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映画「ショーシャンクの空に」感想


この一ヵ月、英会話のレッスンを、友人である英会話の先生と基本日本語でずっと行ってました。

そう。

98%日本語で。。

英会話というか、

語学を勉強する前に

根本的に

『言葉』とか『コミュニケーション』とは何か?

と言う話を、一ヵ月間みっちりしてました。


1日約5分〜15分位のボイスメッセージをお互いやりとりして往復書簡してるんですけど……

その上で今言葉にできるようになったのは


「日本語がなくなった時(使う者がいなくなったとき)日本人は滅亡する」


これはずっと思ってたことですが……

やっぱそうなんだろうなぁ~とか

じゃ、そもそも今使ってるこの、

僕のこの『日本語』って一体なんなの?

ってことを、

かなり時間をかけて、

英会話の先生と

『日本語』で語りまくってました。


僕が物心ついた頃から、年々、自分は日本人ではなくなっていってるんだなと思っていて

純粋な日本語と言うのは

西洋の文化が入ってきてから難しくなったような気もしますが、物心ついたときには東京だし、それもあんまりピンとこない。

西洋的なもの?とかかが、全国つつうらうらすべての町や村に他の文化が入ってきたわけでは無いだろうから、まだそれは残されている、として

結果それがテレビ化かメディアの出現によってどんどんどんどんどちらかと言うと西洋化と言うよりも「テレビ化」とか「メディア化していった」のかなと。


つまり僕が物心ついたときに

僕がこの日本で使っていた言葉は

「日本語と言う道具を使ったメディア語だった」

そういう感じなのかなぁと思いました。


メディア側のいろんな情報規制の話とかを根本に置いた上での話なんだけど、その規約は業界人でもないし一般市民には正確にはつかみづらい情報でもあるので、個人的にはさておき。



どちらにしても

そのメディア語

それが一般的になるに従って

どんどんどんどん

『いわゆる日本語』

=『日本の心・言霊』

みたいなものは滅亡して行ったんだなとは、思っていて。

その危機感を感じたのは八年位前か

それは初めてサラリーマンとして就職しようと思ってビジネスマナーを勉強したときに、これはやばいと思ったのがきっかけで。

ビジネスマナーの中での言語表現を学べば学ぶほど、

なんか気持ちと行動と言葉と声がズレるなって言うことの繰り返しで。。

これってどうやって個人的に修正すればいいんだろう?

っていうところを結構考えさせられた。

結果、

「言葉に行動を合わせる」のではなく、

「行動に言葉を載せるときに、相手に失礼のないよう心掛ける」ことで

互いの自由や意思を尊重し合いながらどこまで自分のままで居られるか?

みたいなパーソナルなところに行き付いたのですが。。


その上で思うのは、

日本語のバックボーンとなる日本の風土がなくなったから、日本語は日本語として滅亡していったんだなぁ。。

=環境から言葉と言うのは生まれるからこそ

本来の日本語は衰退したんだな

思ったのと

別にそれは良い悪いの話じゃなくて現実的な話で

その上で

日本の良さとしての四季や環境の美しさはまだまだ残ってるし

それに密着して生きている人ほど日本人的な感情感を持っているなぁと思うと


そのぐらい環境によって言葉と言うのは生まれてくるんだなと。



環境によって体が育まれるからこそ言葉が生まれるなら

そこにスマホとかメディアが介入してるので

同一言語としての

「メディア語としての日本語」

というか、

「暗黙の了解的なコミュニケーションの仕方としての日本語」

が、

今あるんだなと。



つまり、

常識よりも大切な

良心とか真心とか忖度とか思いやりとか、

そういうものが日本の心としての言霊としての日本語を作ってると思ってたんですけど、


今の日本語は、現実的に、そこには基本あてはまらない。


基本あらゆるメディアとの関わりの中で暮らす僕は

知らず知らずのうちに

「(個人的主観としての)『常識としての日本語』を、(個人的主観として)『常識的に使っていた』んだな」と思ったわけです。

僕の中に勝手に

「日本語と言う常識」があって

「常識と言う答えのない何か」があって

それを「僕のバックボーンに照らし合わせながら相手に向かって使っているので、同じ日本語なのに、そもそもの常識が違うので、なんか噛み合わない時が出てくる」

それは多分チャンネルが増えたり

検索によってリンクをたどったりする文化が出てきたから、

などもあるとは思うのですけど


自分の好きな『日本語』のイメージは

『日本語』=「空のような言語」であれ!

