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第107回 首(2023 東宝・KADOKAWA)

 本noteの基本コンセプトとして、配信されている映画をレビューしていくという物があります。せっかくレビューを読んで興味を持ってくださっても、観る事が出来ないのでは少し寂しいでしょう。

 というわけで、配信されない映画はあまりレビューしないようにしていました。そうすると、配信を嫌う監督の映画はレビューが難しいわけです。

 世界の北野武もその一人です。北野作品は全然配信されない事で有名なのです。もっとも、私はあまりたけしを高く買っていないのも事実です。

 しかし、今度めでたく『首』の配信が始まりました。というわけで、本noteもたけし童貞を捨てます。21世紀の邦画も今回が初です。

 大河では描けない物を描きたいというテーマのもとに作られたこの戦国時代劇には、勿論NHKがなかった事にする男色ががっつりと描かれていて、非常に美味です。信長と蘭丸のホモ濡れ場は、恐らく映画史上初です。

 暴力とホモの事しか考えない武士の実態を鮮やかに描いていて、確かに良く出来ています。しかし、私はこの映画に言いたい事も沢山あります。たけし、どうしてお前が信長をやらないんだ!

首を観よう!

Netflixで配信があります。U-NEXTでは有料配信です。

真面目に解説

大河ドラマと歴史修正主義

 時代劇は日本が世界に誇る一大コンテンツのはずですが、造るのに非常に金と手間がかかるので、今や民放局は特別な機会にしか時代劇を作らず、NHKの大河ドラマだけが細々と時代劇の命脈を保っています。

 しかし、この大河ドラマがいかに問題がある代物なのか、皆様にいちいち説明する必要はないと思います。戦は嫌でござりまする、側室も嫌でござりまする、衆道も嫌でござりまする。反吐が出そうでござりまする。

 戦の嫌な武士は武士の地位を捨てて農民や坊主になります。武士は死と陰謀と隣り合わせなので、一夫多妻制でないと困るのは女の方です。そして、武士が真に愛するのは男だけであり、女の価値は茶道具の上で馬の下くらいです。

 このNHKの汚らわしい歴修正主義に対して、民衆は無力でした。しかし、我らがビートたけしがやってくれたのです。やはりたけしは軍団を持っていた男。ホモサーの殿なのです。

全員ガチホモバーサーカー

 身も蓋もなく言えば、本作は鎧を着たアウトレイジです。そこには武士道などという崇高な概念は存在せず、どいつもこいつもホモと出世と保身の事しか考えていません。

 つまり、たけしはヤクザ映画と同じ方法論で時代劇を撮ったのです。実にたけしらしいアプローチだと思います。

 ただし、それだけに武士の美しさなどを求める人にはこの映画はお勧めできません。この映画の武士はどいつもこいつも上様に切られるタイプです。

 一方で、ノンケは変態という、歴史家が分かっていても避けて通って来た武士の在り方を完全に踏襲している点を私は非常に高く評価します。

 本作にも一応濡れ場はありますが、その全てが男×男という徹底ぶりです。というより、本作に重要な女は一人も出て来ません。淀川先生がこの映画を見たら言うでしょう。男だけの映画にハズレ無しと

たけしの保身

 ですが、一つ我慢ならない点があります。つまり、北野映画はたけし自らが主演というのが原則ですが、本作ではたけしは一歩引いたのです。

 本作の軸になるのは本能寺の変で、ホモしか出てこないというコンセプトで作られているので、ホモ世界チャンピオンだった信長は一番重要な役のはずです。

 しかし、たけしが取ったのは豊臣秀吉です。そう、戦国の世にあってただ一人ガチノンケの変態として生きた秀吉です。果たして本作の秀吉も農民だからホモは分からんなどとのたまって、一人だけ蚊帳の外を決め込みます。いや、一人だけ蚊帳の中に籠っています。

 やはりたけしは老いたと私は思いました。たけしは映画監督である前に芸人です。なればここは自ら信長を演じて率先してホモっていくべきです。でなければ、SNSで口汚い政治発言をしてイキっているセコ連中と大差ないところまで落ちてしまいます。

