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いつか見た風景 37

「追憶の天体観測」


 ジョルジュ・ミネストローネがもう一つの太陽系を発見することになる半年前のある夏の日に、私は彼の姪のナオミから厄介な提案を受けていた。「このあくび1回で8時間若返るクスリを叔父と一緒に試してくれたら、この世界の不思議の半分はあなたたちのものになるはずだから」ってね。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス



 あくび1回8時間、つまり日に3回しっかりあくびをすればこのまま私は年を取らずにいられるって訳だ。ちょっとばかり欲を出せば回数を増やしてどんどん若返る事だって可能なんじゃないかな。だけど美味しい話には必ずB面ってのがあってさ、ナオミが言うには「そこまではまだ確信が持てなくて、叔父の現状維持に急きょ試作したクスリだから」だって。

 謎多き天文学者で地元では名の知れた医師でもある叔父のために開発したこのクスリってのがさ、ハーシーのキスチョコにそっくりな形状とお味だからさ、真面目な話し食べ過ぎには極力注意が必要なんだよ。ついついキスチョコ食べ過ぎてナオミでさえ確信の持てない領域に迷い込んだらとんでもない世界が待ち受けているような気もするからさ。そこで私とジョルジュは日に3回きちんとナオミの最初の処方を守ってキスチョコを服用したんだ。

 並行宇宙ってのとは違うらしいよ。ましてや幻覚や幻想なんかでもなく確かにもう一つの太陽系が存在すると言う彼の自説を証明するには圧倒的に時間が足りないんだ。80歳を超え、今なおその頭脳の明晰さは一目を置く者も少なくなかったが、何よりジョルジュ本人が焦っていた。毎日夕食後に決まって繰り出される世の中や自分に対する不条理で多彩な愚痴のコレクションを一冊の本にまとめたなら昔は世界中どこの家でも見かけた家庭用医学大辞典ほどの厚さになっていたに違いない。

「言いたい事をまとめて本にする時代はとっくに終わったのよ」と、ある日ナオミがジョルジュに言った。それに分厚い本を読み耽ったりコレクションする人の86%は世捨て人の傾向が強いのと付け加えた。「今の時代は言いたい事は言いたい時に呟くスタイルが主流だから、だからツイッターってもんがあるのよ」

 ジョルジュがツイッターを始めて1週間、私がちょうど退屈と憂鬱の狭間で何気なくツイートした一文を目にして丁寧なDMを送って来た。
「退屈と憂鬱のかくれんぼに関するあなたのツイートは近年沈滞気味だった私の研究を一気に飛躍させました。もう一つの太陽系は私たちの住んでいるこの太陽系の中に存在しているんです。共にかくれんぼをするように。よろしければこの件に関して是非あなたと有意義な意見交換が出来ればと願っています。ジョルジュ・ミネストローネより」



 こうして私とジョルジュの交流は一瞬のうちにスタートを切った。8962キロメートルの距離とか6時間の時差なんかちっとも感じる事なく。ジョルジュとナオミはイスタンブールの郊外の一軒家に住んでいた。イタリア人の父とトルコ人の母を持つジョルジュは幼い頃から夜空の彼方の神秘に憧れていて、古代ギリシャのピタゴラス学派のフィロラオスが提唱した反地球(カウンターアース)の概念を頑なに信じていたんだ。つまり太陽を挟んで地球の反対側に地球そっくりの惑星が存在するってね。

 ナオミは2年前に奥さんを亡くし一人ぼっちだった叔父を心配して住み込みで世話をする様になっていたから、ジョルジュの変化には日頃から敏感に察知していたんだ。介護施設でカウンセリングの仕事をしていたナオミは薬剤師の免許も持っていたから年老いた叔父の面倒を見るにはこれ以上ない存在だったんだな。

 近代から現代に向かい天文学が加速度的に進化して反地球説が簡単に否定されると、もう一つの地球は苦悩しながらもSF小説とか映画の中に自ら居場所を求めて彷徨って行っただろう。きっとジョルジュはその姿を見るに見かねて決意したんだよ。私がもう一つの地球を救い出そうってね。だからそれにはきっともう一つの太陽系が必要だったんだろうね。惑星間の何かの力で引っ張り上げるつもりかも知れんな。科学者じゃないから私にはその辺の考えは全く分からないけどジョルジュの心意気は何だか賞賛に値する気がしてさ。

 


 国際郵便で送られてきたキスチョコを日に3回ちゃんと食べてるから、あくびの度に何だか私の頭もスッキリしていてさ、ジョルジュと意見交換しながら毎日楽しくやってるよ。退屈の中に隠れている憂鬱ってのにもちゃんと理由があるように、太陽系の中に隠れてるもう一つの太陽系にもちゃんと彼らなりの理由があるんだよ。簡単には見つかりたくはないけど、その存在にはちゃんと気づいていて欲しいって言うね。

 ところで最近ちょっと奇怪な事が私の周辺に起こり始めたんだ。公にするのは時期尚早かもしれないんだけどさ、私のお気に入りの金曜日のヘルパーさんがジョルジュがツイッターにアップしたナオミの写真に瓜二つになって来てるんだ。それにさコレは最大級の謎なんだけどジョルジュの写真も日に日に私の主治医の顔に変化して来ているようなんだよ。だからさ、もう一つの太陽系が私たちの住んでる太陽系の中にすっかり溶け込んじゃってるんじゃないかなって、私なりに仮説を立ててるところなんだけど、宇宙の神秘って奴だよねきっと。



「えっ、今日のお昼はこのチキンバーガーとミネストローネスープなの?」
朝からバタバタしてたから近所のバーガーショップで買って来ちゃったって金曜日のヘルパーさんが苦笑いしながらそう言った。洋風なのは悪くないけど、正直カツ丼とか牛丼とかの方が良かったな。テーブルの上に私の昼食がセットされ金曜日のヘルパーさんの前にもミネストローネが一つ。
「私のも買って来ちゃった。ご一緒しますね。そうだ、ちゃんとキスチョコも買って来ましからね、後でね…」



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