できる環境整備が求められています。労働環境の改善は、優秀な人材の確保および定着に不可欠です。
6.地域ごとの構造変化
新興市場の台頭
・インドや東南アジア、アフリカなどでは低価格車への需要が高まっていますが、日産の存在感は相対的に弱い状況です。
先進国市場の成熟化
・北米や欧州、日本などは市場が成熟し、EVや高付加価値車へのシフトが急速に進展したことで、競争が激化し、差別化が難しい局面です。
おわりに
『四層病理モデル』を用いることで、企業(組織)、産業、グローバル市場、そして世界的経済社会といった多層的な視点から日産の課題を洗い出すことができました。それぞれの項目を詳細に説明し、解決策を提示することも可能ですが、それは次期日産社長の仕事に委ねられるべきでしょう。
日本ではカルロス・ゴーンの年俸が10億円を超えていることが高額だと批判されていましたが、この報酬額は、日本国外の主要自動車メーカーCEOの報酬の約3分の1程度に過ぎません。私自身が日産の代表取締役候補として10億円を提示されたとしても、そのポジションを受けるつもりはありません。
それよりも、10億円の1/100、つまり年収1千万円程度であっても、ストックオプションをある程度受け取れる条件でベンチャーEV自動車製造会社の代表取締役を務める方が、はるかに魅力的で有利だと考えます。
日本で1人乗り超小型EVを製造販売してもマーケットは知れていますが、新興国で大規模に手掛けると極めて有望な事業です。
武智倫太郎