
令和阿房列車論~その25『鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む』(9)
前回までのおさらい
…8月だったんですね。
そんな訳で年内に完結出来ませんでしたが、更新しました。
セクション16〜曾遊、その喜びと悲しみ
作者の酒井順子さんは、内田百閒氏に『◯◯鉄』という名前をつけるとしたら、「曾遊鉄」とつけるとセクションの冒頭に書いています。
「曾遊」とは、曾て行ったことがある、の意味だそうで、百閒氏は乗ったことのない路線を乗りつぶしたいという欲求よりも曾遊の地を再訪したい欲求を強く持っていたと解釈しています。
酒井さんは宮脇俊三氏についても「曾遊鉄」の要素があると解釈しています。
宮脇氏は国鉄全線完乗をした方なので、その後の訪問先は『曾て』訪問した場所であることが多かったようでした。
ただ、内田百閒氏も宮脇俊三氏も年齢を重ねてからの曾遊が多かったゆえに、タイトルにある喜びよりも悲しみが強かったと思われます。
曾遊を我が身に置き換えてみると
さて、我が身に「曾て(かつて)」行ったことがある地への訪問というと、ここ数年の北海道旅行がまさに曾遊旅行だったと思います。
まずは2020年11月の道東旅行で、マガジンにまとめました。
道東、特に根室にはかつて行ったこと…いや、『いた』ことがある場所です。
根室には親の転勤で昭和50年4月から54年3月まで住んでいました。さすがに40年以上も経ち交友関係が続いている友人はほとんどいませんけれども、生活の拠点が変わってからも行きたい場所でした。
そして2022年9月の旅行で、こちらもマガジンにまとめました。
北海道、特に札幌はかつて幼少期と思春期(中学生から高校生の頃)に住んで「いた」街です。
生活拠点が現在の神奈川県になって30年以上も経ってしまいましたけれども、やはり札幌は私の中では(私の)ベースになっている場所です。
他にも曾遊の土地はいくつかありますが、北海道、特に札幌と根室は私には大切な場所です。
コ◯ナ禍でなかなか遠方には行くことが難しい今日この頃ですけれども、北海道に行くことが出来れば明日にでも行きたいです。
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