 たけしがガチホモバーサーカーとしての武士を描き切った点は高く評価しますが、若い者にだけやらせるという了見にはやはり感心できません。

ホモサーの第六天魔王

 さて、保身に走ったたけしの代わりに信長を演じきったのが加瀬亮です。信長は危険人物なりに話の分かる男として描かれがちですが、本作の信長はまさにガチホモバーサーカー。ここまでピーキーにセッティングされた信長は類を見ません。

 河村たかしもここまでやらんぞという程のべたべたの名古屋弁、人前で平然と森蘭丸(寛一郎=佐藤浩市の息子=三国連太郎の孫)とヤり、暴力、パワハラ、ホモセクハラは当たり前。

 これは完全にムショで覚えたホモとシャブが大好きな三次団体組長程度の器で、従来の並外れて器のデカい信長とは一線を画すキャラクター造形です。

 そしてこの信長は嫡子の信忠(中島広稀)ではなく、一番活躍した家臣に跡目(ママ)を譲ると宣言し、話がややこしくなってしまいます。

 一番強い奴が跡目というのは一見すると格好良いですが、アレキサンダー大王は本当にそれをやって国を潰したくらいで、非常に揉めるやり方です。

 そして、信長は家臣と片っ端からヤっている事が示唆されます。蘭丸との濡れ場とは別にホモキスシーンが2回も入ります。

 そういう意味では、この信長はもっとも歴史に忠実なのかもしれません。もっとも、信長にしてはケツの穴が小さすぎるので、好き嫌いが分かれるでしょう。

おぬしも数寄よのう

 本作のメインヒロインは蘭丸ではありません。蘭丸は単なるお色気要員であり、信長は蘭丸を慰安夫のように扱います。

 では誰がメインヒロインなのかというと、珍しい所で荒木村重(遠藤憲一)です。

 村重は一応摂津一国の太守でありますが、本作では信長に冷遇されていて、パワハラセクハラに苦しめられた挙句に謀反を起こした事になっています。

 そう、セクハラです。この辺はたけし、流石に歴戦の浅草芸人です。ゲイがノンケのルッキズムとは無縁である事をよく分かっています。

 知っての通り、村重は謀反に失敗してしまいます。そして村重は豪傑とは程遠く、顔はいかついですが文化系でひ弱です。

 本作の前半は村重の奪い合いが重要なキーになってきます。跡目が欲しくて村重を探す家臣団、愛憎入り混じった感情を抱く信長、そして、もう一人。

ピカチュウでマリオで

 歴史に詳しい方ならご存じかと思いますが、村重は城から落ち延び、信長の死後は茶人として歴史の端っこの方で生涯を全うします。

 どうやって村重が生き延びたのかは作家の腕の見せどころですが、本作では村重の親戚の明智光秀(西島秀俊)が秘かに村重を逃がしたという事になっています。

 そして御想像の通り、村重は光秀とデキていて、軍使としてやってきた村重と濃厚な衆道を展開し、村重を逃がしてしまいます。

 城を落ち延びた後の村重が、信長が死ぬまでどこに居たのかは諸説あるのですが、本作では村重は紆余曲折あって光秀の元に匿われ、本能寺の変の直前まで光秀と行動を共にしています。

 そして、光秀もまた信長にとっては可愛いメスなので、案の定女人禁制の三角関係になってしまい、光秀は苦悩します。愛する村重を引き渡すなどという事は、やはり光秀には出来ないのです。

太閤様の耳の匂いを嗅ぎたい

 村重を捕まえて来て光秀に明け渡したのが、千利休(岸部一徳)の配下の曽呂利新左エ門(木村祐一)です。

 曽呂利新左エ門は芸人で、落語の開祖ともいわれる人物ですが、本作では甲賀忍という設定になっていて、明智方と豊臣方を往ったり来たりして一山当てようとする美味しい役です。落語大好きなたけしなので、優遇されています。

 それにしても、ニンジャです。やはり世界のキタノなので、外国人に受ける要素を入れようと思ったのでしょう。サムライにニンジャが揃えば完璧というわけです。だから本作はリアルを強調している反面、荒唐無稽な外人向けニンジャにもかなり尺が割かれています。

