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無理なくできる料理でいい 2024年8月【4】

子供の頃から、家事を手伝ってきた。母がそういう教育方針を持っていた。米とぎ、皿洗いは小学生の頃からやっていた。高校時代、洗濯は私の仕事だった。毎朝、家族の洗濯物を干してから家を出ていた。

ただ料理に関しては、ほとんどすることがなかった。

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実家から出て生活したことがない。ずっと母がつくる料理を食べて生きてきた。

いつの日か、母に頼れなくなる。そのとき、自分でどれだけ料理するだろうか。簡単なもので済ませる気がする。

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料理の経験が皆無というわけではない。

たとえば目玉焼き。昔からよくつくってきた。ある時期からはフライパンではなく、電子レンジであたためることにした。やりすぎると爆発するが、適度なら半熟卵ができる。

卵焼きをつくろうとして、スクランブルエッグみたいなものができた。フレンチトーストをつくろうとして、ベチャベチャの何かになった。

それでも、自分でつくるとおいしく感じる。味が今ひとつでも、精神的満足が上乗せされるのだろう。

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きゅうりを輪切りにして味噌や塩をつけるだけで、十分おかずになる。レタスは手でちぎる。キャベツはスライサーを使う。トマトは包丁で十字に切る。ヘタの部分をくり抜くのは難しいのでそのままにする。食べるときに、そこだけ残せばいい。

肉を食べたい時は、ハムにチーズを載せてレンジでチン。魚に関しては、スーパーで刺し身を買う。ビンに入った鮭フレークや、シーチキンの缶詰もいい。

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ここ数年、母は家にいることが多い。でも以前はそうではなかった。月に何日かは不在で、そのときは自分で食べるものをつくっていた。先に書いたレベルの代物に過ぎないが、それでも自炊には違いない。

つまり経験がある。だから将来の食について、大きな不安はない。たまにつくるのと、毎日つくるのとでは違うだろうが、まあ何とかなるだろう。というか、何とかしていくものだろう。

料理は面倒だ。あまりしたくない。でもそれは面倒な料理が嫌なだけで、あらゆる料理が嫌いというわけではない。面倒と感じない料理をすればいい。自分ができる料理をすればいい。

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日本人は他国の人たちに比べて、料理を頑張りすぎているようだ。料理と人格を結びつける傾向がある。料理はすべきもので、しないのは人間としてダメといった感じ。

でもこれは世界の常識とは言えないようだ。料理と人格を結びつけて苦しくなったら、このことを思い出そう。「自炊しない国」といったワードでググると、気が楽になる。

料理のことで誰かに否定されたとしても(あるいは内なる自分が否定してきても)、一番大事なのは自分の幸せだ。何時間かけてもいいし、3分で済ませてもいい。もし料理をすることで自分が不幸になるのなら、しなくてもいい。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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