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『父と 母と 私の旅』⑤ 七夕の願い

(前回の話)

父が亡くなって3年目の七夕の頃。
母がまた足を痛めた。

6月のある夜、蛍を見に東京の奥多摩まで遠出をした際に、丘から大きな段差を降りようとして、無理に膝を痛めてしまったらしい。帰りの道中、歩きながら、母に気功の施術をする。その後3、4日ほど連日施術をするが、痛みは引いていくどころかむしろ強まる。施術をしているにも関わらず、痛みがしずまる方向性ではなく強まっていくようにみえるというのは、『痛みの峠』へ向けて、身体の治癒力が働いているということだ。痛みというのは、必ず峠(ピーク)がある。だんだんと大きくなり、その峠を越えると、ぐっと痛みが軽くなり、治癒されていくのだ。
しかし、これだけ施術をしても、まだ痛みの峠を越えないとは、相当に痛めているのだと思った。靭帯の損傷だろうか…
なんとか痛みを取りたい、と私の中にも内心若干焦りが生まれる。

施術者側の心理状態は、施術の質をほぼ決定する。私の中に焦りがある以上、多少なりとも治癒は進むが、そのスピードは「焦りの分」だけ落ちる。けれど、大切な身内に起こることにはどうしても私のエゴが反応してしまい、「早く痛みをとってあげたい」と気持ちが急いてしまうのだった。

母は身体の痛みが引き金になったか、痛みがひどかった際に何重にも紐づけられていた父への思慕の念が引き起こされたらしい、こころも一挙に弱っていくのが目に見えて感じられた。

七夕が近いので、孫たちのために笹を買い、折り紙を切って短冊を作り、願い事を書こうかと提案する。「それはいい、やぁ、嬉しいわぁ」 まるで母自身が小さな少女のような声をあげた。70にも近いおばあさんは、保育園に通う3才の孫、こはるに負けない可愛らしさで、その作業にときめいていた。少し元気になって良かった、とほっとした。

結局用意した短冊には、孫たちよりも、70の母が誰よりも多くの願い事を書いた。10数枚のそのほとんどが、自分のことではなく、家族のことについてだった。3人の娘たちのこと、その夫たち、6人の孫たちのこと、一人ひとりに対して。自分を省みず、常に周囲の人に想いと愛情をかける、掛け値無しにやさしい人だった。

近所の花屋で買ってきた小さな笹に、母がいそいそとその短冊をかけて飾った後、ちらと短冊の1つに目が止まり、一気に眼の奥が熱くなり朝から号泣する。慌てて母に涙を見られないようにベランダに出る。

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生涯で一度だけ、自分でも気に入った歌を作ったことがあります。

大音響
あんまり音が大きいので
我々の耳には聞こえない
だけど、ほら
またひとつ
花びらが
落ちた

「あの人はもう亡くなったんだから、現実に向き合って、自分自身の人生を生きていきましょう」

「悲しみの感情をワークすることで癒して、自分の経験を完了させましょう」

亡くなった人は世界に大音響を放っています。我々の方が「亡くなって」いるのでその音が聞こえなくなっているのです。

「悲しみの感情」は「ワークすることで癒」すのではなく、自分が亡くなる瞬間まで引き受けて生きるもの。

「花びらが落ちた」「悲しみ」は、落ちた花びらの代わりに咲いた本物の華。

自分の経験など未完了でまったくかまわない。
この世のすべては未完了なのだから。
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(橋本久仁彦さんの言葉より)

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明 さん

  「明」という字は、日の光、月の光
  夫であった「明」の魂を呼び、召喚し、

逢いたい、逢いたい、逢いたい‥‥

  愛、逢い(あい)、たい という愛(かな)しみ
  愛しとは、かなし
  かなしとは、こころが動き、我慢することができない、
  しみじみといとおしい気持ち

叶わ ない

  その切なる願いは 叶わ 「ない」

  こころは「ない」という意識状態の中にいる

けれど

ふと 辛くなる
ときに

無傷に

  「無性に」を、無意識にか、無傷に と書いたのは、誤りではない、
  恐らく。
  そこに、言うもえわれず 深い深い『傷』がある

声が
  『声』(越え)とは、『越え』てゆくこと
  彼の岸から、此の岸へと越えてゆく運び

聴き たい な。

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その後、何度も母のこの短冊を読み返した。
ここに母の全存在が、全人生が、立ち現れていると思う。
20才で両親を亡くした母にとって、父は、
間違いなく“明”(光)だった。
その“明”を失って、喪って、
これほどにもなく、母の存在は、“明さん”で埋め尽くされ、
“明さん”で溢れかえり、
明の身を、目には見えない姿を、耳には聴こえない声を、
乞う(恋う)、
そうするともはや、母 由紀子は、即 父 明 となる‥‥


