「あれさえ無ければ今頃もっと良くなってた」なんて幻想だった
「あの時、ああしていれば今頃こうはならなかった」
人生には悔やんでも取り返しのつかないことが山のようにあります。
好きな子に告白しておけば、違う人生を歩んでいたとか、真面目に勉強やっておけば、良い会社に就職出来たとか、健康に良いもの食べておけば良かったとか…
もしかしたら、僕は「人生B」を選び続けてしまったのではないかって感じることばかりなのです。本当の僕はキラキラして眩しいくらいの「人生A」を歩んでいるはずで、ずっと正しい選択をしていれば、今頃素晴らしい人生を送っていたはずだったって…
まるで、パラレルワールドの世界を見ているかのように、現実世界にはいない「成功者」の自分といつまでも比較し続けてしまっている。もしも、量子コンピュータのように「人生A」と「人生B」が50%づつの確率で存在する世界に生きることができたなら、2つの世界の自分同士で示しあって常にアタリを引き当てる事が出来たはずだった。
それでも、頑固な僕は最後の選択でいつも「モンティ・ホール問題」に引っかかってしまう。モンティさんの悪魔の囁きに乗っていれば正解は2/3となってアタリを引き当てる確率はグンと上がっていたはずなのに、最後の最後まで自分の選んだ道を変えずに、1/3の確率を信じて踏み誤ってしまっていたのです。
「後悔先に立たず」とはよく言ったものですよ。まるで僕のためにある言葉じゃないですか。まあどんなに考えても人生Bに成るべくしてなったような言葉の気がしますが…
1+1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/64+…
そして、きっと僕の人生はこんな無限級数のような選択を繰り返していたのだと思います。人生の初期の選択はその後の人生に大きな影響を与えるが、人生後半の選択では1/128、1/256…と限りなく「0」に近づいて行き、どんなに頑張ってもある答えに収束していくのです。
そうなんです、実は僕の人生は「人生A」を選んでいても、「人生B」だったとしてもどちらも人生の総和は「2」だったという事に気づいてしまったのです。どっちを選んでいたとしてもその後の人生にたいした影響を与えておらず、総じて言えば同じ結果に向かって進んでいるんだとわかったんです。
1+1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/64+… = 2
「あの時、どっちを選んでいても結果は一緒だった」
僕の人生は後悔するまでも無く、最良の道をとことん進んでいるんです。そう信じれば良いんです。だから僕の進む道は「呪術廻戦」に出てくる特級呪術師の五条先生の繰り出す「無下限術式」と同じで、“収束する無限級数を現実化”することで、誰にも辿り着けない僕だけの「人生A」という現実世界を作り出していたんです。
きっとあなたが進んでいるのは「人生A」のはずです。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。