ツイッターのリアルな世界: サイコパス、権力、そして操り人形(3)
筆者は文頭で引用したGigazineの『マスク氏のCEO就任から辞めるまでの13日間』で、経絡秘孔・爆笑点を突かれ爆笑してしまいました。マスクがTwitterのCEO就任直後の二週間は、映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』のような感じだったのでしょう。
総統閣下は寿司テロにそうとうお怒りのようです #総統閣下シリーズ
映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』をパロディー化した『総統閣下シリーズ』は、著作権問題、パロディー・オマージュ創作の許容範囲、SNSのプラットフォーム運営責任問題、データ消去権といった幅広い課題を投げかけています。また、生成AIの普及に伴い、これらの問題は一層複雑化しています。
まず、著作権問題について考えてみましょう。生成AIがパロディーやオマージュを作り出すとき、そのソースとなる元の作品の著作権はどのように扱われるべきなのでしょうか? AIが自動的にこれらの作品を生成する場合、それは一体誰の『創作』なのか、そしてその著作権は誰が所有するのか。これらはまだ明確に解決されていない問題です。
また、SNSプラットフォームの運営責任についても、生成AIの影響は多大です。AIが生成したコンテンツが人々を傷つける可能性がある場合、そのコンテンツを削除する責任はプラットフォームにあるのでしょうか、それともAIを開発・管理している企業にあるのでしょうか? これらの疑問は、従来の運営責任の枠組みを根本から見直す必要性を示しています。
そして、データ消去権について。AIが人々のデータを集め、学習することでより効果的な結果を出すことができます。しかし、その一方で、人々のプライバシーを保護するためには、いつでもそのデータを消去する権利が保障されるべきです。しかし、AIが学習に用いたデータを完全に消去すると、そのAI自体の性能や精度や効果が損なわれる可能性があります。このトレードオフをどのように解決するかは、AIの倫理的な運用を考える上で重要な問題です。
以上のように『総統閣下シリーズ』は、AIがもたらす新たな倫理的課題を思考する契機を提供しています。
note株式会社の経営陣ならびにユーザも、これらのAI無知倫理問題に対して、適切な対策と規範を構築するための議論を深めるべきです。
優秀な部下を切り捨て、無能なイエスマンだけしか取り巻きに残っていない裸の王様のイーロン・マスクは、本稿を執筆する二日前にツイッターの利用制限を発動しました。
AI無知倫理的観点におけるイーロン・マスクがどのような人物なのかについては、以下の記事をご覧ください。
マスクが利用制限を掛けることは、『人工知能学会の同人誌におけるTwitter研究の第一人者の松尾豊』でなくても、2ちゃんのひろゆきレベルの『中二病』の有識者のツイッタラーたちでも、想定できていたことであり、広告主だけでなく、ツイッタラーのツイッター離れも加速しています。
ツイッターに居場所を無くしたツイッタラーは、『ツイッター難民』と呼ばれています。ツイッターは『えっ! まだ、そんなの残ってたの?』と呼ばれる『mixi』からも見切られているにも関わらず、大量のツイッター難民がmixiに流入しています。このような状況下において、ツイッターとの連携を強化しようとしているnoteは、ツイッター難民が大量にnoteに流入すると、どのような現象が発生するかを熟慮すべきです。
noteの経営陣は以下の著作権協会さまの記事などを熟読してから、noteの経営方針や運営方針を、情報倫理、AI無知倫理、著作権問題、人権問題、法的問題、持続可能性やエネルギー問題(回線、サーバー負荷、コンテンツのチェックに必要なAIの消費電力、etc.)など様々な角度から迅速に検討する必要があるでしょう。
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