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なぜ人は男と女の遺伝子を残すのか

夏のパリオリンピックでもっとも印象に残った出来事は、ボクシング女子のヘリフさんへの「男性か」「女性か」という議論だったような気がします。

「男性なら筋力があって強い、だから女子に出るのは卑怯だ」

最初のうちは「確かにそうだよな」くらいに見ていたけれど、よくよく考えてみるとヘリフさんは何も悪くないし、批判される理由も全くない。

間違っているのは「男」「女」という2択に決めつけられた競技のレギュレーションである。恐らくこの2択は数百年、いや数千年と続いてきたのかも知れないが、科学技術の発展で考え方の根底が崩れてきた。

ゲノム解析によってあきらかになってきたこと。

これまでの歴史を紐解くと、外見の違いからの男女識別に始まり、その後は顕微鏡での観察により23番目の染色体が「X X」なのか「XY」なのかによって性別を決めていた。かなり長きに渡って…

減数分裂した卵子に精子がたどり着いた時、Xを持つ精子だったら女の子、Yを持つ精子だったら男の子が生まれる。人間の性決定は完全に1/2のサイコロの確率だ。

でも性には「ゆらぎ」がある。Y染色体だって歳とともに減少していき、80歳くらいになれば血液中のY染色体はほぼ無くなる。特に「魚」は性のゆらぎが顕著に現れる生物だ。オスにもメスにもコロコロ変わるし、精巣と卵巣が入れ替わることだってある。

さらに「トカゲ」や「カメ」は生まれる時の温度で性が決定してしまう。暑すぎたり寒すぎたりするとメスになって、程よい温度の時だけオスが生まれる。そういえば以前、養殖ウナギを繁殖させられなかった理由は、生まれてくるウナギが全部オスになってしまったからと聞いたことがある。確かその後の研究で与えるエサの種類によってオスメスの産み分けができるようになったようだった。


そうなんです。人間の性は、思っていたよりもずっと曖昧だったのです。少なくとも今わかっていることは数十から数百の遺伝子が性決定に影響しているということ。

世の中には100:0で100%女性である人間もいないし、100%男性もいない。実は性は2択ではなくてもっとずっと種類があったんです。だから、もしかしたら僕は95%男性で、5%女性といった性なのかも知れない。たぶんヘリフさんはこの割合が比較的近かっただけで「普通」の女性なんだと思う。


しかし、なぜ生命にはこのような曖昧で危うい遺伝子継承の仕組みが備わっているのだろうか。もっとシンプルに細胞分裂で子孫を残すようにすれば、永遠に自分のコピーを作ることが出来るし、子孫を残す相手探しに困ることもないはず。

たぶん、自然環境の変化の中で弱い人間が生き抜いていくためには2つの要素が必要だったのかも知れない。

1つは、限りなく50%に近い確率で性決定することで繁殖効率を最大化すること。それともう一つは遺伝子交換効率の最大化、これは出来る限り遺伝子同士をシャッフルしてあげることで、新しい遺伝子セットをどんどん作り出していくこと。

たぶん、先を見越して遺伝子が戦略的に変化しているわけではなくて、多くのバリエーションを作り出すことで誰かが生き残るだろうという「群戦略」を用いた弱い人間の生き残り策だったのだろう。

僕たち人間、いやホモサピエンスの身体の中には今も数%のネアンデルタール人のDNAが存在している。ここからも想像出来るように決して力の弱いホモサピエンスが、身体の大きなネアンデルタール人を打ち倒して生き残って行ったわけでは無いのだと思う。

お互いが融合していった結果、ホモサピエンスの遺伝子交換効率が、より高かったために全遺伝子を支配していったのだろう。

そして、遺伝子交換において重要な役割を果たす、僅か50塩基ほどのDNAで構成されるY染色体は1000年後には消滅する可能性があると言われている。

もしかしたら近い将来、「性別」という概念が無くなっているのかも知れない。きっと、その時に初めて「ダイバーシティ」の意味がわかってくるような気がする。

そういえば、この前発売されたリメイク版「ドラクエ3」にはすでに「男」「女」という性別は廃止されて「ルックス」という表現になってたなあ…


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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