それが、日本の風土が大好きな自分の想いというか

いうならば

日本語という言霊に対するイメージですけれども


ビルが増えた分、
言葉は別の輪郭や遣い方を得てしまったのかなぁ

とか

その上で、

自分は日本語を道具に使ってるだけだし、とか。

でも、
そんなに難しい言葉を使わなかったとしても、
日々喋ってるんだけで宇宙人に思われるのは、

「少なくとも僕自身が、最初からどこにも属さないということを受け入れた上で自分の言葉で自分の考え方を喋ってるからだろうな」

というのがここ数年の答えでもあります。

個人は個人。

すべての情報は個人的なものである。

なぜなら個人のカラダはその当事者のものであり、他人がその感覚を同じように共有することは不可能であるから。

つまりそれが僕のいう

「少なくとも僕自身が、最初からどこにも属さないということを受け入れた上で自分の言葉で自分の考え方を喋ってるからだろうな」

に、つながるのかなと。



その上で

「他人が作り上げたコミュニケーションや他人に言葉を預けるとどうなるか?」

つまり環境に

「自分の言葉でコミュニケーションすることを放棄し、それを預けてしまうとどうなるか?」

という、

アイデンティティの問題が浮上し、

「天国は天使を育てるし、地獄は悪魔を育てる」

かもしれないけど、

そこまで個人の自由って単純ですかぁ~?

って思うタイプなので

「天国も地獄のような悪魔を育てるし地獄だって天使がひそやかに生きている可能性もある」

と言うのが

僕個人的な考え方で。



どんな社会であっても希望を失わず
自分の言葉で話し続けることをやっていきたい

どんな環境であっても
できるだけ希望を失わず
自分として何とか希望に向かって生きていきたい

どんな過去やどんな状況にあっても
できるだけ希望を失わずに
何とか希望に向かって生きていきたい

みたいな

外的な要因前提なネガティブな前提でもなくて

「時々腐ったりもするんですけどそれでも自分を踏みとどまらせるものって何なんだろう?」と思った時に

「環境の中に大好きな人たちがいればいるほど世界は自分にとって好きな言葉を自分の中に育み」

「環境や他人を恨めば恨むほどその言葉は自分自身を蝕む可能性が上がってしまうけれどもそれはそれで大変なことなのでお疲れ様です」と、

自他共に思いつつ

そういう話を

日本語ばっかり使ってた即興英会話劇の勉強として色々してきて

結果、シナリオのたたき台も

良いものが出来上がったんじゃないかぁ

と言うところに来たので

今ここに文章を音声入力しています




言葉に合わせ
行動を合わせているとどうなるか?

人が道具を変えるんじゃなくて
道具が人を変える

これが世の常であるなら

なおさら。


時代が変わっていったのは
道具が変わっていったから
=文明が変わっていったからならば



文明と言うのは
物質的な形
=環境

声や言葉でさえも
空気や物質として環境を変えていくので

なるほどそれで日本語がどんどん滅亡していってるのに

日本人ぽくみんながなくなってるのに
忖度とか言ってるから
なんかズレてておかしくなる

その原因って、

「それってただのメディア語だからじゃん」

てなって

今現在一番強いメディア語は

『GAFA語』

とするなら

はたして僕らは、その上で

「誰に何を伝えたいのでしょうか?」



そういう話をずっと英会話の先生と一カ月間し

今度僕以外の女性陣にバリバリの英語を使ってもらいながら即興演劇をやるのですが

自分はスマホで翻訳のソフトとか使ったりとかめちゃめちゃな日本語とか英語とかで喋りながら

僕にとって
「言葉とは何か?」

僕自身にとって
「自分の気持ちをしゃべるとは何か?」

と言うことを即興ライブで伝えていきたい

などなど思った次第です。




ここが日本とか日本語とか言うよりも前に
自分の気持ちを伝えるために言葉や声はあるんです

繰り返します

言葉や声は自分の気持ちを伝えるための道具なんです

それは大切なことです




そういうことを伝えていきたい


でもそれはいろんな人たちから教えてもらってきたことで
それについては、
自分にとってのかけがえのない財産だと思っています。


以上『#ショーシャンクの空』を昨日見たんですけど、最高の映画でした!!というところで『ショーシャンクの空』の感想でした!


当時この映画はリアルタイムで見たと思うんですけど
その時なんか調子が悪くてラストシーンしか覚えてなくて。

そんなに面白い映画じゃないよねって言う認識があって

周りの人たちに好きな映画を聞いたときに「ショーシャンクの空」って言われるたびにそんなに面白くないんじゃないって話をしてたら

親友のゴンゴンが

「みんな大体オチのことしか言わないんだけどそれまでの流れとか全部込みで最高なんだよ」

と言っていたので2人で予告編を見たら本当に最高で

昨日親友のなりちゃんがペスカトーレ作ってくれるというところで食べに行ってその後に2人でDVDで見ました。


話が長いので一言でまとめると



「自分はいち市民として日本語にこだわっていたのかなあと思っていたんですけど、自分の道具の使い方についてきちんとこだわりたいと思っていたんだなぁ、ということがわかりました」


つまりは

「一個人の自由の遣い方について」





『#ショーシャンクの空』最高でした!!

ゴンゴンありがとう!

ちなみになりちゃんから教えてもらってもう3年間で6回見てる最強の映画は

『#グッドウィルハンティング』です。






#aiueoka
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絵画

#KnightMonkey

#内藤幸司

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