ジュニアピラニア

 豊臣家臣団も曲者ぞろいで、兄貴の権威を笠に着る羽柴長秀(大森南朋)だの、軍師なのにどうにも頼りない黒田官兵衛(浅野忠信)だの、クセの強いおっさんが揃えられています。

 私が断然注目するのは、秀吉同様に出自が胡散臭い蜂須賀小六(仁科貴)です。そう、我らが川谷拓三のクローンのようにそっくりな息子、仁科貴です。ただし、声は全然違うのが残念ではあります。

 秀吉が鳥取城を兵糧攻めにしている最中に、曽呂利が書状を届けに来た時のやりとりが、私にとっては極めて重要なポイントです。

 官兵衛が曽呂利を知っていました。何でも、この曽呂利は信長を狙撃した杉谷善寿坊の弟子だそうです。

 杉谷善寿坊と言えば、『黄金の日日』で川谷拓三が鋸引きの刑に処される所まで完全にやり切った当たり役です。そして、そこには息子が居る。私のようなボンクラ映画好きは大喜びです。

戦国はきたない(確信)

 この映画のもう一つ評価するべき点は、合戦周りの描写がリアルな所です。オープニングからいきなり合戦シーンで入りますが、この点では明らかにNHKを超えています。そして、それは凄く小汚いという事です。

 戦の無い時には雑兵は飲む打つ買うに明け暮れています。買うを提供する流人の中にオネエが混じっているのが笑いどころです。

 そして、この時代の雑兵は多くが一山当てたい農民でした。略奪される方よりする方が得。まさに闇市時代のヤクザの発想です。

 作中でも茂助という農民(中村獅童)為三(津田寛治)という友達と一緒に一旗揚げようとして、大将首の奪い合いで茂助が為三を殺して手柄を横取りするという壮絶なシーンが入ります。この辺もNHKでは再現不可能でしょう。

 そして茂助は曽呂利に拾われ、ちょっとずつ出世していくのですが、そこは戦国乱世です。狙う事は狙われる事だという教訓が与えられます。

今一番熱い奴

 さて、信長が蘭丸を連れているという事は、当然あの人も連れているという事です。

 そう、今一番議論されている戦国の男、弥助(副島淳)が登場します。もっとも、ストーリー上はあまり大きな意味はなく、蘭丸とヤって疲れた信長にマッサージするシーンが見せ場です。

 個人的には、あのゲームへの逆張りで弥助は武士ではなかったとかたくなに主張する流れには反対です。弥助が色小姓であり、信長がその身体と引き換えに城主の地位を与えようとしたと私は信じます。

 蘭丸を掘る信長が、弥助に「羨ましいか?」と執拗に嫌な質問をするのも見逃せません。つまり、信長の中では蘭丸と弥助は同じカテゴリに居るのです。

 やはり信長は家臣として使えれば身分はどうこう言わない男です。なにしろガチノンケの百姓を寵愛しているくらいですから、異人であろうと良い男なら蘭丸と同じ価値を認めるのです。

俺の白ネズミ

 色々とあって(エッチな事も含む)、光秀は謀反を決意します。それも、秀吉と裏で結託して。これはかなり珍しい解釈です。

 こうなるとあの人の問題が不可避です。というわけで、秀吉は家康(小林薫)に会いに行って、土下座までして協力を取り付けます。

 信長は家康より9歳年上のはずですが、西島秀俊より二回りも年上の小林薫が家康なのにはちょっと笑っちゃいます。

 そして、家康は信長の白兎であるという事がNHK数年ぶりの大仕事で判明し、腐を熱狂させたのは記憶に新しいですが、本作の家康はもう一つの顔が強調されます。そう、家康は熟女が好きなのです。

