はてなブログより~その24【振り返り】2005年8月編(パート9)
はじめに
…2005年8月だけで「パート9」とはどれだけ「はてなダイアリー」に書き込んでいたのだろうか。
今の自分には書き込む時間、いや気力がありません。
2005年8月21日 テーマ3件
これを書いているのは22日ですが日記の内容は21日の事です。
おまつり
自治会のお祭りで「子供みこし」と「山車引き」があり、子供2人を連れて参加した。炎天下の中どうなることか…と思ったが、飲みもの等の差し入れが各所であったので、(この時点では)バテずにすんだが…
おまつりのあと
自宅に戻り、少し休憩。昼食は山車引きの時にもらったパンと牛乳でお腹いっぱいだったので食べなかった。それから買物に行ったのだが、帰宅後ドッと疲れが出てしまい夕食まで爆睡してしまった orz
うつ病…(過去日記番外編)
自分は、この「病名」がわかるまで何年かかったことだろう。そして周囲に理解されることもないまま…なんて、暗い話を毛頭するつもりはございません。
2003年6月(←修正)、この一件が原因で長期療養に入っており(入院はしていませんが)「矢口真里写真集」の話題にもついていけず、その写真集にも興奮を覚えず、まさに意欲喪失の状態。それは仕事も然り。けれども、最近それを癒せるものが見つかった。「モーニング娘。」で癒すことも出来るのだが、最近のお気に入りは、あの「綾小路きみまろ」
あの毒舌と自虐的なギャグで(自分を)笑い飛ばす事が出来たら…治るかもしれない>うつ病。
2005年8月23日 テーマ3件
どしゃ降り&雨漏り
会社の帰りに雨が降ってきたんですが、京急横浜駅でホーム増設工事中のすき間から雨漏りがあり、靴びしょぬれ orz
仕事にて
上司の出張の計画・立案を頼まれたが、鉄ヲタゆえ旅行プラン作成はお手の物。今は亡き宮脇俊三先生を尊敬する自分にとって、鉄道検索サイトや時刻表を見ながらパズルのごとくプランを練るのはお手のもの。が、そこは若い鉄ヲタと年配のビジネスマンの違いを考慮することも怠らない。例えば、
・乗換時間は必要以上に余裕を見る
(ヲタはダッシュで乗換え可能だが年配は…)
・夜行は使わず、新幹線・航空機・ホテルを組み合わせる。
まあ、自分が旅行出来るわけではないが、ちょっとした旅気分を味わったり…こういう仕事は結構楽しい。検索サイトを見ていても、業務利用なので堂々と出来るのもいい w
ちょっとした変化
今週から、3ヵ月半ぶりに30分シフトのフレックスから通常勤務に戻る。通勤時に体調を悪くすることが多く通勤時間に余裕を持つ措置だったが、ここ1ヶ月は余裕時間なしでも出勤出来るようになっていた。医者にも相談した結果、元に戻すことになったわけである。
ヤフオクの梱包
帰宅して夕食・風呂のあと、先週末から昨日にかけてバスコレとNゲージ関連品を出品・落札されその梱包に追われる。入金されているものは早く発送しないと評価の良し悪しにかかわるだけに、寝る間も惜しんでせっせと梱包。
2005年8月25日 テーマ3件
仕掛中…
今週から通常勤務に戻ったが、体の疲れがひどく、スポーツクラブにも行けないわ、ヤフオクの発送準備も滞っている。昨日は早く寝たが早起きも出来ず、今日こそは梱包したい…
台風
台風11号が関東地方に直撃するらしい。午前中は結構大雨があったが、午後はやんでいた。しかし、定時後で帰ろうとしたところで雨の勢いが強くなった。いつもならば駅中の本屋で立ち読みするが、ほとんど寄り道せず(喫茶店で一服しただけ)帰宅した。
帰宅後も、すぐに夕食を食べて、ちょっとTV見てから風呂に入り、ドラマ「電車男」を見ながらヤフオク発送品の梱包をする…が、まだ2点残っている。
ハロプロイベントの封筒…
自宅のポストに返信ハガキ1枚と、青封筒(FCからのもの)2通届いた。
返信ハガキは「飯田圭織ディナーショー」当選ハガキ。青封筒は「安倍なつみ@新潟紺」と「美勇伝@品川」。
今回ヤフオク(バスコレクション・JAM)でかなり儲けたがその儲け以上の出費(涙)…飯田圭織ディナーショーはモーニング娘。以来の推しだけに参加したいが、それ以外は同伴者探しを考えないと…もちろん振込むが、スケジュール的に無理ならばヤフオクも考えるかも…
連載~過去日記
(3年前の日商簿記受験の話)2002年頃
結論から申し上げると…たぶん落ちたでしょう(実際落ちた)。回答速報を見て(昨年受験した時よりはよかったものの)また「不合格」になりそうです。
プロローグ
試験当日、起床してから全然落ち着かない。自宅のトイレに何度入ったことか。先週の模擬試験ではこういう事はなかったのに、資格を取らないと会社での評価にかかわるためか食事ものどに通らない。シドニー五輪で女子マラソンの高橋尚子選手が音楽を聴いていたことを思い出し、自分の好きな『I WISH』を繰り返し聴きながら平常心に持っていこうとしたり、わけのわからない自分がいた。