母のこころの中に、いつも、はっきりと「父がいる」。


母は、母に贈られたどんな贈り物やお土産も、
父へと贈られたお供えものも、全て父に捧げる。


そして、父に報告している。
お父さん、こんないいもの、いただいたよ‥‥


沈黙する額縁の写真の中で、母は父の声を聴いている。


ひとは、から(空)だ、だという。
だから、私たち、何かに依るのだと。
何かにうつってゆくのだと。


ものに、こころは宿る。
贈られる花々に、いただきものに、
お歳暮に、
仏壇を取り囲むいつも何かしらのものたちが
全て、父である。


どれほど、母が、父を思い、
今も、父を語り、父の面影を、見ているか、
そこに、父の存在が、はっきりとある。
母が思うから、父は いる。


母の奥底には、いつもゆらぎながら、父が「い」て、
時折、そのゆらぎが、焚き火のように大きくなり小さくなる。
恐らく、その「父が『いる』」ことは、亡くなるまで変わらない、自らの一部なのだろうと思う。

この人生で与えられた自分の運命に、最後の一息まで向き合おうとする。
母は、父のいない悲しみを、最後の一息まで共に引き受ける。

この、逢い(愛)たい
という愛しみ(かなしみ)を、誰が奪うことができるだろうか。


短冊の母の願いを見て、その日の夜だったか、母の膝に施術をしながら、もはや「良くなって欲しい」という私の願いを、手放した。痛みよ、あなた、もう、いくらでも、そこにいていい。もう、ずっとずっと、痛いままでもいい。あなたのかなしみ(愛しみ)、そこにいたいなら、どうぞ、ずっとそこにいていい。

涙を流しながら母の膝の痛みに手を触れていた。

その瞬間に、私の知覚では、不思議なことが起こった。何か菩薩のような女性が現れて、母の膝の上に置いていた私の手の上に、その人の手のひらを重ねてくれた。「おばあちゃんだ」と思った。母の母、私が生まれる前に他界している祖母である。

すると、その膝の痛みの箇所から、ふわりとピンク色に光るもやもやとした玉のようなものが生まれ、空中へ昇り、しゅっと消えていった。

その瞬間、あ、痛みの源が消えた、と思った。

そこを境に、母が感じていた痛みはすっと引いていった。

後から病院での検査結果が出て分かったのだが、靭帯損傷ではなく、骨折だったので、母の痛みは相当なものであったのも当然だった。
病院から「全治3ヶ月、安静に」と言われたが、既に母は痛みもなく、普通に歩けるようになっていた。
そして、また少し軽やかに、穏やかに、元のような日常に帰っていった。
「これで、来月のコーラスの発表会も参加できそう」と、また顔が輝き、嬉しそうに。


木漏れ日のように、ちらちらと「いない」「いる」の間を、揺らぐこころの炎。


母が、いのちの境を越え、彼岸に到達した暁には、
存分に父と逢い、父の声を聴くだろう。
この年の七夕の願いが叶えられる、いつの日かの母の葬儀の際には、
あっぱれ、と全力で言祝ぎたいと思う。

愛し(かなし)は、この此岸と彼岸を越える。
今、此の岸にいようとも、思いは彼の岸へと越えること、
此岸も彼岸もここにあることがありありと示される。

この母と父の元に生まれて、私は、
母のように、人を愛したい と 深いところで願っているかもしれない。

母とのことが落ち着いた3-4年目、今度は自分の心身の療養とヒーリングを学ぶ目的で、私はバリ島で暮らしていた。日本語と日本の文化を離れ、外国で、言語は主に英語を使って暮らす毎日。ことばを扱いながら、自身や他者の感情を表す表現として、本質に近しいと見受けられるものが選択し、抽出され得たとしても、非母国語である言語。細部に宿るあわいは削ぎ落とされた別物の、簡易的、説明的、表層的、短絡的に、物事と言葉をとらえがちな環境にいた。

だからこそ、よほど、繊細に微妙なタッチで自分のこころに触れ続けたい、と、時折、母語のやまとことばで紡ぎ出される、「聞く」の師、橋本久仁彦さんや、姉のような存在の人のの言の葉に、触れていた。この、圧が高い言の葉に触れられることに、こころの深い場所からの安堵と、わたしには理解し得ないけれども大切なものがある、と、胸の内奥からの震え。

ともすれば、「ヒーリング」というカタカナを使い、「治癒される」と、さも分かった風に知ったかぶりをした我が身ではないかと、背筋が微かに凍り、正される。

今を生きることのかけがえのなさを、
出逢う人、景色を何層にも深く深く観る智慧を、思い起こさせ、示してくれる日本という国に生まれたことに、
何とも言えない誇らしさと、歓びがある。
これもまた今世の自分の運命だったと、思う。
運命とは、命、運ばれてゆく こと。

まったく、私自身はどこまでも至らない存在ではあるけども、出逢った人が、私の誇りである。
どこにいようとも、私の中に、父が、母が、師が、姉が、無数の人たちが、
彼らのことばが、面影が、
息づいて(生きて)いる。

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「存在する」とは、「生きる」とは、「一人になる」ということが不可能であるということである、と示します。
なぜなら、「我々」が即「人間関係」であるからです。
なぜなら、「私」が即「他者」であるからです。
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(橋本久仁彦さんの言葉より)


(2020年7月に書いたものを再編集しました)


(⑥に続きます)

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