 遣り手ババア(柴田理恵!)が家康の元に遊女を連れて営業に来たら、遣り手ババアを選んじゃいます。この映画のある意味最大の笑いどころです。

 しかし、この遊女たちは家康暗殺を狙うくのいちでした。そう、遣り手ババアも例外ではありません。

 くのいちはエロエロのお姉ちゃんばかりではなく、修羅場を潜り抜けて来たババアも居るというのは道理です。やはりたけしはただ者ではありません。

 それにしても、柴田理恵はワイルドスピードにも出ているし、立派な国際女優であります。

BL的に解説

信長×村重

 本作の真のテーマが何かというと、信長と光秀による村重の奪い合いです。政治として観ても、性痔として観てもそれは同じです。

 村重は「身も心も捧げた挙句に摂津一国」と光秀に愚痴ります。そう、村重は信長に身も捧げたのです。蘭丸から遠藤憲一までとは、信長の守備範囲の広さは琵琶湖並みです。

 単なる権力の誇示とか、穴があればいいとかの安っぽい動機で信長が村重を食ったわけではないのは、作中の行動からも明らかです。

 信長は毛利攻めで村重に信忠と一緒に留守番を命じ、代わりに秀吉を任命します。これに反抗して出番が欲しいと頼む村重ですが、信長は承知してくれません。

 これをBLと歴史学の観点で見た場合、重要な事実が浮かび上がってきます。

 多くの資料で語られる事ですが、信長は村重を重用していました。なのに戦で手柄を立てたいという村重を信長が止める。これはどういうことか?

 そう、信長は村重を蘭丸と同じカテゴリで見ていたのです。村重、可愛いおみゃあが死んだらわしゃあどうすりゃええんだぎゃあというわけです。

 それでも突っ張る村重に信長は切腹を命じ、村重は隣に居た光秀とかばい合って、信長は怪しい怪しいと囃し立てます。

 勿論、光秀も信長に身を捧げていた事が作中で明示されます。つまり、信長としてはメス同士で百合ホモする分には大いに結構というわけです。

 これは衆道の原則から言っても好ましい傾向と言えます。この信長、武士としては針の孔よりケツの穴が小さいですが、ホモとしては平幹二郎級(ざこば師匠・談)の大穴です。

 挙句信長は村重に刀に刺したまんじゅうを食べさせ、口を血だらけにした村重と濃厚なホモキスをして大興奮し、お客さんと秀吉をドン引きさせます。

 開幕10分でこのハードコアホモSMです。レベルが高すぎます。信長としてはこれは愛情表現だったのでしょうが、村重がこのタイミングで謀反を企てたのは明白です。

 光秀は村重に御館様の為なら何でもやって来たと言いました。多分、凄くアブノーマルな事を信長は村重にやらせたのでしょう。

 そして、光秀がそれを知っているという事は、実際に目の前でやった可能性が否定できません。本作の信長はそういう事をします。

 本当に愛している男の前で、立身出世の為に他の男に抱かれる。ハイレベルです。

信長×光秀

 光秀は織田家中の中でもデキる男の一人です。各種教養に通じ、領民からの評判も良く、キリシタンは嫌いでも迫害しないケツの穴の大きさを持ち、戦もそこそこ強い。稀に見るオールラウンダーです。

 それはつまり、デキている男である事を意味します。しかも、光秀は浪人の身の上で信長を頼って来た経緯があります。そりゃあ信長が閨に招くのは当然です。

 信長は蘭丸とヤりながら光秀と会談する有様です。この調子だと、カメラの回っていない所ではどんな変態ワールドが展開されているのか興味が尽きません。

 信長の方も光秀をやはり寵愛していて、村重が家康の元に逃げたという嘘の報告をまんまと信じ、家康を殺ったら跡目をやるとまで言い切ります。

 しかし、秀吉の中国攻めに光秀が加勢を申し出ると信長はキレ始め、光秀をぼこぼこにした挙句、素直に俺を好きになれば天下を譲ったるとか言いなら光秀をちゅっちゅしてわけがわかりません。

 とりあえず、信長が頭のおかしいホモである事だけは確かであり、この時光秀は本格的に信長についていけないと思ったのは確かです。

 信長が信忠に跡目を譲る気であるという書状を秀吉に見せられ、光秀は本格的に謀反を決意しますが、その一方で家康暗殺計画は進み、信長は成功したら一晩付き合えなどと光秀に言います。