先週の模擬試験と同じ時間に自宅を出発し、自宅の最寄駅から『湘南新宿ライン』で、横浜まで出る。会場は東急東横線高島町駅すぐの横浜経理専門学校だったが、横浜から会場までは歩いていった。会場には試験開始30分以上前に到着したが、午前中の試験(1級)がまだ終了していなかったのでまだ会場には入れなかった。で、ロビーで待っていると、うちの職場の同僚がいた。その時は声はかけなかったが、もし同僚が受かって自分が落ちたら…と思うと、また緊張してきた。12:40過ぎ、やっと試験の教室に入ることが出来た。
いざ、試験
1問目は仕訳の問題。落ち着いてやれば16点は取れたところを4点しか取れず。
2問目は週計表という問題で、予想者も(さすがに)予想していなかったと言っていた。時間をかければ必ず解ける問題だったが、時間配分を間違え、ここでもミスの連発。
3問目は8桁精算表で、ここは予想と若干違っていた。で、あまり勉強していなかったもので(2問目よりは簡単だったが)2問目でてこずったため、あまり時間をかけられず。
4問目、5問目は工業簿記。今回は5問目のほうが簡単だったにもかかわらず、4問目に時間をかけ過ぎ、5問目はただ空欄に数字を埋めていった…と言う感じだった。
全体の感想だが、やはり「ヤマ」というものは完全に当たるわけではないということを痛感した。模擬試験を受けたにもかかわらず、過度の緊張と(頭が)パニック状態になってしまい、せっかく合っていた回答を途中で書き直すケアレスミスをしてしまったのが残念でならない。
試験終了後
ダメだ…と思いつつ東神奈川の大原簿記学校での解答速報会に参加し、自己採点したものの、解答を見てただただ愕然(泣)。今年の2月の結果よりはましだったものの、3割取れていればいい方かもしれない…学校を出てからしばらく放心状態_| ̄|○…帰宅途中で予約していた鉄道模型(Nゲージ:キハ281系「スーパー北斗」)を購入した時も、カード払いで分割にしたか一括にした覚えていなかったほど。
すでに次回(2月)の検定に向けて再チャレンジの方向で…。
試験結果
昨日(12月13日)よりインターネットで見ることが出来るので早速見てみた。で、結果は思ったとおり「不合格」。しかも、点数が「7点」しか取れなかったこと…前回より勉強したのにさらに結果が悪かったのは「ショック」以外のなにものでもない。今度は「大原」の会員証もあるので、しっかり勉強して2月の検定で合格してみせるっ!(結局していない)
…2月の試験は、結局「受けません!」理由は、来月転居する(いまの家)ための手続きが忙しかったり、子供の相手などで勉強どころでない…と言い訳はいろいろありますが、「精神的に受ける心境ではない!」と言うのが本音。
(捨てられないもの)時期不明
妻のことだが、最近は自分の所有物に関してあれこれ口を挟むようになった。
「邪魔だから捨てて」と、読みかけで(あとで)熟読したい新聞や雑誌…確かに山のようになっていたが、早く捨ててよ!とばかりにゴミ袋をつきだし早く捨てるように言う。男はロマンチストで収集癖があり、女は現実主義ですぐ始末する(最近、例外(片付けられない女)もあるが)という違いもあるが、最近とにかくうるさい。この間は「うるさい!」と怒鳴ったら、寝るまでケンカになってしまった。
というわけでただゴミで捨てるのももったいないので趣味で収集したものをオークションで処分している。
(コメントレス)
ありますねぇ。自分にもw
結局、保管し切れなくて捨ててしまうことになるんですけどね。
管理人さんと同じく雑誌もそうだし、見てないビデオも何巻あることか‥。
こちらも売れるものはオークション行きです。
捨てられないものⅡ
腐れ縁(キッパリ) あー捨てたい。
捨てられないものⅢ
一般に、「捨てられない」という症状は男性に多く、女性にはあまり見られない。俗に言う「収集癖」、平たく言えば「コレクション」も男性の方が多い。
自分の場合、「鉄道模型」「CD」「過去の鉄道ジャーナル(最近は買っていない)「録画済ビデオテープ」「(お気に入りの記事がある)古雑誌」
…こんなにあるんじゃ、妻から「片付けろ!」と言われるよな。
捨てられないものⅣ
今回はマジな話で…やっぱ、家族 は捨てられない。
家族のためなら、いざとなったら鉄道模型やモーニング娘。グッズは捨てても構わないと思うだろうなぁ。好きなものは好きだけど、絶対に失いたくないものには代えがたいし。
あらためて、いま振り返る
BBS掲示板時代の日記記載方法が通常と異なり時期がよく判らないものがありました。
おそらく2002年か2003年のものだと思いますが、テーマごとにまとめてあるので(過去日記を整理した時点で)まとめ方も試行錯誤していたのかもしれません。
あとタイトル画像ですが、2005年頃の帰省でフェリーから撮影した津軽海峡の夕景です。