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本当は誰もインターネットなんて望んでいなかった。

僕にとってインターネットは必要なものなんだろうか?

確かに毎日を楽しくしてくれるし、無ければ連絡も取れなくなってしまって辛いと思いますが、だからといって死ぬわけではない。

普段目にすることの出来ない遠くの出来事や大好きな動画を見ていると時の経つのを忘れるほど楽しい。150年前の天才、アインシュタインにも出来なかった凄いことを僕は当たり前にやってしまっている。しかし、それが僕を、いや僕たちを幸せにしたんだろうかとつい思ってしまいます。

毎日のように、SNSでの誹謗中傷によるニュースや事件が世の中の至る所を駆け巡っているが、その中には非常に不快なものが多く、しかもその内容も年々過激になっていっているような気がします。

結局は、SNSで「つながりあう」よりも「わかりあえない」ことが終着点にあるような気がしてならないのです。

お互いの心の内面の、きっとごく一部が見えるようになってしまったことで、相手のことをバイアスを通して見てしまう。そうすると、ほんの些細なことが何十倍にも何千倍に増幅されて受け止められてしまい、負のエネルギーとしてあっという間に拡散されてしまうのです。

まるで夜の街灯の光に集まる「蛾」の姿を見ているようだ。昆虫たちは光のある方向を「上」と認識してしまい、ひたすらに光に向かって力のある限り飛び続けてしまうのです。

お互いが疲れ果てて、次の獲物が見つかって関心がなくなるまで続けられるでしょう。きっとこれは人間本来の「集団で狩をする」という本能が働いているんだと思います。

恐らく、インターネットの大きな誤算は、つながることでお互いが「わかりあえて」仲間が増えるはず、という結果にならなかったということです。狩猟民族としての隠れていた人間の本能を呼び起こして、見えない岩場から虎視眈々と獲物を狙っているような社会を作りあげてしまったのです。


インターネットが最初に誕生したのは、1969年のアメリカです。誕生当初は軍事利用を目的に作られた通信システムでした。そして、民間に広がったのは1995年のWindows95の登場から、さらには2010年にはスマホの普及によりTwitterやLINEといったSNSが急速に広まっていきました。

もしかしたら、本当は戦うための道具だったのかも知れません。

もしもインターネットが無かったら?

僕たち人間は、コミュニケーションをしたいという欲求を強く持っています。1人でいるのは怖いし不安になるから、気持ちを伝え合わずにいられない生き物のはず。だからSNSも、Youtubeも無い世界はとても恐ろしい気がする。

でも、IT化の波など無く日本の経済は衰退することも無かったのかもしれない。こんな不寛容な社会になっていなかったのかも…

それでも、インターネットは大河の流れのように、ただひたすら先へ先へと進んでおり、誰も止めることは出来ない。僕もひたすらついていかないと、置いていかれて、いずれ飲み込まれてしまうだろう。

果たしてインターネットは人々に幸福をもたらしてくれるのだろうか。

もしもパラレルワールドが存在するのなら、あなたはインターネットのある世界と、インターネットの無い世界のどちらを選びますか?


とか言いながらnoteを書いてる僕は、今日もネット無しでは生きていけません(笑)

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。


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