 とんでもないジャイアニズムがあった物です。お前は俺の物、お前はあくまで俺の物というわけです。

 しかし家康も知恵者なので、毒を入れた鯛を食べるふりをしてやり過ごし作戦失敗。

 ブチ切れた信長は同席した宣教師に南蛮寺建て放題の権利と引き換えに光秀の斬首を命じますが、このタイミングで光秀は「私も御館様を推したい申しておりました」と大胆な告白をかまして切り抜けます。

 すると信長は急転直下で宣教師をぶっ殺し、光秀に抱き着いて大喜びです。よくぞこのタイミングまで暗殺されずにいたものだと却って不思議です。

 挙句の果てには家康を殺せば「俺とおみゃあの天下だぞ」と来ます。俺とおみゃあですよ。ここへきてついに信長は正室を決めたのです。

 しかし、光秀は信長より村重を取り、泣いて連れて行ってくれとせがむ村重を捨てて信長を本能寺で討ち果たしますが、その後は知っての通りです。

 信長も光秀も、愛に徹しきれなかったのかもしれません。

光秀×村重

 やはりここが大トロです。謀反を起こした村重を説得に行ったのが光秀だったのも、やはり信長が怪しいと口では言いつつ完璧にデキているのを見抜いていた証拠です。惚れた男の説得なら聞くだろうというわけです。

 ここで注目すべきは、この2人は親戚同士ではあっても幼馴染と言うわけではなく、信長に仕えて嫌気がさすタイミングでデキてしまったという事が明示されるところです。

 幼馴染、これはやはり王道にして究極であり、年月の裏付けが関係を強固にする点で他の関係性とは決定的に違います。

 しかし、この2人は言わばデキ婚。それが「いつか時が来たら立とう」と寝物語に約束するのは、年月の裏付けがないだけに却って強力です。年月の差をも一瞬で埋める情熱が、この2人にはあったという事なのです。

 島流しで済むようにとりなすからと村重を説得する光秀ですが、村重の方はこの言葉を盾に断固として突っ張ります。

 これはつまり、村重の方が光秀に参っているという事です。メンヘラ女子のような事を言っちゃう遠藤憲一。このゲテモノこそ美味という境地にこそガチホモリアルがあります。

 挙句の果てに村重が「いっそのこと腹を切れと言ってくれ」と言うのに至っては、もはや井原西鶴の男色大鏡の世界観です。殺されるなら、あんな悪のホモよりも、愛するお前にこそ殺されたい。これこそが男が求める究極の美学です。

 そして、切腹には介錯がつきものです。愛する男の介錯をする。これは侍BLにおける究極の愛情表現です。もし三島先生が生きていたら、試写会の会場でイキます。

 しかしながら、ここから村重が接吻にいこうとして光秀が「わきまえろ」と一喝するのは、やはりたけしの限界なのでしょう。

 今生の別れに盛る。そのくらいの事は武士ならやったでしょうし、お客さんもそれを歓迎するはずです。しかし、たけしはノンケなのに女が描けない監督なので、ガチホモの濡れ場はやはり無理なのでしょう。残念です。たけしにも不可能はあります。

 しかしリアリズムが物を言うこの世界で愛の力バフは想像以上に弱く、村重は堕ち伸びたのに曽呂利にふん捕まり、千利休経由で光秀に引き取られていきます。

 つまり、光秀はこの瞬間信長より村重を取ってしまったのです。村重のケツはよほど良いのでしょうか?

 光秀は村重に信長のコスプレをさせて殺そうとしますが、できませんでした。ついでに殺された蘭丸役があまりに気の毒ですが、光秀は結局一匹のオスである事を捨てきれなかったのです。

 それにしても、ここで村重が光秀を十兵衛と呼び始め、挙句「お前の惚れている村重」とか言い出すのがたまりません。

 光秀のメンタルの乱れぶりは物凄く、罪人を信長に見立てて撃ち殺して鬱憤を晴らしている有様です。だからこそ、村重はチャンスだと思ったし、つけあがりもしたのでしょう。

 村重は光秀は本当は信長に惚れていると言い、光秀は村重は信長の為なら何でもやって来たと言います。面倒な主君を持った竿兄弟のシンパシーです。そして、穴兄弟が間接ホモセックスなら、竿兄弟は実質セックスです。並大抵ではありません。

 結果として2人は久々にヤっちゃいます。当然の帰結です。ですが、具体的な濡れ場はなしなのがやはりたけしの限界です。これをやり切れる後継者が現代日本には必要です。

 村重の正妻面はここへきて顕著になり、自分は家康の元へ逃げたと嘘を言えだの、信長もついでに殺っちまえだの、光秀を舐め舐めしながら有難みの無いアドバイス何て授けちゃいます。

 しかもこのプランがずばりはまり、信長は家康を消す方向に傾きます。しかし、光秀の大胆な告白で村重は「嘘でも俺やくぞ」ときます。

 私はこの瞬間、何故遠藤憲一に戦国の英雄が群がるのか分かりました。この男、凄くあざといのです。このギャップに戦国乱世で大名を張るガチホモバーサーカーどもはころりとやられてしまうのです。

 村重は京で大きな軍勢を動かせるのは光秀だけである事に着目し、信長の居る本能寺に攻め込めばいけるのではないかと提案します。

 ですが「そうすれば天下は俺らに」というのはやり過ぎです。村重は何があっても光秀は自分を捨てないという自信を持っているのです。

 一方で村重は信長の光秀への行動を「跡目を餌にお前の物にしたいだけ」とまで言い切ります。キマりすぎです。腐男子もここまでくれば病的です。

 つまり、これはたけしが光秀は村重への愛によって信長を討ったと解釈した事を意味します。これこそ大河です。もう私は受信料を今まで程快く払えません。

 しかし、天下人を討つ事の意味を村重は過小評価しています。村重は本能寺への出陣を前に家臣に命じて土手に捨てていきます。

 村重は光秀を斎藤利三に寝盗られたと思い、ホモのジェラシーに狂いますが、これは光秀の愛です。光秀は村重を愛するからこそ、天下を敵に回す死出の旅に村重を連れて行く事を拒み、一人で死地に赴くのです。

 これは任侠映画の世界観です。つまり、光秀が健さんで村重が藤純子です。現に村重は乱世を生き延び、茶人として秀吉の治世で余生を送りました。

 きっと村重は茶をたてながら、昔愛した男の物語を語るでしょう。それは茶のようにほろ苦く、茶碗のように脆く儚い、愛の物語です。愛に徹し切った者が生き残ったのです。

為三×茂助

 大名同士のロイヤルでノーブルなBLも良いですが、立身出世を狙う野心に燃える男達の生臭い戦いも美味であります。

 為三と茂助は親友であり、一緒に戦に行って偉くなろうと誓い合った仲です。いい歳した男がこんな発想に辿り着く時点で相当にBLです。

 しかし、死体の山の中から大将首を為三がはぎ取った瞬間、この友情は破滅に至ります。俺が大将になったらお前を一の家来にしてやると夢語っちゃう為三を、茂助はぶっ殺してしまうのです。

 きっと茂助は布団の中でも欲深い男なのでしょう。だから茂助は友情よりも立身出世を取った。ギャグパートみたいに扱われるので見落とされがちですが、これはかなり重い奴です。

 そして茂助は曽呂利に拾われてちょっとずつ出世していきます。

 茂助は曽呂利亡き後も順調に出世し、ついには足軽を預けてもらう立場にまで上り詰め、更には三日天下を終えた光秀の首を手に入れますが、落ち武者狩りに討たれてしまいます。

 死の瞬間、茂助が見たのは為三でした。いや、厳密には為三に似た落ち武者狩りの百姓ですが、これはもはや神の御意志を感じさせます。

 茂助が最後に見た物が裏切ってしまった親友なのだとしたら、それはあまりに美しいとは思いませんか?これで能が出来ます。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『人斬り』(1969 大映)(★★★★★)(時代劇映画の決定版)
『戦国自衛隊』(1979 東宝)(★★★★★)(その頃、越後もホモだった)

今までのレビュー作品はこちら

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